甘い欧州旅行

第六章 蒼ざめた古城(ノウシュバンシュタイン)

(1)

 

「はあ…はあ……も…もと…あ…き…クン……」

 暗がりの中、荒い息をつきながら、とぎれとぎれに俺の名を呼ぶ美恵さん……

「ちょ…ちょっと待って…早い〜」

 加えて、慌てたような口調で俺に待ったをかけた。

……と、勘違いしたひともいるかもしれないが、いきなりえっちしてるわけじゃないぜ。

だいいち、俺はソッチでは断じて『早く』なんかない! …と、そんなことより先を急ごう。

「んだよ、もう……これ以上ゆっくりなんて歩けねーよ」

 重いためいきひとつつき、立ち止まって後ろを振り返る俺。

「はあっ…はぁっ……だ…だってぇ、ひ…昼間は馬車で行ったから……こんなにキツイ坂…だとは思わなかったんだもん……」

 そこには、腰を折り曲げ、膝に手を付いて息を整える美恵さんの姿があった。

 

 夕食後、

「ねえ…夜のお城見に行こうよ

 …などと言い出した美恵さんにそそのかされ、俺は今、鬱蒼と茂る木々の中、小高い丘(というより、まるっきり小さな山だなこりゃ…)の頂にひっそりと立つ古城…ノウシュバンシュタイン城を目指して、美恵さんと二人、長いスロープをえっちらおっちら登っていた…と、その前に現在俺たちが向かっている先、ノウシュバンシュタイン城について、少し話しておこう。

ノウシュバンシュタイン城…中世の面影を色濃く残し、白鳥城の異名を持つこの美しい城は、ここ、ドイツロマンチック街道においても有数な観光スポットである。

 その美しさもさる事ながら、故バイエルン王国のルーなんとか二世っていう王様が、自分とこの懐具合も考えずにやたら贅沢なつくりで建てちゃった挙句、家臣たちのひんしゅくを買い、わずか百日ほどで追ん出された……という悲しい過去(エピソード)を持っている。(昼間ガイドさんから聞いた話じゃ、もっと悲哀に満ちた感慨深いエピソードだったけど、俺の説明じゃ………ミもフタもないな……(^^;)

 ま…まあ、そんないわくつきの城ではあるが、その比類無き美しさと、まるで童話の世界から抜け出てきたようなその外観は印象深く、名前を知らない人でも、ここの絵葉書でも見せれば、ああどっかで見たことがある城だな……くらいには思うだろう。

 あ、そうそう、ディズニーランドのシンデレラ城はこの城がモデルになってるらしい……っていえば、よりイメージが湧きやすいと思う。

 まあ、詳しくはどのガイドブックにも書いてあるので、ここでははしょらせてもらうけど、その圧倒的な景観に加え、城全体に漂う妙な物悲しさみたいなものが感じられ(かつての城主の無念がそう見せるのだろうか)、同時に見る者の心を引き寄せるような、なんとも不思議な魅力をかもし出している城であった。

かくいう俺も、いずれまたドイツに来ることがあったら、絶対ローデンブルグとココは外せないぞ。とさえ思った。

 ……思ったが、しかし……今日の今日でまーた見に行くことになるとはな……

 

「だぁから、俺ヤダって言ったんだぜ。それを、『闇の中、ライトアップされて浮き立つようにひっそりと佇む悲運のお城……ロマンチックよねー』とかなんとか言ってさ…」

「あー、なによなによ、基明クンだって結局、行こう、って言ったんじゃない!」

「え…? だってそれは……っと、美恵さん、そこ…馬フンあるよ」

 不満たらたらの口調でこちらに歩み寄ってくる美恵さんの足元を指差す俺。

「え…きゃあっ!! ど…どこどこ?」

「ったく……」

 慌てて飛び退る美恵さんを前にして、俺は頭を抱えた。

 

 とはいっても、そんな乙女チックな美恵さんの提案を鵜呑みにしてこんな苦労をするほど、俺はお人好しではないし、第一、その正体はまるっきりわがまま娘の美恵さんが、こんなほとんど山道のような坂を、ただ『夜のお城が見たい』などという安易な思い付きだけで登り切れるわけがない。

