いちばん熱かったあの夏に・・・(2)

 

「ほらほら! 起きなよ! もう着くよ!」

「……ん? あ…ああ…」

 いつの間に眠ったのか、身体を揺り動かされ、目覚める和也。

「ほらぁ、きれいだよ〜☆見て見て!」

 やや興奮気味に舞が指差す窓の外を見下ろせば、眼下には、細切れに漂う白い

雲とコバルトブルーの大海原…そして、その前方には、珊瑚礁にぶつかる白い波頭が

、島の形をくっきりと浮きだたせていた…。

 ぼんやりとした思考をはっきりさせるには、この上ない風景だったが、それ以上に、

「…え…?あ………」

 頬をすり合わせるほど近くに寄った舞の横顔に、どぎまぎする和也であった。

 ポーン

 機内アナウンスが入り、シートベルト着用のサインが灯る。

 まもなく、ホノルル国際空港、到着である。

    

 そして…毎度おなじみの長蛇の列となった入国審査を終え、ようやく空港の外へ出

た和也たち一行。

 外界との境の自動ドアが開くと、ココナッツの香りと共に刺すような熱気が肌にまと

わりついてきた。

 …と同時に和也にはもうひとつ、まとわりつくものが……

「か〜ずやぁ……あっついよォ……」

「ば…ばか、舞…やめろって!んなことしたらよけい暑いだろーが!」

 ちなみに、道中のいきさつで、二人はすでに呼び捨てでお互いを呼び合うようにな

っていた。

「お…おいっ、いーかげんにしろって!」

 ぶうんっ、と腕を振り払い、まとわりつく舞を突き放す和也。

 だが舞は、そんな和也の抵抗を完全に予想していたように、一歩下がって和也の腕

を躱す…が、

「へへ…☆……ん?」

 背後に置いてあった誰かのボストンバッグに、足を取られ……

「きゃ!」 

「お…おい…あぶね…うあぁっ!」

 とっさに、和也は倒れ込む舞の腕をつかんだが、いかんせん、寝起きの身体ゆえ、

踏ん張りが利かず、そのまま舞の上に覆いかぶさるように……

 どさっ…

「……っ!…」

 反射的に伸ばした両手を地面に着いて身体を支え、なんとか舞を押し潰すことだけは

避けた和也だが……

 振り子のようにスイングした頭の勢いまでは殺しきれず…

「おぁっ!?」

 間近に迫る舞の顔。

 ごちんっ。

 おでことおでこが、ぶつかり合い、

「んんっ!?」

 刹那、触れ合う二つの唇……。

「Hmmmmy〜☆」

 やおら通りかかった浅黒い肌の現地人の、からかうような口笛が、やけにはっきり耳に

届いた……。

  

「いてて……わ…わりぃ…」

 ひたいを押さえつつ、だが痛みを上回って残る唇の感触に躊躇しつつ、何とか立ち

上がり、気まずそうな顔を舞に向ける和也。

「………。」 

 先に立ち上がった舞は顔を俯かせ、同じように額を押さえつつ、腰の辺りに付いた砂埃を

払っていた。

「ま…舞…」

 和也は続けて声を掛けるも、舞は黙ってうつむいたまま。だらり下がった黒髪にさえぎられ、

その表情は伺えない……。

(やべ…泣いてんのか?)

