いちばん熱かったあの夏に・・・(8)

 

 それから、また幾日が経ち……。

 瞬く間に過ぎゆく楽しい時の流れに身を任せるまま…気付いて見れば、行程は残す

ところあとわずかとなっていた。

 そう、いよいよ2日後には帰国を控えた、そんなある日のこと………

「よっ、わりィ……待ったか?」

 駆け足気味に歩み寄ってきた和也に、

「あ…ううん。あたしも今、来たとこ」

 夕闇の中、待ち合わせ場所のヤシの木に背もたれていた舞の顔が上がった。

「いやー、緊張したぜ。まわりみんな外人なんだもんなあ……」

「あはは…ばか。あたりまえじゃん」

 とっぷりと、陽の落ちたBYU近辺。

 和也と舞は研修の一貫として、略的なホームステイ…地元の家庭の夕食に招待さ

れる、というプログラムを終え、その帰りであった。

 むろん、彼等は一人ずつ個々の家庭に赴いていたのだが、たまたま、和也と舞は

招かれた先の家が近所だったため、行き…そして帰りも待ち合わせて、今宿舎への

帰路についていた。

「ね、それよりさ……」

 手を腰の後ろに組んだまま、突然、和也の顔を覗き込む舞。

 その視線はなにやら意味深である……

「へ……?」

 そして、躊躇する和也を尻目に、舞は髪をなびかせ、ひらりと和也の前へ踊り出

た。

「んふふ〜ん☆ コレ…こないだアラモアナで買ったの☆ ね…どーお…?」

 淡い色、薄手でゆったりとした感じの…くるぶしまで隠れる長めのワンピースに身

を包んだ舞…。

 先ほどから目のやり場に困っていた和也の目の前で、あろうことか、舞はやや腰を

くねらせ、ポーズを取ってみせた。

 月明りと街灯に照らされ、なめらかな舞の身体のラインがくっきりと浮き立ち……

「…(ぼ〜☆)」

「…和也?」

「……へ?…あ…あーいや…ど…どうって、な……何が?」

 きょとんとした顔を向ける舞に、慌てて目をそらし、とぼけた様子で返す和也だが、

お約束通り、口にした煙草は逆にくわえている。

「…んぐっ!? ぺっぺっ!」

 口に入り込んできた煙草の葉っぱを吐き出す和也。

「あははは☆えっちなこと考えてたでしょ〜?」

「え、えっち…って、おめーなあ……」

 赤面した顔をしかめつつ、和也は舞がポーズをやめたかどうかを確認するように、

仰ぎ見る。

 すると、思い通りの和也の反応を見て満足したのか、舞はすでに和也に背を向け

てゆっくりと歩み出していた。

「あ…お…おいっ…………。」

 慌てて、後に続く和也。しかし、まぶたに焼きついてしまった舞の肢体が、頭から離

れず、視線はどうしても舞の腰辺りに集中してしまう……。

 …形のよいヒップに浮き立つ例のライン………

 と、そのとき……

「ねえ、和也」

 突然、舞が振り向いた。

「おわぁっ!!」

「ん? 何そんなに慌ててんの?」

 身をのけ反らせて驚く和也に不可解なものを感じ、怪訝な顔を浮かべる舞。

 だが、和也の慌てぶりから、すぐにその訳が分かると、

「……あー、さては…?」

 咎めるような不敵な笑みを浮かべ、舞は上目遣いに和也を見る。

「…え? あ、あの…いやその……。って、そ…それより、なんだよ?なんか言おうと

してたんだろっ!」

 戸惑う和也は、うしろあたまをがしがし掻きながら、あさっての方に顔を向け、怒っ

たような口振りで話を逸らす。

 だが、舞は非難の目を変えず、そらした和也の視線の先へ回り込み…

「ふうん……? で、どこ見てたの?」

「……………。」

 和也の頬に一筋の汗……。

  

