夢戦士伝説・U

六本木心中

(15)

「ゆ…勇太郎!?」

 知子の叫びに―――

「ぐぅっ! で…でーじょ…ぶ…だ。な…んとか……急所は…外し…た……」

 倒れ伏した勇太郎は僅かに首を傾け、苦悶の表情を浮かべつつ言う。

 急ぎ、蓮にしていた回復作業を自分の腹に向けるが、傷はそうそう浅いものではな

い。

 時間をかければ、なんとかなりそうだが、しかし………

「…そ…れより……き…気ぃ…つけろ……来る…ぞ……」

 地を舐めるような格好のまま、勇太郎は震える指先を自分の足元のほうへ向けた。

 ざあっ

 向かいくる気配に、怯えるように木々がざわめく。

 そして、
                       
カッパー
「ふーん、それで死なないってことは、赤銅竜との戦いで、少しは力を取り戻したって

訳か……」

 たゆたう瘴気を身に纏い、歩み寄ってきた小柄な影……マリオネット。

「けど、あの程度じゃ、とうてい僕を倒す…どころか、傷付けるにも至らないね。
                
  ミラージュフォーム
 ったく…ちょっとびっくりして、幽身分離なんてやっちゃったけど、もったいなかったな。

 まーだ さっきの知子ちゃんの術のほうが熱かったくらいだよ」

 先程以上に不快な様子で呟き、知子たちとの距離、五メートルほどのところで、足を止

めた。

「…………」

 傷つき倒れる二人の戦士に目を移す知子。

 蓮の傷は、すでにほっておいても心配ないほどに回復しているようだが、それでもまだ

自力では立ち上がれぬ様子。

 もっとも、仮に立ち上がれたからといって、今後本気を出してくるであろうマリオネット

の実力に、まともに相対できるレベルではないだろう……。

 また、致命傷ではなかったとはいえ、苦悶の表情を浮かべうずくまる勇太郎も、未だ予

断を許さぬ状態……

 そして、弱体化した自らの魔力では、この形勢を打破できる術は―――ない。

 言うに及ばず、絶望きわまるこの状況に―――

「…………。」

 短くも長い苦悩の果て―――決意の表情をあらわに、知子は静かに立ち上がった。

「ん……?」

 マリオネットの目線の先では、うつむいたまま、なにやら呟く知子の姿。

   

 ――――淫華奉納………

   

「あれれ?ナニ? 今さら、何の呪文唱えようっていうのさ?わかんないの……」

 侮蔑と嘲笑あらわに、目の前の愚かな女魔道士に言葉を向けるマリオネット。
 ツォンツァイト=ベラミィ 
「闇  天  使の力が覚醒してないキミの術なんて何をどーやっても………」

 だが、そこまで言って、マリオネットの言葉は凍り付いた。

   

 熱き蜜の滴りのもとに来たれ……

   

 知子の唱える呪文の正体に気付いたからだ。
                      
ヴァージ・ニクス  
「なっ!? ま…まさかそれ………ヴ…『夜魔黒恋城』!? あ…あは、う…うそでしょ?」

 口元を歪ませ、乾いた笑いを浮かべるマリオネット。その口調に微かな恐怖の念が

籠る。

      まがだま
 
至高の禍魂

 迸る肉欲を以て

   

「や…やめろぉっ!」

 知子の本気にようやく気付いたのか、あからさまに取り乱し、

 ぼぉっ!ほぉん!

