甘い欧州旅行

第六章 蒼ざめた古城(ノウシュバンシュタイン)

(2)

「うーん、こうなりゃ、やっぱ城まで行ってみよーよ。んで、帰ってきてまだ閉まってたら、そん時、フロントいけばいいじゃん? こんな時間にヘタにあっち行って、峰岸さんなんかにとっつかまったら、まーたツブされちゃうぜ」

 困った顔を見せつつ、後ろ手にフロントの方を指差して言う俺。

 そして、経験者(?)だけが知るこの言葉の重みに、美恵さんはあからさまに顔色を変えた。

「……あ。そ、そーね。ンなことになったら、また明日キツくなっちゃうしね……。

 よし、いこいこ。どーせ、もともとそのつもりだったんだし……」

「おーし、決まり。じゃ……」

「あ、待って、基明クン」

「……?」

 歩み始めた俺が振り返ると、ちょこちょこっと駆け寄ってきた美恵さんが、俺の腕を取り、ぴったりとくっついて言った。

「コワイから、離れちゃヤだよ……」

 ふふーん、予定通り☆

 

 と、そんな訳で、結局『夜のお城☆』を観に行くことになった俺たち。

 当初は、俺の腕にしがみつき、きゃあきゃあわめく美恵さん(の胸やお尻をどさくさまぎれに触りまくったりなんかして(^^;)と、じゃれあいながら歩ってたのだが、なにしろこの坂路、道幅は結構あるのだが、未舗装でかなりでこぼこしており、明りと言えば、所々に心細い光を放つ街灯があるだけで、足元が見にくく、歩きにくいことこの上ない。

 ……馬フンがやたらと落っこってるし……

 また、くっついているとつまずいて危ない上、くたびれるので、歩を進めるうち、俺たちはどちらともなく、離れて歩くことにした。

 暗闇に慣れたのか、美恵さんもほとんど怖がらなくなったし……

 …つまり、この時点で俺は、もう城まで行くことなんかどーでもよくなっていた。

 が、しかし、もうすでに八割方登ってしまったし、いまさら、俺はもう十分楽しんだから帰ろう、などと言い出せる訳もなく、冒頭の通り、文句たらたら言いながら、後ろを着いてくる美恵さんを『叱咤激励』して、その頂上を目指している、という訳である。

 ……と、まあ長い前置きだったが、そのおかげで、その間に距離も稼げたみたいだ。

 生い茂る木々の割れ目に、ライトアップされたノウシュバンシュタイン城の白い壁が見えてきた。

 

「うっわぁーっ! やっぱきっれいねーっ!」

 開口一番、感嘆の声を上げる美恵さん。

 どーにかこーにか、城の建つ高台まで辿り着いた俺たち。

 ちょっとした広場になっている空間の向こう、そこには、四方からの巨大なライトで、闇の中に青白く浮き立つノウシュバンシュタイン城の姿があった。

「へえ……!」

 美恵さんほどではないにしろ、俺も感嘆の息を漏らす。

 昼間見たときとは、まるでその様相が違っていたからだ。

 美しい…という言葉では言い表せないほどの、そう、何か神々しささえ感じる威光を、城全体が放っているようにも思えたのである。

 ただ……

「………?」

 ぼわぼわっ、と全身が何かに包み込まれるような妙な感覚に俺は顔をしかめた。

 な…なんだ?

 そう、例えていうなら、ぬるま湯に漬かっているところへ、じわじわと冷水を差し入れられているような……

 奇妙な感覚に首を傾げる俺の視線の先で、うっすらと張り出したモヤが城を照らすライトの軌跡を作っていた。

 

「ね…基明クン……」

「え…?」

 闇に浮き立つ白亜の城を眺めたまま、こちらを振り向きもせずに発した美恵さんの声で、俺は我に返った。

 …ん? けど、美恵さんのこの声……?

「あ、ああ、ごめん。何、美恵さん?」

 いつもより高く、それでいてかすれているような声を発する美恵さんを不審に思いながらも、再度問い返す俺。

 すると、美恵さんは、そんな声のままとんでもないことを言い出した。

「ねえ、ちょっとだけ中入ってみない?」

 ……え? 

「な…? は…入るったって……」

 あまりにも非常識な美恵さんの申し出に戸惑いながらも、俺は反射的に城の入り口、大きな城門へ目を向ける。

 昼間の観光のときは、そこに係員の入ったブースが設けられ、入場料を払って城内を見学したわけだが……

 もちろん、夜も更けた今は、城門は堅く閉ざされ、中に入ることなんか到底出来ないはず。

「な…何言ってンの? 美恵さん……」

 妙なことを言い始めた美恵さんに、得も知れぬ不安を覚えながらも、俺は苦笑を浮かべて彼女のほうを見た。

 すると……

「だって、ほら、あそこ…開いてるよ。あそこから入ろうよ」

 美恵さんは相変わらず、感情のこもっていないような口調でそう言い、城門から少し離れた場所…白い城壁が連なる中心辺りを指差した。

 確かに、そこは通用口だろうか、壁をくりぬいたような小さな木戸が設けられていた。

 が、しかし、こんな時間にそんなとこが開いてるなんて考えられない。

 俺は、一笑に付して、

「んな馬鹿な…あ、開いてるはずないじゃ……」

 もう一度木戸のほうに目を向けつつ、言い掛けた言葉がそこで凍りついた。

 ……あ…開いてる……?

 確かに。ほんのわずかだが、木戸はその壁との間に隙間を作っている…ように見える。

 う、ウソだろ…? 一応ココって、超有名な観光スポットで、この城自体重要文化財かなんかだろーよ。こ…こんな不用心でいいのか……? い…いやいや、その前にたとえ開いてるからって、入っていーわけないだろーが。

 などと、俺が驚きと戸惑いで、様々な考えを巡らせていると……

「ホラァッ 基明クーン! 早くゥ!」

 すでに美恵さんは、広場を突っ切って件の木戸の近くまで行っており、振り向きざまに大きな声で俺を呼んだ。

「え…? ああっ! ちょ…美恵さん、いくらなんでもまずい…って…………あ?」

 あまりにも常識外れなことをしようとしてる美恵さんを止めるべく、慌てて駆け寄ろうとした俺だが……

 な…何だ……アレ?

 口に両手を当て俺を呼んでいる美恵さんの背後、不審にも開け放たれている木戸から、青白いモヤのようなものが………

「み…美恵さんっ! う…後……んぁぁっ!?」

 う…後ろっ!

 驚いて、そう美恵さんに注意を促そうとしたのだが、

 ぎゃぎゃぎゃっ!

 突然襲いかかってきた、頭痛…いや、それとはすこし違う強烈な不快感に俺は言葉を失ってしまった。

 ……そう、例えていうなら、複雑に絡み合った無数の金属のバネが、頭の中でひしめきあっているような感じ……

「うううっ!」

 耐え難いこの強烈な不快感に、俺はまともに考えることはもちろん、立っていることさえ出来なくなって、その場にがっくりと膝を着き、前のめりに倒れ込んでしまった。

「ああっ! も…基明クンっ! ど…どーしたのっ!?」

 ようやく異変に気付いたか、美恵さんの慌てた声が俺の耳に届く。

皮肉にもその声の調子はいつもの美恵さんのものに戻っているようだったが、今の俺はそれどころではなかった。

「っ…ぐぐ…うっ……」

 いまだ続いているこのなんとも言えない不快感に耐えながら、俺はなんとか美恵さんの方へ目を向ける。

 そして、俺はさらにとんでもないものを目撃することになった。

 

蒼ざめた古城」(3)へつづく

 

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