いちばん熱かったあの夏に・・・(3)

 

 その後、ほどなく依田先生からの説明も終り――

 それぞれ割り当てられた部屋の鍵を受け取り、次々に宿舎へと向かう参加者たち。 

 宿舎となる学生寮は、今、皆が集まっていた大きな木の向こう、二面のテニスコート

を挟んで二棟建てられていた。

 向かい合った三階建ての建物には、外に張り出したオープンテラス風の廊下が、各階

ごとに三本走っており、等間隔に並ぶ真っ白な部屋のドアには、金色のローマン体の文

字で部屋番号が掲げられている…。

 一見すると、リゾートホテルのような作りだが、所々、開け放たれたドアの向こうを

覗けば、コインランドリーの並ぶ部屋や談話室らしき部屋もあり、なるほど、学生寮

であるところの生活感が伺えた。

 しかし、その割りには……

「なあ、なんで、こんなにがらんとしてんだ……?」

 割り当てられた部屋へ向かう途中、和也はやけに閑散としている寮の敷地内を見
                
         みの きよまさ
回しつつ、同室となった同い年の少年、美濃清正に尋ねた。

 テニスコート脇でスーツケースを転がす音がごろごろと響く中…

「え…?なんだよ、聞いてなかったのかよ?」

 やや、前を歩く清正は足を止め、少し骨張った端正な顔を和也に向けた。
 
みの きよまさ
 美濃清正…スラリとした長身、どこか物憂げな雰囲気を持つ大人びた少年で、その

風貌から察するに、いかにも女の子の人気を集めるタイプである。

 が、それを知ってか知らずか、本人は余り気に止めている様子もなく、とかくありが

ちな嫌味や軽薄さは感じられなかった。

 もっとも、理知的な態度はイメージ通りだったが、むしろ、その性格は結構男っぽ

く、和也はなんとなくこの少年を気にいっていた。

 ともあれ、

「だからぁ、夏休みで、寮に残ってる学生はほとんどいないって……それに、こっち

の学校は今、新旧入れ替えの時期だろ? そのおかげで俺たちがその卒業してっ

た連中の部屋を使えんじゃねえか……」

「ふうん」

 面倒臭そうに、頭を掻きつつ言う清正に、さして感心した様子もなく相槌を打つ和

也。

「……あ、そっか…そういや、お前…その話してるとき、なんか忙しそうだったもんな?」

 そんな和也を一瞥し、なにやら思い出したように清正は意味深な笑みを向ける。

「え? あ…い、いや………。と…とにかく、もう行こうぜ!」

 そして和也は、その笑みから逃れるように、清正の脇をすり抜けると、今まで以上に

派手な音を響かせ、スーツケースを転がしていった。

   