 困惑した和也の頭をさらに様々な思いがかき乱す…

 そして…

「……え…?あ……」

 数秒後、ふと気がつくと、舞の大きなイタズラっぽい目が、和也の顔を覗き込んでいた。

「ばか……。あたしのファーストキス…どうすんのよ…?」

 口を尖らせ、潤んだような目で和也を睨む舞。

「い…いや、あ…あの、ホ…ホント…ごめん……」

 そんな舞の視線に耐え切れず、少し目をそらし、心底申し訳なさそうに謝る和也。

 さすがに、冗談ですみそうもなかったからである。

 ところが、

「…くくくっ…」

「…え?」

「あはははっ!ばぁ〜か☆んなことだから、あたしにおちょくられんだよっ、あんたはっ!」

 破顔した舞は、これまでに何度となく繰り返された同じパターンで、嘲りの笑いを和也に

浴びせた。

 もはや、見慣れた光景ではあったが、一つだけ異なっていたことがあった…。

 そう、和也と同じ く、舞の頬もまた桜色に紅潮していたのだ。

 だが、今まで以上の困惑を迎えていた和也が、この微妙な変化に気付く由もなく…

「舞!てめぇ!!」

「…っとぉ!ヘェーん…だ☆」

 やはりパターン通りに怒声を上げ、つかみかかる和也の手をひらり軽やかなステップで

躱し、舞は和也から遠ざかっていく。

 あたかも、未だ余韻の残る火照った顔を冷やすかのように……。

 かくて、その後バス乗り場までの移動中も、二人の戯れは続いていた。

 ぞろぞろと並び行く一行の中、

「ちょっと待てよ! てめー舞っ!」

「へへんっ☆」

 怒声と喜声が上がる度に、列を乱す二人。

 他の参加者は、めーわくそうな顔を浮かべる者、くすくすと笑いをこぼす者、冷やかし

の言葉を投げかけ、さらに二人の戯れを煽る者…いろいろいたが……

 さすがに、

「もう! 和也君、舞さんっ! イチャつくのは向こうに着いてからにしなさい!」

 軽い憤りを帯びた声…引率の講師、依田涼子先生の声で窘めらるハメとなる。

『イチャつく……?』

 なぜかその言葉だけが和也の頭の中に響き渡る。

 それでも、今から目をつけられてはこの先が思いやれられる…と、和也はすみや

かに列に戻った。

 時折、背中をつついては逃げる舞を牽制しつつ… 。

   