 ……まあ、上でロエベの大セールとかやってるっつーんなら、話は別だが……

 実際、ホテルを出て、目の前の木々が鬱蒼と生い茂る小山を見上げたとき。

「ね…やっぱ、やめよっか?」

 城へと続くほとんど登山道に近いその坂道は、夜の闇も手伝ってなんとも不気味なイメージを醸し出しており、しばし立ちすくんでいた美恵さんは苦笑を浮かべて、俺を振り返った。

 言い出しっぺながら勝手だなー、とはもちろん思ったが、もともとノリ気ではなかった俺は、あっさりとその言葉に頷き、俺たちは回れ右をして即座にホテルに引き返した、のだが……

「あれ? 閉まってる……?」

 凝った装飾が施された頑強そうなホテルの扉。そのレバー式のノブに手をかけた美恵さんが怪訝な顔を浮かべた。

「基明クン、コレ…開かない…よ?」

 と、ここで、ちょっと説明しとかないといけないが、俺たちの今晩の宿は、ノウシュバンシュタイン城下、一軒しかないこのホテルである。

 このホテルは、ちょっと作りが変わっていて、フロントやレストランがある建物と、宿泊する建物が少し離れて建てられていた。

 まあ、こんな風にホテルのメイン部分と宿泊施設が別棟で建てられていること自体は、そう珍しいことではないが、うら寂しい街道に、宿泊する機能しか持たない建物がぽつんと建つ様はかなり異様である。

 くわえて、雰囲気を出すためなのか、あるいは、ただ昔ながらの建物をそのまま使っているだけなのかは知らないが、受ける印象も『ホテル』というより中世の騎士たちが詰める寮、といった感じ。

 …まあ、これはこれで趣があっていいのだが……

 

「んなわけないだろ。まーたわけのわかんないこと言って……押すんじゃなくて引くんだよこれは」

「し…知ってるわよ。そんなこと! だったら基明クンやってみなさいよ!」

 呆れた口調で言う俺に対し、美恵さんは憤慨した様子で、ドアを指差した。

「ったく、なに考えてんだか……っと?」

 …え? あ、開かない……?

「んっ! くっ!」

 俺はかなり力を込めて、押したり引いたりしてみる……が、しかし、観音開きのこの大きなドアは堅く閉ざされたまま、ビクともしなかった……

「ほーら、見なさいよ」

 俺の傍らで腕組みし、勝ち誇ったように言う美恵さん。

……って、あんた、そんなえばってる場合じゃないだろ……と、俺も美恵さんを非難してる場合じゃない。

 いったいどーいうことなんだ? これは……?

 治安のため……? いやいや、まだ夜の七時過ぎだぜ。大体、この建物…宿泊棟には飲食する施設が無いんだから、一杯飲みに出掛けたりする客だっているだろーに。鍵なんかしちゃったら、みんな俺たちみたいに閉め出しくっちゃうじゃん……

 っと、待てよ、カギ……?

 かちゃかちゃ

 俺はふと思い付いて、取り出したルームキーを鍵穴に合わせてみたが、形自体が全然違っていた。

「ちっ…だめだ……」

「フロント行って聞いてこよーか」

 憎々しげにドアを見据える俺を見兼ねたか、神妙な声で言う美恵さん。

「うーん……」

 その言葉を聞いて、俺は、緩やかに蛇行する街道の先、二百メートルほど行ったところでちらつく灯を見詰めながら、さらに深く考え込んだ。

 確かに、あそこ…フロントまで行けばどーにかなるだろう。どーせラウンジで飲んでるだろう凌や峰岸さんなんかと合流してもいいし。

 んでも、ちょっと待てよ。それじゃちょっと面白くないんじゃねーか……

 軽はずみな思い付きでこんな苦労をしなくちゃならなくなったツケを、どなた(、、、)()に払ってもらわなきゃいけないし……

 俺はそこで、先程、不気味な闇がわだかまる城までの坂路を怖々と見上げてた美恵さんの表情を思い返した。

「…………☆」

 ふっふっふ……思い浮かぶぜ……暗がりの森の中、俺の傍らにしがみついて闇に怯える美恵さんの姿が………

 心の中で、にんまりと笑みを浮かべる俺。

 どっかの誰かさんのとは段違いの、スンバラシイ思い付きを胸に、俺はくるりと美恵さんに向き直った。

「蒼ざめた古城」(2)へつづく。

 

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