「はあぁ……、やっと着いたな」

 部屋に入った和也と清正。なんとなく自然にお互いのベッドを決め、とりあえず腰を

下ろした。

「ほれ」

 言葉と共に小さな箱を和也に投げ付ける清正。

「へえ、ショッポーかよ? なかなか渋い…つーか……これってオッサン煙草じゃねぇ

……?」

 胸の前でそれを受け取り、和也はなにやらぶつぶつ言いつつも、箱から一本取り

出し、清正へ投げ返す。

「ん…」

 受け取る清正は、先程、コインランドリーの部屋にあった自動販売機で買った

缶コーラの残りを飲み干しており…

「よっと…」

 その空き缶をベッドに挟まれたサイドテーブルの上に乗せ、即席の灰皿とする。

 ちなみに、ここBYUはモルモン教系の学校であるため、酒タバコの類はご法度である…

というより先に彼らは未成年であるが……。

 まあ、それはそれとして、

「…………。」

 くゆる煙が室内に漂い、しばし口をつぐむ二人。

 心地好いくつろぎの沈黙である。

 そして……

「――にしてもよ……」

 ややあって、先に口を開いたのは清正であった。

「…ん?」

「…橘…いや和也か、お前も結構ちゃっかりしてんな?早速、彼女作っちまうとはよ…?」

「…………。 ゴ…ゴホッ?! ごほごほごほほっ!がはっ!!」

 なんとはなしに言った清正の言葉に、一瞬間を置き、盛大に咳きこむ和也。

「バ…バカ言ってんなよ! だ…誰があんな底意地の悪ィ女に……ゴホッ…ケホッ…」

 慌てて反論しようにも、ひりつくノドの痛みは治まらず、言葉にならない。

 一方、清正はその機を逃さず、さらに追い討ちをかける。

「ふ〜ん…そうか? でも…その割りにゃあ、結構楽しそうに見えたけどな…お前。

 なんだ、じゃ、ありゃ俺の気のせいか?」

「ゲ…ゲホッ…あ…たりめーだろ」

「ふうん、そっか。じゃ……」  

 そこまで言うと、清正は言葉を止め、ベッドにごろりと横たわり……

「……」

 天井を見つめ、一度大きく煙を吐き出した後、

「…そんなら、俺が舞…狙っちまおうかなぁ……」

 独り言のように、ただし、和也に聞こえるくらいのトーンで呟いた。

「え…?」

 にわかに顔色を変え、あからさまに裏返った声をもらす和也。

 先程とは違う雰囲気の沈黙が室内を覆う……

 ややあって、

「ま…そんな冗談はさておき………ぷっ! うわははははは!」

 伸びた煙草の灰を落とすべく、身体を横に傾けた清正が、突然吹き出した。

 彼が上目遣いで見つめた先には予想以上に複雑な表情を浮かべ、思い悩む和也

の姿があったからだ。

「………!!」

 突然の笑い声に仰天する和也。だが、すぐにその笑いの意味を知る。

 …また、騙された……?

 和也の驚愕の表情は、見る間に屈辱の色で赤く染まった。

「あははははははははは!」

 そんな和也の様相が、込み上げる笑いに拍車を掛け、さらに清正の爆笑が部屋中に

響き渡る。

「…ん…んだよっ!そ…そんなに大笑いすることでもねぇだろーが……」

「アハハ…だ…だってよ…お前…、誰がお前と舞の間に入っていけるっつーんだよ?

あの雰囲気で!」

 弱々しくも抵抗する和也だが、なんとも的を得た清正の言葉に軽く打ちのめされる。

「あ…あれは……」

 それでも、何か言い返そうと口を開く和也だが、実際、返す言葉が見つからない……

 また、そんな風に言いよどんでいる和也に、清正がとどめの言葉を飛ばす。

「あはは…あのな〜お前、そんなこったから、舞にいいよーにオモチャにされんだよ…」

「う…うるせー!」

 ぷいっと、真っ赤な顔を背けつつ、

(確か、似たようなことを舞からも言われたな……)

 よぎる思いが和也の脳裏に舞の笑顔を映し出し――

(………ん?…)

 同時に清正に対して、かすかな不満を募らせている自分に気付く。

 といっても、今からかわれたことに対してではない。

 くゆる煙の向こうに、思いを巡らせてみれば、

(………あ?)

 そう…それは、彼に舞を呼び捨てにされたことへのごくごく小さな不満であった。

 もっとも、一応英会話の研修なので、ファーストネームを呼ぶという決まりのようなも

のになっているのだが……

「…にしたって 『ちゃん』をつけるとか、なんとか……」

 思いが、思わず口に出る。

「ん、何だよ…?」

「い…いや、なんでもない!」

「…?ふーん…」

 慌てて和也が言葉をひっこめるも、幸い清正はすでに元の無関心な表情に戻っており、

それ以上、詮索の言葉は返ってこなかった。

 ほっと安堵のため息一つつき、和也は改めて自分の心に問いかけた。
                     アイツ
 ……どうして、俺は、『舞』を呼び捨てにされたぐらいで怒るんだ?……

     

 がちゃり。

 ドアを開ける舞の鼻先で、室内の少し湿った空気と外の乾いた風が入り混じった。

「はあ、やっと着いたね☆」
                                                             えんどうゆみか
 顔を向けた先には、機内、隣席でもあった二つ年上の短大生、遠藤弓香の姿があ

った。

 つばの広い白い帽子を被り、そこから伸びるふわりと細く長い髪、淡い色のワンピース

に身を包んだ彼女は、その細面の顔立ちにやさしい笑みを浮かべ、たたずんでいる。

 ちなみに、機内において舞は和也に、隣の人は本に夢中みたいだし…などと言って

いたが、あれは実のところ、和也を気にする舞の様子を見越した弓香に、行ってあげ

たら…と促されていたのだ。

 もちろん、当の和也にそんな事が言えるはずもなく、また弓香に心を見透かされた悔し

さもあったのだろう、結局舞はあのような物言いになっていたのである。

 まあ、これはまったくの余談ではあるが…。

 ともあれ、そんな細かな心づかいや柔和な物腰を持つ弓香。舞のみならず、周囲の者

からもまんべんなく好感を持たれていた。

「ふふっ…さ、早く荷物入れて、中でゆっくりしましょ」

 髪をかき上げつつ、舞に入室を促す弓香。涼しげな笑みを浮かべるその表情に、品の良

い大人の色香をほのかに漂わせて……。

    