 『ESS』用にチャーターされたバスは大型で、車内はエアコンによって程よく冷やさ

れた心地良い空気と、だが万国共通のバス独特の臭いが漂っていた。

 ともあれ、人数の割に広すぎる車内。和也たち一行は席決めをするまでもなく、てん

でに好きな席を取っていく。

「……ふう。」

 ひととき舞から離れ、バス中ほどの席にひとり腰掛ける和也。シートに身を預け、

長旅と、舞とのやりとりのせいだろうか、自然と口から軽いため息がもれる。

 一方、

「や…あたし、この臭いきらーい」

 恵美や他の女の子たちと顔をしかめ合いながら、舞は和也の横を通り過ぎ、最後

方の席へと向かっていった。

「ふん…」

 なぜかつまらなそうに鼻を鳴らし、空いた隣の席へと足を広げつつ、大きく座り直す

和也。

 そんな彼の複雑な心模様をよそに、バスはゆっくりとホノルル空港を後にしていく―

―言わずと知れたオアフ島最大の観光地、ワイキキへと向かって。 

 到着後の行程その1、オアフ島内オリエンテーションの始まりである。

 ところで、これからの彼等の宿舎、そして研修の場となるブリガムヤング大学――

『BYU』は島の北東部に位置し、現在向かっている先、ワイキキとは反対方向である。
                                                 
アサっぱら
 長時間狭い機内に閉じ込められ、また満足に睡眠も取れていない状態で、こんな早 朝

からいきなり観光はないだろう、と思うかもしれない。

 実際、彼らの大半は、そんなことより横になって身体を存分に伸ばしたい…と思っていた。

 しかしながら、東京―ホノルル間の便の関係上、折しも、今はまだ早朝…午前六時。

 普通のホテルなどならいざ知らず、あくまで大学の施設である彼らの泊まる宿舎が、こん

な朝早くから手続などを行ってくれるはずもなく……。

 つまりこれは、オリエンテーションという名目の、体のいい行程の時間調整といったところ

なのであった。

 まあ、それはともかく、

 やがて、空港を出てから20分ほどが過ぎ、 一行を乗せたバスはワイキキのメインストリ

ート、カラカウア・アヴェニューに差し掛かかっていた。

 早朝で、短くも静かな一時を過ごしているワイキキの街並み。日中ならば、ゆうにその3倍

以上の通過時間がかかるだろう大通りを、バスは軽やかに駆けていく。

 朝日を浴びて悠然と佇むモニュメント…ダイアモンドヘッドを前方に。

 だが、

「ふーん……」

 和也を始め、寝不足で脳ミソ半分溶けかかってる一行の目には、銀座の向こうに山があ

る―と言った程度の違和感……いや、それはそれで、非常にシュールな情景のよーな気も

するが……。

 ともあれ、そんなほとんど何の感動もないまま、一行を乗せたバスはきらびやかな高層ホ

テルが林立するカラカウア・アベニューを抜けていった。

 その後、ワイキキ外れで軽い朝食を取り、ますます思考を酩酊させてなお、和也たち一行

は、行程どおりハワイ州議事堂、ホノルル市街などの見学に向かう。

 ……が、むろん、

「………………………。」

 ほどよい満腹感と時差ボケ、及び睡眠不足で、座席から立つのさえおっくうになっていると

ころへもってきて、度々バスから下ろされてはハワイらしからぬ、どうでもいいような建物や

風景を延々見せ付けられ、

「…あふ……」

 幾度となく漏れる生あくびと、あからさまにうんざりとした表情を交互に浮かばせる一行。

 といっても、ほとんど思考がマヒしたような状態だった彼らは、文句の一つも口にすること

なく、黙々と機械的、事務的にこの時間潰しの行程をこなしていった。

 やがて、最後の見学地を出ると、バスの足は徐々に市街地から離れていき、大きな幹線

道路…オアフ島の中央を抜けるハイウェイ2号線に入っていった。

 どうやら、ようやく宿舎…『BYU』に向かってくれるようである。

 誰もが心中、ほっと息を着いたころ、 

「へええ!」

 ハイウエイに入り、片側六車線の広い道路を目の当たりにした和也は、しばし目を丸

くし、その眺望に見入っていた。想像していた広いアメリカのハイウエイの景色がそこに

あったからだ。

 さらに、バスは20分ほど2号線を走ると、側道を上がり、速度を落として州道99号線へ

と進路を変えていく。

 州道に入ると、道路は片側2車線と狭くなったが、同時に周囲の建物の数は格段

に減り、代わりに道路の両側には生い茂るパイナップル畑が広がり始めた。

 どこまでも続いていそうな一本道…。広大なパイナップル畑……。

 先のハイウエイを見て感じたものとはまた違う、アメリカの展望である。

「おお〜☆」

 和也の心が弾む。

 いーかげん、市街地の景色にうんざりしていた和也は、この光景を見て、今更ながら

外国にいる自分を実感したのだった。

 だが、それとは対象的に、

「やだあ、なんにもないじゃない! もしかして(宿舎は)こんなところじゃないでしょーねー。

これじゃ買い物も行けないじゃんっ!」

 後方の席から悪態をつく舞の声が車中に響き渡る。

(へへ…ざまあみやがれ…)

 さんざんっぱらおちょくられたことに対しての復讐が少し果たせたような気になり、

胸の内でこっそりほくそ笑む和也であった。

 ともあれそんな異なる二人の思惑をよそに、やがてバスはパイナップル畑の谷間を抜け、

海を臨んだT字路を右へ…島の北側の海岸線、州道83号線に入っていく。

 ノースショアを後方に、どこか妙な郷愁を誘う町…ハレイワを抜け、周囲にほとんど建物

がなくなると―――

「うお…☆」

 反対車線の向こう側、生い茂る新緑のフェニックスの木々の合間から、人気のない

美しい海岸や入江が見え隠れし始めた。

 それはさながら、映画にでてくる無人島のワンシーンのようにも思え、和也のみならず、

寝ぼけ眼の一行の表情が一気に輝いた。

「きゃああ〜☆ きっれーいっ☆」

 後方の席から、女の子達の黄色い声が上がる。

 そして、先ほどの悪態もどこへやら。さすがの舞も、驚いたような顔で目を輝かせていた。

「こんなところをステキな人と二人で歩けたら、最高ね☆」

 次々に上げる黄色い声の中、少しハスキーな舞の声が際立ち、まともに和也の耳を突い

た。

 折しも、和也はこの美しい海岸線を見ながら、様々なプランを練っていたのだが、

この舞の言葉が耳に届いたせいか、プランの中の登場人物が二人になってしまい……

「……ったく、何であいつは人の想像までじゃますんだよ…?」

 我に返った和也は、誰に言うともなく、口を尖らせそう毒づいた。

 僅かに紅潮した頬に手を添えて……。

 間もなく、バスは道路表示が示す角を曲り、ブリガムヤング大学周辺へと近付いて

いった。

   

