メイプルウッド・ロード
                     
〜#3.嵐のI−5〜

(3)

 そして訪れた静寂……。

 ワイパーを止めたフロントガラスの向こう側…上空は今だ早い風が吹いているのか、

 薄灰色の雲のカーテンが引き裂かれていき―――

 見上げる夜空は、あっという間に、くすんだ黒色から澱みない闇色へと晴れていく。

 次いで、またたく星の海が天を覆うも――

 疾く風に、厚い雲のヴェールを取り払われ、どこか恥じらうように現れた夜空の名優…

 その真円の身をあらわにした満月に、前座に成り下がった星々の光は減じられ……

 まさに瞬く間に、空はうっすらと明るい…深い藍色へとその色相を変じていく……。

 そんな、どこか神秘的とさえ言える、嵐の後の天体ショーだが、

「ふあぁ…」

 あいにく、この男―――瞬に、そんなものを眺めて耽ける情緒はなし。

 眠たげなまなざしのその向こう…急展開する夜空の模様をなんとはなしに見上げつ

つ、

「ふぁぁ…」

 瞬は二度目の生あくびを噛み殺しつつ、リクライニングを倒す。

 ぎぎぃ。

 そう、別にムリして起きて待ってる義理も必要もなく。特にやることもなし。

 退屈を感じる間もなく、瞼に舞い降りた睡魔の誘惑のまま……

「はふ……」

 軽い溜め息つきつつ、ヘッドレストに預けた頭をごろりと頭を転がす。

 もはやぼんやりと映る低い視線の先には、ベッド状態になっている後部座席…グレー

のシート…と、その上に……

「…………」

 淡いルームライトに浮き立つ―――

 …白い太もも………寝乱れた襟元から覗くふくよかな胸の谷間………

 先程とは打って変わって、同じ生物か?と思えるほどのなまめかしい寝姿―プラス、

「…す〜…す〜……」

 息がかかるくらいの間近に、逆向きになった由美の寝顔。

「………え…?…あ……」

 どきんっ!

 寝ぼけ眼がパッチリ開かれ、にわかに紅潮する瞬の頬。

(……え…えと……あ…あの…)

 妙に動揺し、慌てて首を傾けようとした瞬間、

「んぅ……ん………あふ…ぅっ…」

「……っ!?」

 悩ましい声と共に発した由美の吐息が鼻にかかり、瞬のどぎまぎに拍車が掛かる。

 …どきどきどきどきどき………。

 当然、睡魔はどこかへ遠のき、次いで高鳴る胸の鼓動。

「…………。」

 息を飲み、より度合いの濃くなった静寂の中、自らの鼓動と由美の寝息がさらに

際立ち……

 瞬の瞳は、薄闇の中、ルームライトに照らされ淡い輝きを放つ由美の唇に集中する。

 ……刹那の沈黙。

 そして、

「…………」

 動揺冷めやらぬまま、瞬はほとんど本能的に顔を近付けていった。

   