 呪文の詠唱を止めさせようと、マリオネットは狂ったように力を解き放った。

 先程と同じ、目に見えぬエネルギー波が、四方から知子に襲いかかる。

 が、それはどれも知子の身体に届くことなく、

 す…っ。すぅっ……… 

 知子の周囲に生まれた黒い影に溶け込むように飲み込まれていった。

 いわゆる、呪文詠唱時に術者を守る、魔法障壁である。

 これは、術の威力に比例しその効果を高めるものであるが、本来、さほど強いもので

はなく、気安め程度にしかならないものである。

 しかし、今、圧倒的な力を持つマリオネットの攻撃を防ぎ切った。と言う事は、現在、

知子が唱えている呪文…その威力は計りしれぬほど、強大なものである事が伺い知れ

る。

「や…やめろって言ってんだろっ! いいのかっ? 千の悪魔に凌辱されるんだぞ!」

 それでも、力の解放をとどめる事なく、取り乱しわめき散らすマリオネット。
          
   ヴァージニクス
 それもそのはず、『夜魔黒恋城』とは、暗黒の魔力を源とする魔法の中では、ほぼ最

強に属する秘術―――

 そう、好色かつ強大な力を持つ千の悪魔をその居城ごと召びだす呪文なのであった。
                
 レッサーデーモン アークデーモン
 むろん、呼び出す悪魔は、下級魔族や上級魔族などといった、人の世界における
                                           
デヴィル
『獣』と同類されるような最下級の魔族とは全くレベルの違う、純然たる高位悪魔族で

ある。

 すなわち、この呪文によって術者は、その凄まじい攻撃力を持つ数百数千にも及ぶ

強力無比な悪魔たちを自由に仕えさせることができるのだ。

 また、この呪文の行使にはさほど大きな魔力は必要としない。
 ツォンツァイト=ベラミィ 
 闇  天  使という、大いなる暗黒の勇者の加護を受けている知子なら、いつでも発

動させる事ができるのだ。

 ―――しかし…………

 しかしである………。

 その代償は決して少ないものではない。

 触媒として、術者は、呼び出し仕えさせる悪魔たちの欲望を満たさねばならないのだ。 

 つまり、この呪文を発動・行使するためには、マリオネットの言葉通り、己の肉体を

色欲に狂う悪魔たちに捧げねばならないのである。

 むろん、その肉体的精神的ダメージが想像を絶するものであることは、言うまでもな

く……おそらくこの苦痛の前では、死すら生ぬるいものであるだろう。

 だが、この術を発動・成就させるからには、術者は死ぬことはもちろんのこと、自我

の崩壊を起こすことも許されない。

 あくまで正気を保っていなければ、悪魔たちをコントロールできず、暴走させてしまう

からだ。

 術中、正気のまま、おぞましい悪魔たちにその肉体を犯され続ける……

 それが、どんな地獄であるか、想像に難くはないだろう………。

 やがて、

 大気に墨を流したように、知子の周囲が黒く澱み……

 彼女を取り巻き、漂い流れる漆黒の邪気が、首筋、腰の辺りを舐め回し始めた。

「……んぅっ…!……」

 この上ない悪寒、また己の意思とは裏腹の不自然な肉体の高揚を堪えつつ、知子

は一心に呪文を唱える。

    

 や…闇の聖杯を満た…さん………

    

 朗々と響く知子の詠唱に呼応するように、取り巻く邪気の密度がより濃くなっていき…

「ん…くふ…ぅっ!」
                                          
よこしま
 つま先からふくらはぎ…太ももにかけて、螺旋を描いて登りつめてくる邪な感触。

 前から、後ろから…『そこ』を狙って潜り込もうとする黒い邪気に、

「んぁっ…や…あ…あふぅっ!!」

 嫌悪と、そして淫妖な……例えようのない肉体の疼きに、知子の身体はくの字に折れ

曲がる。

 ……むぉぉぉん……

 だが、それを許さぬように、背後から迫る…触手に似た感触が腰を押さえつけ、

 ついには、熱のこもった大きな掌を象った触手に乳房をわしづかみにされ、身を引き

起こされ……

「んあっ……や…やっぱり……イヤぁ……!」

 悲痛な表情…ついぞしたことのない、泣き出しそうな少女の表情で、知子が天を仰い

だ……

 その直後……

 ……………?…………。

(……『熱のこもった』……?…………あったかい……?)

 脳裏によぎるわずかな疑念……。

 妙にはっきりした感触に、思わず、その方向…背後を振り返る知子。

「………え?」

 そこには、背後から自分を抱きしめている、寝ぼけ眼のひょろ長いひとりの男……。

「き………恭…介………?」

「………おう…」

 ………むにむに……。

 まるで抑揚なく、応える彼の声と、未だまさぐる両の掌の感触を胸に捉えて……。

 …………………………………………

 長い刹那の沈黙の後……。

 --き―――

「き…き…きゃあああああああああああああああああああああああああっ!?」

 知子の悲鳴が響き渡った。

 むろん、呪文は中断、澱んだ邪気は瞬時に周囲に弾け散る。

 と同時に、知子は荒々しく恭介の手を振りほどき、

「な…なななによ!なによ!なによ! 何なのよぉっ!あんたわぁぁぁ〜っ!?」

 両胸を覆い、顔を真っ赤に染めて怒鳴り散らす。

 むろんもはや呪文どころの騒ぎではない。

 だがそんな知子の調子をまるで意に介する様子もなく、

「……いやその、やっぱ一応彼氏としては、その呪文使わせるわけにはいかないべ

や?」

 鼻の頭など掻きながら、のほほんとした口調で言う恭介。

「い…『いかないべや』……じゃないわよっ! だ…だいいち、こんなタイミングで出て来

んなんて、あんたのキャラじゃないじゃないっ!」

 さらにまくし立てる知子に、恭介はぼさぼさ髪に手を突っ込み、ぼりぼりやりつつ、

「うん………まあ、俺もそう思うけどよ……他にいねーじゃん。

 ほれ…蓮…って言う子…そっちの女の子は、ケガしてるし素っ裸だし、勇太郎はひっく
 
けー
り返って、どー見ても役にたちそーにねーし……」

「………あんた…いくらなんでもそりゃヒドいよ。……って、そうじゃないっ!