「…で、結局なに言おうとしてたんだよ?」

 ややあって、よーやく…謝りたおすことで解放された和也は、改めて舞に尋ねた。

 ちなみに、今度は妙な誤解を受けぬよう、今は舞の横に並び歩いている。

「ん…? あ…そうそう、ねー和也……ちっと海の方行ってみない?」

「あぁ?海ぃ?…いいけど、だいじょぶかよ?また依田先生に怒られんじゃ…」

「あー、だいじょぶだいじょぶ☆ あたしらの行った家…みんなのとこより近かったし、

それに遅くなったって、『家の人に気に入られちゃって、なかなか帰れなかったー』

とかなんとか言えば…」

「……ま、そだな。どーせ今帰っても誰もいねーだろーし…」

「ふふっ、じゃ、決まりね。いこいこ!」

 にっこりと微笑み、歩むスピードを上げる舞。

 和也もそれに合わせ、早足になって再び横に並ぶ。

「けどよ……」

「ん…?」

「なんつーか、お前…いーわけの天才だな?」

「んなことないわよ…ってゆーか、和也の頭が回らなすぎなの!」

「う…うっせーな!」

「あはははははは」

 などとやりつつ、言葉を発する度に互いの前を歩こうとする和也と舞。

 早足のスピードは相乗的に上がっていき、二人はいつの間にか、駆け足になって、

闇の中に消えていった。

 BYU近くの海岸、ライエビ−チへと向かって。

  

「あー、気持ちいい〜☆」

 海風になびく黒髪をかきあげつつ、大きく背伸びをする舞。

 小さな岬の上、ビューポイントとなっている広場に二人はいた。

 昼間は景色を見るため車や人が集まる場所だが、元々観光ポイントからは外れた

場所だけに、夜も更けた今は車はおろか、人影もまったく無かった。
       
し た
「なんだよ。海岸に下りるんじゃなかったのか?」

 やや拍子抜けしたような声を上げる和也。

「ばか。あったりまえじゃない。足に砂つけて帰ったら、それこそ海に行ったってのが

バレバレでしょ?」

「はん、おめーって、ほんとに……」

 抜け目ない舞の物言いに、呆れたように和也が言い掛けたその時、

 ブロロッ……

 低いエンジン音と共に、派手なペイントをほどこした一台のアメ車が広場に入り込

んできた。

「おお☆ 60年代バラクーダかよ? へぇ〜☆」

 感嘆の言葉を吐き、突如現れた車に目を向ける和也。

 と、同時に、車のドアが開き、中から大柄な男が5人、這い出るように表に出てき

た。……お世辞にもガラが良いとは言えないような連中である。

 そして、彼等はにやにやと笑いながら、和也たちに近寄ってきた。

「……っ?」

 本能的に不安と危険を感じ、和也の全身に緊張が走る。

Hey men☆ how's going?

 だが、そんな和也の気持ちをほぐすかのように、彼等の内一人が明るく笑い声を掛け

てきた。

 ほっと息着く和也。

 その瞬間、

 残りの4人が動いた。

「いやああああああああっ!!」

「舞っ!?」

 舞の悲鳴に振り返る和也。

 舞は4人の男に取り囲まれていた。

「や…やめろぉっ!何すんだよ?てめえらっ!」

 通じないとは分かっているが、日本語で怒声を張り上げ駆け寄ろうとする和也。

 だが、

 がしっ!

 和也の肩は、いま声をかけてきた男にがっしりとつかまれ…

「なっ!? は、放せ…………あ…ぅっ!?」

 振り返りざま、和也の頬に固いものがぶつかる。

 ばきっ!!

 待っていたのは男の拳であった。

 まったくの無防備のところへの一発。和也はもんどりうって地面に転がった。

「うぐぅっ!」

 鼻の奥ががキナ臭い匂いに包まれ、口の中には鉄の味が充満する。

 幸い気絶こそしなかったものの、痛み…そしてショックと恐怖で身体が動かない。

 ぐあんぐあん……

 頭の中にノイズが走る。

 かろうじて動く首だけを起こせば、鉄柵に追い詰められ、はがいじめにされてい

る舞の姿が目に入った。

 激しく抵抗しているところから見ると、なにやら悲鳴を上げているらしいが、徐々に

激しくなる頭のノイズにより、その声は和也には聞こえない。

「う…うう、舞ぃ……」

 痺れる身体を懸命に起こそうとする和也。

 無力な自分を呪う気持ちと、目の前の男達に対する憎悪でその身が弾けそうにな

る……

 その時……

 ぐあんっ…!

 頭のノイズが、何か異質なものに変わった。

 ザッ…ザザッ…ザ…タ……カエ………セ……ロセ……

 それはせせら笑うように頭の中で響く…声……?