「……ん…」

 やや荒くなった息を極力抑えつつ、ゆっくりと唇を合わせ………

 ……ち…ゅ……。

 その先端で柔らかな感触を捉えた……その瞬間、

 ………ぱち……。

 間近に迫った由美の大きな瞳が突然、開かれた。  

「……●☆▲□★!…っ?!」

 当然、声も出ず、肝を潰す瞬。取りも直さず即座に慌てて、真っ赤な引き離す。

 その一方、

 きょとんっと驚いたような表情のまま、由美は…

 ぱち…ぱち…

 2、3度、眼をしばたたせ、

「ん…あむ…?……着いたの…?……ん〜〜っ…」

 お約束通りの大ぼけな台詞を吐きつつ、半身を起こして大きく伸びをする。

 組んだ両手を頭の上に掲げ…その動作のまま、ふと視線を落とせば、

「……ん?」

 リクライニングされたナビシートに、なにやら躊躇…とゆーより、硬直気味に、視線を

虚空に漂わせた瞬の赤い顔……。

「やだ…瞬…ヒーター効かせすぎじゃない?顔…赤いよ……」

 逆向きに仰向けになってる瞬に、苦笑気味に言いつつ、

「……え?あ…ああ…い…いや……そ、そっかな……あはは」

「………?……」

 妙に慌てた様子で起きあがり、ヒーター調節のつまみに手を伸ばす瞬の不審な動作

に首を傾げ――――

「…ん?」

 と…そこで、由美は下半身がやけに寒々しいことに気付く。

 微かによぎる不安を胸に、そろ〜っと視線を落として見てみれば……、

「……え……………あ゛。」

 そう、ダークブラウンのフレアスカートが、ヒザ上どころか、腰の辺りに巻きつくように

捲れ上がっており――――――

「……え…あ…ああぁぁぁぁ〜っ!?…」

 にわかに頬を赤らめ、手早く、太ももに固く巻き付けるようにスカートを直す由美。

 ついでに肩口に手を突っ込み、落ちたブラの肩ヒモを直しつつ……

 当然のごとく、すかさず瞬をジト目で瞬を睨み付け、

「………えっち。」

 そしてむろんのこと、

「!!!!?ばばばっばばっかやろ!そ…それはおめーのとんでもねー寝相のせー

だっつーの!そっちはまだなんもしてねーよっ!」

 違う方向への思いっきりなヌレギヌを着せられ、猛然と抗議する瞬。

 だがしかし、うっかり発した失言を、これまた当然、由美が聞き逃すはずもなく。

「ん〜?『そっちはまだ』って……?ほかにも……なんかしたの?」

「……う゛…っ…」

 ぬれぎぬを払うどころか、さらなる疑いを掛けられ、言葉に詰まる瞬。

 ……とは言うものの、これは紛れもなく冤罪……

 …とゆーか、その前に、そもそもそんなに慌てる内容のコトでもないし、そう咎められ

るようなコトをしたわけでもないよーな気もするのだが……

 まーそこはそれ、自ら墓穴を掘ってドツボにはまるのはこの男の得意技でもあるのだ

から、コレはコレでいたしかたのないことだろう……たぶん。

 とはいえ、由美や智也と付き合ううち、瞬もすこしは成長している。

 この状況で由美を相手取り、何をどーイイワケしたところで、まるで信じてはもらえない

ことは火を見るより明らか。

 なにしろ、咎められている方向こそ違えど、向かう先は一緒だったし、なにより、

自分でも丸わかりのこのアヤしさ爆発している態度は信憑性も何も…真っ黒けである。

 ならば、このままヘタな弁解を続けるのは得策ではない。

 (いや得策とか…そーゆーレベルの話でもないような気もするのだが……)