 だいたい何であんたこの呪文知ってんのよっ? あたしだって初めて使うのに……

 ……もう使う気はないけど……」

「へ…? だって、おまえ言ってたじゃん。前に。何かえっちな呪文があるとかなんとか。

 それと、今のマリオネットの言葉聞いてだな………」

「……へええ。じゃー、あんた、その辺で見てたわけ……?」

 顔を引きつらせ、噛み締めるようにいう知子。

「うん。マリオネットがなんか慌ててるとこからぐらいか。俺もあいつのあんなとこ見んの

初めてだったからよ。ちょっと面白くて……」

 屈託のない笑みを浮かべて言う恭介の言葉途中……

 ばきいいいっ!

 突如振り下ろされた手刀が、恭介の後頭部を叩き割った。

「はーっ、はーっ、こんの、ど馬鹿野郎ぉっ!!」

 手刀を放ったのは、知子ではない。腹から血をだくだく流しつつ、息巻く勇太郎であっ

た。

「ちょ…ちょっと、勇太郎!」

「うっせーな、こんな奴かばうんじゃねえよ!」

「…いや…そーじゃなくて。あのさ、それこそこんな馬鹿にかまってたら、いくらあんたで

も………死ぬよ……」

 頭かきつつ、なにやらきまずそーに言う知子。

 そう……本来なら顔を真っ赤にして怒る勇太郎、という場面なのであろうが、多量の出

血のため勇太郎の顔は、血の気が失せ青ざめていた。

「……あ。」

 どたっ……。

 再びひっくり返る勇太郎。

 そして、

「あ…あの…そろそろいいかい?」

 一同のやり取りを唖然と見送っていたマリオネットがようやく口を開いた。
                           
あ ん な モ ン
「ま…まあ、一応お礼言っとくよ。恭介クン。『夜魔黒恋城』使われたら、さすがの僕でも

ヤバかったからね……」

「……そりゃ、どーも」

 顔をしかめ、後頭部を擦りつつ間抜けな返事を返す恭介に、だがすでに、マリオネット

は冷静さを取り戻しており、
                             
レイ=アニエス
「……で、キミが出てきてどうすんのさ? まさか『静寂の壁』の力なしで、僕の攻撃防ぎ

切れるとでも……?」

 言葉と同時に、マリオネットの頭上で、揺らめくオーラが巨大な黒い鎌を形取った。

「あ…!」

 マリオネットの言葉の意味に気付き、小さく息を飲む知子。 

 ………そうだった。

 知子や勇太郎と同様に、恭介もまた本来の力は戻っていないはずである。

 いくら鉄壁の防御を誇る華晶拳の使い手、恭介でも本来の力――『守護心』の助力な

くして、圧倒的なマリオネットの攻撃を防ぎ切れるはずがない。

「んんー、何のことだ…?」

 しかし、恭介はまったく意にも介さない様子で、首を傾げ、無造作にマリオネットに向け

て歩み寄っていく。

「ちょ…ちょっと待ちなよっ! 恭介っ!」

 知子が、慌てて制止を掛けるも、

「まあ、なんだかしんねーけど、とっとと始めて、終わらせようや。俺、疲れちゃって、早く

寝てーからよ」

 すでに恭介は、無防備にも見える独特の構えで、マリオネットの前に立ちはだかって

いた。

「くくく……気付いてないのかいっ、じゃ、その身を以て思い知らせてあげるよっ!」

「ああっ! 恭介っ!!」

 知子の悲痛な叫びが響く中、漆黒の鎌が恭介に振り下ろされた。

 ぶおんっ!

