メイプルウッド・ロード
                     
〜#3.嵐のI−5〜

(4)

 そして、ルームライトのみの薄暗い後部座席にて、

「えっと…」

 瞬はぐちゃぐちゃになってる荷物の山から自分のバッグを探して、中から着替えを

取り出し―――と…いくらハイルーフとはいえ、瞬の身長ではさすがに立って着替える

ことはできないので、

「…しょっと」

 座ったまま、両足を投げ出すような格好になる。

 かちゃかちゃ…

 ジーンズのベルトを外し、もぞもぞと腰を浮かせて…

 だが、そこで…

 じー……。

「……って、お、おい由美…お前…ちょ…むこー向いてろよ」

 薄闇の中、うつぶせに寝そべったまま視線をこちらに向ける由美の瞳に、瞬は眉を

ひそめる。

 といっても、まあ…この時点では、由美も別に瞬の着替えを凝視していたわけでは

ない。

 薄暗い車内では、特に他に目の置き場もなく、ただなんとなく見ていただけなのだが、

「ふえ? ああ…でも、いーじゃん…べつに…」

「いや…よくねーって」

 きょとんとした顔でこともなげに答える由美に、即返で否定する瞬。

 なにやら真剣に困っているようだが………

 そして、言うまでもなく、そんな瞬の困ったような顔を見るうち、由美の目線は見る間

に好奇の色に変わっていく。

「ん〜〜?くすくす…もしかしてはずかしーの?オトコのクセに…」

 いや…この辺、意外とわかってない女の子が多いようなので一応言っておくが、

 例え男だろーと、じっと見られてる中で服を脱ぐのはけっこー恥ずかしいものがある。

 ご注意願いたい。

 まあ、それはさておき。

 とはいえ、そーいったことを素直にちゃんと説明すればいーのだが、瞬の性格では

そーゆーことを言う事自体がなんとなく気恥ずかしいらしく、

「い…いやまあ…恥ずかしいっつーか…そ、その……とにかく…見てて楽しいもんでも

ねーだろ…むこー向いてろって…」
                                                
イタズラ
 うつむいたまま、なにやらぶつぶつと言いよどみ……だが、その態度で由美の戯謔心

がさらにエスカレートするのはもはや全く言うまでもない。

「ん〜?だって〜〜、なんとなくヒマなんだも〜ん♪」

 頬杖ついて、後ろに投げ出した足をぴこぴこ振りつつ瞬の顔を覗き込む由美。

「…う…。いや…だ…だったら、このとっちらけたモンどーにかしろ〜!」

 たまらず瞬は、着替え途中のおもしろいカッコのまま荷物の山を指差し、真っ赤な顔

で怒鳴り散らす。

 そしてよーやく、

「あはは…はいはい…わかったわかった」

 視線の固定を止め、身を起こしてもぞもぞと動き出す由美。

 どーやら、散らばったバッグの片付けなどに意識を移したようで……

「……ふう…」

 瞬は軽く息付き、改めてジーンズを引き下ろす。

「…しょっ…」

 そこで……

 ぴと…っ。

「…え…?」

 ジーンズを手繰り下ろしつつ、うつむきかげんの瞬の頬に、ふと…ひんやりとした感

触。

「……え?」

 驚いて顔を上げれば、間近に迫った由美の大きな瞳。

「え…あ…。ゆ…由美…?」

 驚き、目を丸くする瞬の目線の先で、由美は、薄暗さのせいだろうか…息がかかる

くらいの距離まで顔を寄せ、

「ん…ん…」

 なにやら、より目がちの真剣なまなざしで、手に持ったウエットティッシュで、瞬の

顔の汚れを拭いてくれていた。

「ばか…。このまま着替えたら新しい方の服にも汚れがついちゃうでしょ」

「え…?あ…う、うん……」

 もっともな由美の言葉に、どぎまぎしながら頷く瞬。

「あーもぉ…ちょっと動かないでよ。ただでさえ見にくいんだから」

「あ…ああ……」

 咎める由美の言葉に、ほわん…となったまま、瞬はしばしおとなしくしてることにする。

 ふきふき……

 ウエットティッシュのほのかなアルコール臭に混じり、由美の甘い髪の香りが届き――

また、柔らかな薄紙越しに、細く小さな由美の指で顔をなぞられる感触は、なんとなく気

持ち良く……。  

 だが…

「…ん…っ…」

 ごしごし……

「…んっ…んっ…」

 ……きゅきゅっ…!

