いちばん熱かったあの夏に・・・(7)

 

「はあ……」

 五度目の溜め息が和也の口から漏れた。

 ビーチサイド、木陰のベンチに腰掛け、楽しそうに歩く観光客を、憂欝そうな顔で見

送る………。

 ここ、夏休みも盛りを迎えたワイキキビーチは、各国からのリゾート客でごった返し

て……とまあ、もっとも、そのほとんどは日本人であるが……。

「はん……これじゃ、湘南だかなんだかわかんねーな……」

 シニカルな口調で毒づく和也。とは言うものの彼の憂欝の原因はそんなことではな

い。

 口を尖らせた表情のまま、和也は波打ち際へと首を回す。

            
   みなも
 太陽の光が反射する水面で目を細め……と、その瞬間、

「ん…あ?」

 目の前に立ちはだかるものがあった。

「……ったく、何をおじーさんみたいにぶつぶつ言ってんの?」

 サンバイザーをまぶかに被り、呆れ顔で和也を見下ろす舞であった。

 真っ白な砂浜によく映えるスカーレットのビキニを大胆にも見事に着こなし、

腰に手を当て和也の目の前で仁王立ちになる舞……。

 ある意味、和也にとって、照り付ける太陽より眩しかった。

「う…うっせーな。いちいち…。向こうでガキみてーに遊んでりゃいいだろが?」

 照れ隠しの意味も含め、和也は舞の身体から、悟や恵美がはしゃぎまくっている

波打ち際へと、視線をずらした。

「あー? 何よその言い方。自分が遊べないからって、そんなひがんだ言い方しなく

てもいいでしょ〜! 大体ねー、あんたあさはかすぎんのよ。依田先生言ってたじ

ゃん、『ワイキキビーチは珊瑚礁の海岸だから足元には十分気を付けなさい』って

……」

 まさに立て板に水のごとく、言いつのる舞。

 しかし、まったく舞の言う通りなのである。

 数十分前、一同がワイキキの海岸に到着したとき、舞い上がった和也は、全力で

海へとダッシュをかけ、勢い良く水中へ足を踏み入れた結果、海底の珊瑚によって

土踏まずのあたりをざっくりと切ってしまったのであった。

 幸い、歩く分にはそれほど支障を来たす傷には至らなかったが、さすがに海に入っ

たり、海岸で遊ぶことは出来なくなってしまった。

 舞の言葉により、改めて浅はかな自分を呪う和也。

「う…ぐ…。だ…だから何だよ? 笑いにきたのかよ?」

 喋る口調はほとんどいじけた子供である。

 だがむろん、言うまでもなく、ここで慰めの言葉を掛けるよーな舞ではないことは先

刻ご承知の通り。

「お☆よくわかってんじゃん。そうだよ−ん☆あはははははは☆」

 舞の哄笑が、落ち込む和也にとどめを刺し、

「…………くそ…。」

 もはや、怒る気力もなく、和也はそのふくれっ面をそっぽへ向けた。

 と、その時、

「また、やってんの? あなたたち…」

 いつからそこにいたのか、ダークブルーのシックな水着、腰にパラオを巻き付け、

困った顔で佇む弓香の姿があった。

「だぁって、弓香さん、和也が…」

「はいはい。だいたいのいきさつは分かってるわ。でも……舞?あなた和也クン怒ら

せるために来たんじゃないでしょ?」

「あ……」

「?」

「あのね、和也クン、ちょっと早いけど、そろそろショッピングに切り替えようか、

って……」

「あ…ああ、はい」

 やたら素直に頷く和也に、弓香はにっこり微笑み、さらに…

「和也クンだけ遊べなくてかわいそうだから…って、舞が……」

「……………へ?」

「わ!? わぁぁっ! ちょ…ちょっと弓香さん、あたしそんなこと言ってないよぉっ!」

「あらぁ、そうだったかしら? ま、いいじゃない。…それじゃ、私みんな呼んでくる

わね〜♪」

 やや意地悪い口調でそう言うと、弓香は二人に背を向け、再び波打ち際へと去って

いった。

 ……残された二人に、しばし気まずい沈黙が落ち……

「……わ…わりぃ……」

 先に口を開いたのは和也。下を向いたまま、呟くように言った。

「…な、なーにがぁ?」

 とぼけた様子で答える舞。しかし戸惑いは隠し切れない。

「いや…だから…その……」

 そんな舞の反応に、和也もどぎまぎと言葉を濁し……だがそんなとき…

「おーい、和也ぁ!」

 弓香に呼ばれ、海から上がった清正たちがこちらに向かって歩いてきた。

 そして、和也は一度大きくかぶりを振ると、すっと立上がり、舞の手を取った。

「行こうぜ☆」

「……えっ?」

 ややはにかみ気味の笑顔を見せる和也に舞は、一瞬目を丸くするも、

「……うんっ☆」

 満面の笑顔で大きくうなずいた。

  