 また、湧き上がる夥しいまでの恐怖、怒り、憎悪…そんな負の感情に扇動されるかの

ようにその『声』は次第にはっきりしてくる。

 ザ…タ……タカエ……ザザッ…タタカエ……ロセ……コ…ロセ………

(…?……!)

 同時に、困惑する思考そのものを押し流すかのように、どす黒く染み出でる何かが

和也の中に広がっていき……。

「ぐ…? だ…だめだ……」
 
    おぼろ
 自らが朧となっていくような感覚…そして今まさに、その首をもたげようとしている得

体の知れない新たな『自分』に恐怖を覚え、わけがわからずとも激しく抵抗する和也。

「…う…あ……ぁ…?…」

 だが、闇の中から這い出るように、和也の胸の内で『それ』はその姿を顕にしていき、

また同時に動かなかった身体が嘘のように軽くなり……

 ………ざっ。

 和也の意思とは裏腹に、『和也』はすっくとその場に立ち上がっていた。

 そして……

 ザ…タタカエ……タタカエ…闘え!…殺せ……食い殺せ………!

(だ…だめ…だ!)

 もはや完全な言葉となり頭の中に響き渡る何者かの声を、なおも激しく拒否する和也。

 しかし、

 ぞわりっ。

 寒気に似た感覚が全身を包み、まったく別の力が和也の身体にみなぎる。

 そんな得も知れぬ感覚がさらなる恐怖を呼び起こし、

「う…?い…いやだっ! やめろおおおおおおおおおっ!!」

 抗う力を振り絞って上げた和也の絶叫が、昏い広場に響き渡った。

 一方…

「……What!?

 その和也の絶叫で、瞬間、暴れる舞を羽交い絞めにしていた男の気が逸れた。

 そして、舞はそんなわずかなスキを見逃さず、

「んっ…!」 

 刹那ゆるんだ男の手からするりと抜け出し、鮮やかなステップを切って、自分を取り

囲んでいた男達の間をすり抜け、その場を遠のいた。

Shit !!」

 闇に消え行く舞の姿に慌て、罵声の声を飛ばしたのは、和也を殴り倒し自らもその輪

に加わろうとしていたあの男。

 地に伏した和也を背に、どうやら彼は背中から聞こえた絶叫も、絶望した弱者のたあ

いのない悲鳴とでも受け取り、あまり気にも留めなかった様子である。

 そんなことより…

Hey! Whadda hell you doing !?

 男はいとも簡単に獲物を取り逃がしたふがいない仲間への非難の言葉を口に、歩み

寄っていく。

 だがしかし、

「…………」

 舞を囲んでいた四人は、なにやら驚愕の表情で一点を見つめ、歩み寄るその男の存

在すら目に入っていないようだった。

 そう………。なぜなら……

『グゥゥゥォ……』

 人の声ではない唸りを上げ、人智の超えた変化を遂げる和也に目を奪われていた

からである。

 そして今や、和也は己の身体の変化を止めることは出来ないでいた。

 ……ぞわっ……

 押し寄せる別の意識に抗う術を無くした和也の身体は、さらに奇妙な感覚に包ま

れる………

やがて、

 全身の毛が逆立ち、頭髪はざわめき、異様に盛り上がる筋肉は、いとも簡単にそ

の衣服を引きちぎった。

「グゥゥゥォ…」

 また、獣じみた呻きを上げるその口は、めきめきと異様な音を立て、前方に押し出
                
あぎと
されていき、その突き出した顎には、びっしりと鋭い牙が並んでいた。

「グアアアアアアーッ!!」

 裂けんばかりにその顎が開かれ、獣の咆哮が響く。

 今、まさに和也の姿は、狼の頭を持ち二本足で立つ獣………『人狼』と化してい

た。

 ………殺せ……コロセ………

 そして再び、和也の頭にせせら笑うような声。

(い…いやだ!いやだ!やめろおおおおおーっ!)

 わずかに残った理性がその意思に懸命に抵抗するも、すでに身体は全く言う事を聞か

ず。

「グゥオオオオオオオーッ!」

 胸の内で上げた叫びが、怒れる狼の雄叫びとなり………

(…いやだ…やめ………あ…あぁっ…ぅっ…………っ…………。)

 人ならぬ『自ら』の声を聞きつつ、やがて和也の意識は暗転した……。

 

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