 大学の周辺には、ハワイを含むポリネシア諸島の歴史や文化を見学できる『ポリ

ネシア文化センター』と、白く美しい作りの建物、モルモン教徒の神殿があり、これ

らは一応、どのガイドブックに載っているほどの有名な観光スポットであった。

 しかし、交通の便が悪いこと、 或いは、今時の観光客を呼び寄せるほどの魅力が

ないのか、この近辺はワイキキやホノルル市街と同じ島内とは思えないほど、のど

かな雰囲気であった。

 次いで、生い茂る緑の中、南の島らしいのんびりとした近隣の住宅地を抜け、バスは

BYU構内へと入っていく。

 無人の詰所があるゲートをくぐり大学構内へ入ると、そこには、白を基調としたキャンパス

が広がっていた。

「へえ……」

 リング状に敷かれた私道に沿うように建てられた様々な校舎を見やりつつ、軽い感嘆が

和也の口からもれる。 
                  
 ブリガムヤング大学
 分校であることもあって、この『 B Y U 』ハワイ校は、アメリカの大学にしては規模

の小さい方であったが、大学のキャンパスを初めて見る和也にとって、それはとても広々

としたイメージに映ったのだった。

 そして、ぐるりリング状の道路を一周した後、バスは一行の宿舎となる学生寮の建物

近くで駐まり、本日の役目を終えた。

  

「はーい、皆さんこっちに集まってー」

 依田先生の指示で、バスから荷物を降ろし終えた一行は、学生寮の前…全員が入れる

ほどの木陰を持つ大きな木の下に集合した。

 簡単な大学構内の案内や、これからの行程等の説明を受けるためである。

「――じゃ、皆さん、しおりを参照しながら聞いてくださいね。えーっと、今日はこれから……」 

 白いハンカチで、額の汗を拭きつつ、自らもアンチョコを手に説明を開始する依田先生。

 だが……

 ぴぃぴぃぴぃ……きゃっきゃっきゃ…くぅぅぅぅ……

 どこからか、あまり聞き覚えのない鳥の歌声…。木陰を吹き抜ける南風が露出した肌を

心地よく撫でていき……

「……ん〜……」 

 当初こそ、メモなど取りつつ真面目に聞いていた和也だったが、次第に説明の重要

度が減るに従い、

「ふああ……」

 なんともいえない気持ちよさと、時差ボケによる疲労感が相合わさり、思わず口から漏れ

たあくびが、和也の集中力を完全に途絶えさせた。

「ふああああああ……」

 二度目の大きなあくびが漏れたとき、和也の視線はもはや完全に依田先生のもとから

離れ、周囲を泳いでいた。

 雲一つない、青い空。照り付ける太陽の光は生い茂る木の葉によって、やわらか

な木漏れ日となって、一行の顔をまだらに映している…………

 と、その時、やや斜め前方に、眠そうにボーッと立っている舞の姿が……。

(おっ……☆)

 さんざんおちょくられている舞に、仕返しするいいチャンス! と、和也はそーっと場所を

移動し、舞の背後に近寄っていく。

(へへ……)

 気付かれないように舞のヒザの裏側の部分に自分のヒザを折り曲げて当て、そのまま前に

押し出すよう に、とんっ、と突いた。

 ……かくんっ。

「きゃうっ!?」

 急に自分の下半身が無くなってしまったような感覚に驚き、軽い悲鳴を上げる舞。

 だがしかし、すぐに背後の和也の存在に気付くと、

「な…なに……和也ぁ?もうバカ!何すんのよーっ!」

 と、予想以上の大声を出した。

 むろん、この声で説明は中断。二人はその場にいた全員から注目を浴び……

「………。」

 またなおかつ、依田先生からは、

「あなた達、いいかげんにしないと、みんなより少し早く帰国してもらうことになるわよ!」

 と、やや…いや、かなりきついお叱りを受ける。

……バカ、あんなにでけェ声、出す事ねぇだろ…

 依田先生のきつい視線が外れたのを見計らい、舞の頭を小突きつつ、小声で言う和也。

「なに言ってんのよ。あんたこそ時と場合を考えなさいよ…ホンット、ガキなんだから!」

 舞はやはり声を潜めて、だが、より強く和也のわき腹をヒジで突き返す。

「いてっ…! て…てめーなぁ〜っ!」

 和也の大声で、皆の視線が再び二人に集中する。もちろん、依田先生の冷たい視

線も……

「…………。」

「……あ…。い…いやその……あはは……」

 暑さから流れるものではない汗を額に光らせ、愛想笑いでその場を離れる和也。

「ぷ……くくく…」

 笑いを堪える舞の肩が小さく震えた。

 

つづく(3)へ

読むのを止める