 ともあれ、さらに全開の疑いジト目で由美に見つめられる中、6/1000秒ほどでそう判

断した瞬は、

「い…いや…だからな…………って、い…いやいやいやっ!そ…そうそう!そんなこと

言ってる場合じゃないだぞっ!ちょっと見てみろまわりっ!」

 荒々しげに由美の視線を躱し、ともあれ話を逸らすことを試みる。

 いやもう…見た通り、『私はなんかやましいことしてました!』と力いっぱい言ってる

よーな…成長してもそんなもん?感ばりばりのごまかし方だが……

 まあ、その辺のところは、「まー瞬だし。」とゆーことで、お含みいただきたい。

「ん〜〜?まわり〜〜?」

 一方、由美は多分にうさんくさげな表情を浮かべつつも、まあとりあえず、窓の方に目

を向けてみる。

 ちなみにむろん、疑念が晴れたわけではない。ただ興味がそちらに向いただけ。
         
コイツ
 それに、『まあ瞬を責めるのは後からでもじゅーぶんできることだし。』

 そう踏んでのことである。

 ともあれ

 きゅっ…きゅっ。 

 温度差で曇る窓ガラスをセーターの袖で拭き、由美は、闇に慣れぬ瞳を細めて、窓の

外へと視線を延ばす。

 すると…

「………え…?」

 由美の口から小さな驚きの声が漏れる。

 うっすらと地面が傾いていることに気付き……次いで、淡い月明りに照らされ、広がる

土砂の斜面が目に映り。

 と同時に、転がるほどではないものの、身体がやや後方に引っ張られていることから

、 車体が斜めになっていることにも気付く。

「え…な…なにこれ〜?」

「な。」

 驚き慌てる由美に、どこか勝ち誇ったような顔を浮かべる瞬。

 だがもちろん、そんなオバカな態度はあっさり流し、由美は不安げな表情を浮かべ、

「だ…だいじょぶなの…コレ…? 落ちない?」

 問われて、瞬はやや鼻白むも、
                                
  ハ ラ
「あ…あ〜〜、そりゃでーじょぶだ。なんかでっけー岩に車底乗っけちまった上に、

後ろのタイヤが思いっきり土噛んじまって、ヘンな風にバランス取れちまってるし…

 ほら、斜面の割りにゃ車はそんな傾いてねーだろ?」

「あ…言われてみれば……うん。」

 やや落ち着いた表情になり、頷く由美。

 また瞬は、なにやらそこで渋い表情になり、

「……てゆーかよ……まあ…どっちかっつーと落ちてくれたほうが助かるんだけどな…」

「……?」

 不思議そうな顔で首を傾げる由美に、瞬はどこかばつ悪そうに頭かきつつ車の後方

を指差し、

「……?」

 由美もそれに沿って、ハッチバック式の後部ウインドウに目線を移す。

「え……?あ……!」

 延ばした目線の先には、頼り無い街灯に照らされた間道が見えており……

「……な?下の方に、道路見えてっだろ。あそこまで降りられりゃなんとかなんだけど

よ。さっき俺と武史で押したり引いたり……さんざんやったけど、うんともすんともいわ

ねー…」

「……あ……そ、そうなんだ……」

 言って自嘲気味の苦い笑みを浮かべる瞬に、由美も重い表情になり……

 ふと、そこである事に気付く。

「……って、そーいえば、その武史と……あとアッコは?」

「ん?ああ…だから…レッカー呼びに行ってもらってる……」

「あ…なぁんだ、じゃあ、とりあえずひと安心だね☆」

 瞬の言葉に、破顔しほっと息着く由美。

 むろんのこと、『なんだとりあえずひと安心』で済まされるほど、簡単ないきさつでは

なかったことは前述の通りだが……まあしかし、くどくど説明しても何がどーなるわけで

もなし。

「ま…まーな……」

 苦笑混じりに応えて、とりあえず話をまとめる瞬。

 その一方、ともあれ純粋に『ひと安心』した由美。はふ…と小さなあくび混じりに、フラッ
                      
 瞬 イ ジ メ
トなシートに座り直しつつ、さあ改めてさっきの続きでも……と思ったそのとき……

「……あ…」

 ルームライト下の瞬の顔をまじまじと見詰め……

「やだ…瞬…顔にいっぱい泥ついてるよ。」

「……え?」

 由美の言葉に、頬を擦る瞬。ところどころ、かさっとした感触が指先に当たり、乾いた

土がぽろぽろと剥がれ落ちる。

 そう…言うまでもないが、先ほど、豪雨の中での押したり引いたり…車のリカバーを試

みたときに、跳ね上げたものであろう。

 あまりにも必死だったため、今までまったく気付いてなかったが。

 ともあれ……

「服にもいっぱい跳ねてるし……着替えちゃいなよ」

 由美の言葉に異論があろうはずもなく、

「あ…うん……」

 瞬は、助手席の上を這うようにして自分のバッグのところ……由美のいる後部座席

へと身を移していった。

(4)へつづく。

 

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