「…って…ちょ…い、いてえって…!ケショー落としてんじゃねーんだぞ」

「ん…?あはは…な〜〜に言ってんの。ケショー落としならこんなもんじゃないよ。

 それにほら…もう終わったよ…」

 拭き取った汚れを包み込むようにウエットティッシュを丸め……

 ぴんっ☆

 瞬の鼻の頭を弾く由美。

「………へ…?あ……」

(…もう終り…?)

 …と、なんとなく寂しい気分に包まれたが、むろん瞬は声に出さず……

「ん? 何よ?ぼ〜っとしてないで早く着替えちゃいなよ」

「あ…ああ……」

 にわかに染まる頬を隠すように、瞬はうつむき加減に再びジーンズのベルトに手を掛

けた。

       

 そしてほどなく、瞬の着替えも終わった頃…

「ねー瞬…?」

「ん〜〜?」

 肩越しに呼ぶ由美の声に、だぶだぶのトレーナーをかぶりつつ、振り返る瞬。

「瞬は…帰ったらどーするつもり……?」

「…え?…ってお前…まだ着いてもいないうちに何言って……まあそりゃ、風呂入って、

ホームワーク

宿題やって…それから…」

「…じゃなくて。日本に帰ってからって事。」

 もはや慣れ切った察しの悪さを、冷たいツッコミで軽く受け流し、改めて聞き直す由

美。

「へ…?ああ…え〜〜と、そりゃまあ…どーっすかな……」

前からけっこー聞かれていた、もはや約2か月後の

 唐       突に、かなり先の 身の振り方を聞かれ、返答に困る瞬。

 とりあえず……

「………お前はどーすんだよ?」
                          
 ガッコー
「あたしは、『前から何度も言ってるように』、大学に戻るけど?」 

「あ…ああ…そっか……そーだったな……」

 考える時間を稼ぐために尋ねた言葉を、一部分を強調しつつあっさり即答する由美

に、瞬は再び口ごもる。

 とはいえ、専門学校卒業後のここ数年は、留学資金を貯めるため、実家の手伝い

やらバイトなどに明け暮れ過ごしてきた。

 憧れだったカナダでの生活も、由美を始めとする他の多数の留学生がそうであるよう

に、将来何かをするための『手段』ではなく、瞬にとっては『目的』そのものであり――

 まあ、せいぜいが実家の店の場所柄、けっこー多い外国人客に対応できるため――

などという頼りない理由もなきにしもあらずだが、それはあくまで後からとってつけたよう

ないーわけのようなものである。

 ともあれ、瞬にとってここ数年の人生の目的を果たしてしまった現在、その後の事を

考えること自体土台無理な話というもの。

 加えて、もとより、明日は明日の風が吹く的考えを最も得意とする性格でもあるし…。

 かといって、けっこぉマジな由美の視線は、「そんな先のことはわからねー」とか

「とりあえずメシ食って飲んで風呂入って寝る」とかゆー答は、許しそうにない雰囲気が

あり……

「う〜〜ん………」

 考えあぐね、なんとか由美の気に入るような答を導き出そうとする瞬。

 だが、真っ正直な見解を封じられた現在、思い付くまま適当な言葉で躱すよーな器用

さはもとより持ち合わせておらず、

「………………」

 しばし、車内に無意味な沈黙が落ち……

「……あ…あはは……いーよ…もう……」

 呆れたように言葉を漏らす由美の口元は笑みの形に緩んでいたが、影になった両の

瞳の色は伺い知ることができなかった。 

「……え…あ……」

 やや顔を背け、虚空へと視線を伸ばす由美に、瞬はかける言葉を失い…

 そして再び…今度はどこかきまずい沈黙が落ちた……。

(5)へつづく。

        

 

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