「はぁぁぁ…弓香さ〜ん、あたしこっちのベッドね〜」

 ばふっ。

 部屋に入るやいなや、持っていた荷物を放り出し、ベッドに飛び込む舞。

「くすくす……。それはいーけど……舞ちゃん、くつろぐんだったら、着替えてからにした

ら……?」

 窓から差し込む陽射しに手をかざし、弓香はカーテンを引きつつ苦笑混じりの顔を

舞に向ける。

「…弓香さぁん、その『ちゃん』はやめてよ。何か弓香さんに言われると、自分がすっご

く子供みたいで……」

 舞は枕に顔を押しつけたまま、片目だけを覗かせてくぐもった声で不満をもらす。

「ん…? あーら、それって私がオバサンって事かしら…?」

 エアコンのスイッチを入れつつ、わざとらしく声色を変えた弓香が向き直った。

「え…?ちが…そ…そういう意味じゃ……」

「ふぅ〜ん…?じゃあ…どういう意味なのかしらね〜?」

 慌てて顔を上げる舞に、弓香は意地悪い笑みを浮かべ、唄うように言葉に拍子を

付けて詰め寄ってくる。

「え…あ……そ…それはその……。あ…あはは……」 

 同性ながら、ぞくりと来るような視線で見下ろされ、やたらどぎまぎする舞。引きつった笑

いでごまかそうとするも…

「……(じー。)…」

 弓香は冷ややかな笑みを浮かべたまま、その視線をはずさない。

「……う。…そ…それにしても、重かったね…に…荷物。こんな事なら…和也でも呼ん

でやってもらうんだったね……」

 たまらず彼女から目をそらし、話を変える舞。

「……くす…」

 そんな舞の様子に、ため息交じりに小さく笑みを浮かべ、弓香はようやく舞を解放した。

 そして、

「あはは…それもそうだったわね。でも……舞ちゃん、あんまりそんな事ばっか言ってると、

今に和也クンに嫌われちゃってうわよ?」

「へ…? べ…別にいいもん、嫌われたって。あ、あんな…和也になんか!」

 何気なく言った弓香の一言。しかし、舞はあからさまに憮然とした顔になり、そっぽ

を向いた。

「ま…またぁ、そんな事言って……」

 過敏な舞の反応に、弓香は少し困ったような顔になる…が、すぐに何かを思い直

し、ゆっくりと窓の方へ目線を泳がせつつ、こう呟いた。

「それじゃ、和也クン、私の弟になってもらおうかしら・・・彼、カワイイし☆」

「…え……?」

 まもなく…

「だ…だめぇぇぇぇ〜っ!!」

 まもなく、絶叫に近い舞の悲鳴が部屋中にこだました。

「!? ちょ…ちょっと、舞ちゃん?」

 さすがに、驚き振り返る弓香。

 すると、ベッドの上には正座を崩したような格好で、眈々と自分を睨む舞の姿……。

 なお、急に起き上がったせいか、そのしなやかなストレート・ヘアは四方八方へと跳

ね乱れていた。

「…ぷっ……」

 弓香は向けられた鋭い視線に怯みつつも、その凄まじい形相とは裏腹に、なんともアン

バランスなコミカルな舞の格好に思わず吹き出してしまう。

「あはは…や…やだ、冗談よ……もう、舞ちゃんってば……」

「……〜っ!」

 ばふっ!

 鼻先に指を当て、笑いを抑える弓香がそう告げると、仏頂面をそのままに、舞は再び

ベッドに横たわり、枕に顔を押しつけた。

「くすくす……」

 ちらりと伺う弓香の目の端、ぷーっと膨らんだ舞の頬にわずかに紅が差していた。

   

 ……こんこん。

 ややあって、ようやく舞が機嫌を直した頃、遠慮がちに叩くノックの音が二人の耳

に届いた。

「誰だろ?」

 間もなく、舞の誰何の呟きに答えるようにノックの主の声が。

「…舞ちゃあん」

 ドアの向こうから、聞き覚えのある甘ったるい声。だが、それはいつも以上に弱く…

か細い。

 ともあれ、速やかに立ち上がった弓香がドアを開き…

「め…恵美? どしたの?」

 弓香に連れられるように、部屋に通され、目の前に現れた恵美に対し、いぶかしげ

な口調で声をかける舞。

 それも無理のない話で、おずおずとその場に佇む彼女の表情はほとほと困り果て

ていたからである。
         
さとる
 「あ…あのう、悟君が……」

 「!?」

 重々しく口を開く恵美。そして舞は、あからさまに顔色を変えた。  

 

 つづく(4)へ

 読むのを止める