 ……………………。

 だが、

「よお……だから、何のことだよ一体?」

 次の光景では、多少怪訝な顔をしつつも、鼻などほじり、片手でその巨大な鎌を軽々

と受け止める恭介の姿があった。

「なっ!?」

 驚愕の声はその光景を見た一同が、ほぼ同時にあげた。

「おいおい、何そんなに驚いてんだよ? こんなの普通だろーが?」

 周囲の驚愕に心底意外そうな声を上つつ、恭介は折り曲げた肘を戻す勢いで、放り投

げるように黒い鎌を払い除けた。

 その目的を果たせず、鎌は申し訳なさそうに空を舞い、やがて溶けるように霧散して

いく…………

「…な………」

 驚愕の色濃く―――

「なぜだっ! なぜキミは力を取り戻しているんだっ!?」

 叫びつつマリオネットは狂ったように力を解き放つ。

 しかし、それはどれもこれも、恭介の繰る華晶拳の技によってことごとく、受け、或いは

躱されていった。

 通常の人間の目には決して追えない、まさに超人的な激しい攻防……いや、眠そうな

眼でめんどくさそーに、へらりへらりとただ疎ましそうに攻撃を躱すだけの恭介の姿は、

そんなカッコいいもんでもなかったが…

 …ともかく、そんな中……
                             
リバース
「あのさあ、マリオネット。お前、覚えてる? 俺の転化のこと……」

 昨日の約束を確かめるような口調で言う恭介。

「…?」

 攻撃の手を緩めることなく、だが、かすかに感じた違和感に、マリオネットは眉をひそ

める。

 そう、相変わらずの無表情だが、恭介のその身体にじわりとした殺気が満ちてお

り…。

 そして、蓮を除く一同の顔色が変わった。

「や、やべえぞ知子! アイツ…テンパってやがんじゃねえのか!?」

 未だ回復しない傷の痛みを堪えつつ、勇太郎は知子を仰ぎ見た。

 むろん、すでに知子も恭介の異変に気付いていたようで、その顔はやや青ざめており、

「き…恭介……?…も…もしかして……怒ってる…?」

 呟く声も、心なし震えているようだった。

 そんな知子の小さな声が届いているのか、いないのか、
        
てめー                              ダ チ
「…まあ……自分の彼女があんな呪文使うまで追い込められたり、友達が腹に穴あけ

られたりすれば……よ。

 それに……なんだかしんねーけど…寝覚めも悪くてさ……」

 どちらかと言えば、最後の理由に重きを置いたような、そんな恭介の言葉に、

「ちょ…ちょっと待て。それは僕のせいじゃないぞ」

「い…いや……ほんと…やめなよ…恭介……」

「い…いやほら…恭介っ、お…俺ならだいじょぶだから……ほれっ…!」

 顔色を変えて反ずるマリオネットと、引きつった笑みの知子の弱々しい声、苦悶の笑

顔で慌てて立ち上がろうとする勇太郎。

 だが、時すでに遅く、恭介の身体に変化が現れる。

「んなこと言っても……もう…遅…い…みてー…だ……」

 ざわっ。

 ぼさぼさの髪がざわめきだち、半開きの眼が見開かれ吊り上がる。また、周囲には凍

て付くような冷気…いや、霊気が満ち、足元の土砂までもが震え始めた。

「ちょ…ちょっと……ナニが始まるの…?」

 周囲のただならぬ変化に、どうやらそこまで回復できたか、ジーンズを足に通しつつ、

蓮が怪訝な声を上げる。

 が…むろん、取り合うものは誰もおらず。

 刻一刻と染み出でるように、その濃度を増していく白濁した霊気に、呆然と佇み……。

「………って、や…やっばいっ!!」

 そして、いち早く我に返ったのは、知子。

 焦燥の表情をその顔に表すより早く、背に宿る漆黒の翼を力強くはためかせ、

 ぶわぁっ!!

 すでに察してしがみつく勇太郎と、襟首掴んで引き寄せた蓮を引き連れ、上空高くへ

舞い上がった。

「くっ!」

 むろんマリオネットも逃げの態勢に入った。がしかし、

「……お前は……逃がさない………」

 恭介の口から漏れた声は、しかし恭介のものではなく……

 ひゅぅぅ…ん……

 恭介の周囲から伸びた白い霊気が、不気味な唸りさえ伴い、宙に浮かぶマリオネット

の身体にまとわりつく。  

「ひっ……うわあああああああああああ!」
           
かお
 混乱の道化師の貌が、真の恐怖に歪み……。

     アイツ
「あ…恭介……何する気だ……?」
         
オールバニッシュ
「ま、まさ…か、『天地消失』……?」

 はるか上空に浮かび上がった知子たち三人。恭介とマリオネットの様子を見下ろしな

がら、知子と勇太郎の表情は険しく歪んだ。

  

(16)へつづく。

 

   

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