 ショッピングセンターとして、世界でも屈指の規模を誇る『アラモアナショッピングセ

ンター』。

 その後、ワイキキを離れた6人は、炎天下の中、えっちらおっちら歩みを進め、

ようやく、ここまで辿り着いた。

 しかして、ショッピングなどとゆーものを前にして、男女の気合度が異なるというのは、

世の常であり…

「おいおい…この広さの中、女の買い物に付き合ってたら、身が持たねーぞ…」

 という、しごく賢明な清正の意見から、和也達六人は男女二手に別れ、行動する

ことと相成った。

 かくして……

「やー、これかわいいー☆ あ〜、でも、ちょっと大きすぎかなぁ……」

 広々としたショッピングモ−ルの通路を、ぶらぶらと歩く舞、弓香、恵美の三人。

 何度目かの同じセリフを口に、恵美はシャレたブティックのウインドゥディスプレイに

近寄っていった。

「ちょっと〜、恵美ぃ、いいかげんにしときなよ。お金なくなっちゃうよ」

「そうよ、まだ何日も残ってんのよ」

 口々に言葉を投げかける舞と弓香だが、当の二人も、すでに両手に大きな紙袋

をぶら下げており、あまり説得力がない。

 そしてまた恵美も、二人の言葉は耳に入らない様子で、ぱたぱたとブティック店内に

入っていった。

「あーあ。」

 呆れ顔で顔を見合わせ、通路中央にある円形のベンチに腰掛ける舞と弓香。

 何気ない会話を交わしつつ、やがて……

「―――ああ…そういえば、舞、あなた和也クンに自分の『コト』言ったの?」

「え…?ああ…えっと……それがまだなんだけど……。

ねー、弓香さん、アイツ本当に……」

「あ、おーい、舞ちゃーん! すごいカワイイのあるよぉ!」

「………なのかな?」

 らしからぬ歯切れの悪い舞の言葉は、ブティック店内からひょこっと顔を出した恵

美の声で、途中かき消された。

 それでも、隣にいた弓香の耳には届いていたようで、弓香はじっと何か考え込むよ

うな顔になる。

「いーよーっ、恵美っ! あたしらはーっ、 ちょっと疲れちゃったから、ここで

休んでるーっ!」

 こちらの様子を伺う恵美に、舞は大声と手のジェスチャーで返した。

「……はぁ〜いっ!」

 そして、恵美は多少、怪訝な顔をしたものの、再び店内に戻っていった。

「で…どう思う? 弓香さん」

 弓香に顔を向け、本題に戻る舞。

「そう……なのよね。今朝のこともあるし……」

 舞の問いに対し、弓香もまた歯切れの悪い口調で答える。

「今朝?」

「ああ、舞が来る前よ。その時のちょっとした話からね……。

 私、最初、『このコ何とぼけてんのかしら?』とか思ったんだけど、よく考えたら、彼の

キャラクターからして、それは考えにくいわよね……」

「じゃ、アイツ、『そう』じゃないってコト?」

「うーん、でも……『そう』じゃなきゃ、この研修に参加できないハズでしょ?」

 弓香はさらに難しい顔になり、眉を潜める。

「じ…じゃ、どういう……!」

 考えれば考えるほど、答のでない疑問に、舞は苛立ちさえ覚え、声を荒げた。

「わからないわ。でも、考えにくいけど、手違いってこともあるかもしれないし、彼の前

ではこの話題、避けといたほうがよさそうね…」

 そんな舞を、静かに制し、冷静な意見を述べる弓香。

「…………そう…だね…」

 そして、舞はまんじりとしない思いを胸に視線を虚空へ泳がせた。

   

 キャァァァァァ−ッ!!

 悲鳴は、和也たち三人が歩くすぐ後方から上がった。
         
フロア
 舞たちとは違う階での出来事である。

「なっ!?」

 振り返るいとまもあらばこそ。

 ナイフ片手に、ひったくった女性物のハンドバッグを抱えた男がこちらに突っ込ん

できた。

「うわぁっ!!」

 二人より、やや後ろを歩いていた和也は反射的に身を翻し、男との衝突を回避…

また、その場を飛び退きつつ、清正、悟のほうに目を向ける。

 が…なぜか二人とも、向かい来る男を避けようとしていない。

「え…っ?」

 いや、それどころか、なんと悟に至っては、男に向かって、一歩前へ踏み出してい

るではないか!

Shit!! 

 一方、男は自分の進路を妨害するものを排除しようと、手にしたナイフを突き出

し、 悟めがけて突っ込んで行く。

「さ…悟っ!」

 和也の悲痛な叫びが響く。

 このとき、すでに避け切れる間合いではなかった。

 惨劇を覚悟したその時。

「……!?」 

 和也は信じられないものを見た。

 男のナイフが悟の身体に届くその刹那、

 悟の身体が、ふわりと宙を舞い……

 とん。

 やがて、悟は空中で華麗なひねりを加え回転し、男の後方へ着地した。

 そして一方、男から見れば、悟の身体がかき消えたようにでも見えたのだろう。

Wha…Whadda happ' !?

 目標を失い、たたらを踏む男。それでもなんとか転倒だけは免れ、体勢を立て直

し、逃げの一手を打とうとした。

 が、その時。

 男の前には、立ちはだかる清正の姿が……

「……!?

 清正のあまりの奇行に 男は一瞬、躊躇する……が、すぐに歪んだ笑いを口元に

浮かべると、そのナイフの切っ先を目の前の無謀な少年の胸へと向けた。

 ひゅんっ!

 銀光閃き、ナイフは一直線に、無防備な清正の胸へ……

 が、しかし次の瞬間。

 キンッ!

 高い音を立て、ナイフは地面に転がり、

「……ふん。ラブレスかよ?ひったくりにゃもったいなすぎるナイフだな…」

 男の腕を捩じ上げ、シニカルな笑みを浮かべる清正の視線が、転がり落ちたナイフ

に注がれていた。 

  

「や、どもども☆」

「おい…悟、何やってんだ行くぞ!」

 周囲の喝采に、おどけた様子で応える悟の後ろ襟をつかむ清正。

 ちなみに、ひったくり男は、駆けつけた警備員に引き渡され、すでに清正によって

簡単な説明を終えていた。

「ほら、和也も!」

「あ…ああ」

 惚けたような顔でうなずく和也。

「…ったく…。んなことやってっとしちめんどくせーことになるからよ…いくぞおら!」

 疲れきったため息ひとつつき、清正は二人を引きずるようにして…三人はその場を

後にした。

「……にしても、すげえな、お前ら。なんか体操とか格闘技とかやってんのか?」

 取りも直さず、心底感心したような声を上げる和也。

 ファーストフードが立ち並ぶショッピングセンター内のカフェテリア、和也達三人は、

それぞれ飲み物片手に、やや大きめの六人がけ円形テーブルを陣取っていた。

「ぶっ!」

 そして、和也の台詞に珍しく驚いた様子で、口にしていたジュースを吹き出す悟。

「ご…ごほっごほっ……か、和也、お前、それ本気で言ってん……」

 咳き込みつつ問い掛ける悟だが、言葉途中でそれを遮り、清正が口を挟んでくる。

「あ…ああ、そーそー、俺…空手やっててよ…。悟は…確か体操部だっけか?」

「?」

「な…何、言ってんだよ? 俺、部活なんてやってねぇ……」

 まるっきり身に覚えのない清正の言葉に、悟は驚いて反論しかけるが…

 どんっ!

「あぐっ!」

「あ…ワリぃ…」

 うしろあたまで組んでいた清正の手が唐突に振り下ろされ、悟の後頭部に直撃した。

 手をほどいた拍子に…といった感だが、何か必要以上に力がこもっていたような気が

なきにしもあらず……。

「いってぇっ! な…なにすんだよっ、清正っ!? ………え?」

 その勢いでテーブルに突っ伏した悟は、清正に対する抗議の言葉を口にしながら、

後頭部をさすりつつ顔を起こす。

 が…その時、

「………」

 清正が悟に何かを囁いたように見えたのは、和也の気のせいだろうか……

「お、おい…?」

 後頭部に手を回したまま驚愕の表情で固まってしまった悟に、声を掛ける和也。

「あ…?ああ、何でもねぇよ。そうそう! 俺、体操部でよ。専門は『床』…なんだ……」

「………」

 慌てて、和也に向き直る悟の口調は、いかにもわざとらしい。

 さすがに鈍い和也も、訝しげなまなざしを向ける……

 が、ちょうどその時、

「あーっ、いたいた! おーいっ!」

「おお☆ ここだここ!」

 らしからぬ大声を上げ、こちらを指差す舞たちに応える清正。

「あ〜♪、和也ぁ、なんかよさげなの飲んでんじゃん!あたしにもちょうだいっ☆」

 駆け足気味に歩み寄ってきた舞は、和也の返答も聞かず、和也の飲んでいたフル

ーツフローズンドリンクを取り上げた。

「ああっ!て…てめーっ!」

 ともあれ……

 話はそこで中断され、清正そして悟は、なぜかほっと息を付き。

 また、それぞれの向かいに弓香と恵美が腰を下ろした。

「はい、清正クン」

「ん…? あーっ!こ…これ『WEST END GIRLS』?…どこにあった?このCD…」

「ん…ふふ☆」

「ね、ね、悟クン…コレ見てェ☆ かーいいっしょ?」

「おお☆いいね!貧弱な胸はそれでカバーできそう……」

 ばごっ!

 …とまあ、そんなこんなで、不可解なこともなにやらあったよ―な気もするが…

 カフェテリア中央の六人がけテーブルは、三つの世界が出来上がり、楽しくも賑や

かな午後のティータイムはこうして過ぎていった。

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