甘い欧州旅行
第一章「華やかな幕開け」
(1)
………ゥヴン…ッ!!
鋭い風切り音が農閑期を迎えた広大な田園地帯を貫く。
フランスが誇る超特急列車、TGVはスイス・ジュネーブへと向かっていた。
「へへ……」
その列車の中、車窓に向かって至福の笑みを漏らす男が一人……おっと、気味悪
い、などと思うなかれ、なにを隠そうこの男、俺、藤原基明である。
俺は今、夢にまで見たヨーロッパにいる……と、まあ、偉そうに言ってもパッケージ
ツアーの旅行中なんだけど。
本来なら、大学に四年間通って、卒業旅行で…っていきたかったとこだけど、まあ
いろいろ訳ありで、大学進学を辞めちゃったんだな。これが。
『………数か月にも及ぶ受験勉強をするのが嫌だっただけ、と言う説もあるが?』
うっさい。
……あ。今、余計な寝言を飛ばしてくれたのは、バイト先の悪友、佐久間凌。旅の
ツレである。
んで、その受験に費やす時間をバイトに当て、現在、二十日間のヨーロッパツアー
に参加しているという訳だ。
『途中でナンパとかに金、使っちまったから、結局、一年近く掛かったけどな。』
だから、うるさいって。寝てんだろ、お前……。いいじゃねえか、この時期、十一月
が一番料金安いんだから……
『………』
と…ああ、悪い。そんで、これまでに、スペイン、イギリス、フランスを周って、今日
でその行程、五日目を迎えたところ。
旅行当初は、予想以上の文化の違いに圧倒され、ただ、驚くだけの俺たち(俺だ
けか?)だったけど、さすがに、もうさほどのカルチャーショックは感じなくなった……
といっても、飽きたわけじゃない。むしろ、落ち着いて旅が楽しめるようになったって
感じ。
それに、ツアー同行の人達や添乗員さんとも仲良くなったし。
そう、これがまた、なかなか面白い人たちばっかで……
また、何と言っても、俺たちはツアーメンバー十六人中、最年少。そのせいか、み
んな割と目掛けてくれて……そう、メシおごってくれたりとかね。もっとも、こんな時期
に旅行できるなんて、みんな金持ちなんだろうけどさ。
…あ。それじゃ、メンバーはおじさんおばさんばっかり、だと思ったでしょ?
いやー、それがそうでもないんだな。っていうより、家庭持ちならもっと旅行できな
いよ。この時期に。
だから、意外にもメンバーは比較的若く、独身ばっかり!
自分の診療所を持たないフリーの歯科医とか、自分とこの営業研究もかねて参加
してる 旅行代理店の若社長さんとかね……
中でも、多いのが、腰掛けで入った会社辞めて、その退職金使って来てるOLのお
姉さん方☆
彼女たちは、旅の解放感も手伝ってか、いいように俺たちで遊んでくれちゃってる
んだけど………ま、悪い気はしないわな。当然☆
と、まあそんなこんなで、窓に向かって、にやついてるって訳。
え…? もちろんヨーロッパを満喫してるからだぜ。最後のはあくまで副材だ。副
材!
ガタン…ゴトン……
お、列車がスピード緩めたな。何だろ?
ああ、三角屋根の家が目立ってきた。どうやら市街地に入ったらしい。
そろそろかな、世界でも屈指の巨峰マッターホルンやアイガーを擁する森と湖の
国、 スイスへの第一歩は……
「おーい、基明、さやかサン達がショッピングにいかないか…って。どうする…?」
もはや見慣れた北欧家具の並ぶ部屋の中、内線の電話を取った凌が、受話器片
手に俺に問い掛けてきた。
……っと、別に取りたてて説明するまでもなかったから、はしょっちゃったけど…、
俺たち一行は、ジュネーブ駅でスイスへの入国審査を終えると、すでに迎えにきてい
たバスに乗り込み、ホテルへと直行した。
いつも通り、ロビーで簡単な説明を受け、各自割り当てられた部屋へと散り、夕食
まではフリータイムとなったのだが……
「うーん、いいよ、オレ、今日はパスする…。いいから、お前だけ行ってこいよ…」
枕に突っ伏し、俺はくぐもった声で凌の誘いを断った。
というのも、皆が寝ていたTGVの中でも、舞い上がっていた俺は全く眠っておら
ず、少々睡眠不足であったためである。ちなみに今日、フランス・リヨン駅を出たの
は午前六時。よって、今朝の起床時間は……推して知るべし。
「…ったく、バカだな、お前も。つまんない風景ずっと見てっからだよ。」
「うるせえな。いいんだよ、俺にとっちゃショッピングなんかに行くより、あの景色見
てるほうがよっぽど面白かったんだよ…」
「はいはい……そんじゃ、俺、ちっと行ってくるわ。」
「ああ、気をつけてな、さやかサン達によろしく……」
コートをはおり、部屋を後にする凌に、俺は力なく手を振った。
途端に静まり返る室内。
その沈黙を嫌うように、俺はサイドテーブルに置かれたリモコンを取り、BGM代わ
りにTVのスイッチを入れた。
「えっと……」
次々にチャンネルを変え、音楽番組を探したが、今の時間特にやっていないような
ので、仕方なくニュースらしき番組にチャンネルを合わせた。
アナウンサーが何か喋っていたが、どうせフランス語かドイツ語、理解できない言
葉を耳に通しているうちに、俺は安らかな睡魔に包まれていった。
コンコン……
ややあって、ノックの音で俺は目を覚ました。
反射的に時計を見るが、あれからまだ十分程しか経っていない。
ん…、凌の奴か? ずいぶん早いな。何か忘れもんでもしたか?
…コンコンコン……
再びノックされ、俺は扉のほうへ向かっていった。
「凌か? 今、開ける…」
扉を開けてみると、立っていたのは凌ではなく、ツアーメンバーの一人、『佐々木美
恵』さんであった。
スリムな身体に、軽くウェーブのかかった長い髪、格好は大人っぽいのだが、いか
んせん、まだ少女のあどけなさを残すその顔がどこかアンバランスな印象を与える、
明るい女性である。
彼女は俺より二つ年上の女子大生。年は二つしか違わないのに、このひとはOL
のお姉様方と一緒になって、俺と凌をよく子供あつかいし、からかってくれていた。
それに対して凌はさほど気にもしていないようだったが、俺は、少しカチンと来るこ
とも何度かあった。
……だってよ、このひと、いいかげん自分も子供っぽいくせに、俺のことガキ扱い
すんだぜ。
……ま、でも、年上ながら少し幼い感じの美恵さんが、お姉さんぶるところはなんと
なく滑稽で、気に入ってんだけどね☆
一方、美恵さんにしても女性では最年少だったし、まして学生であったため、勤め
をしている他のメンバーよりも、俺や凌との会話の方が気楽だったようで、おのず
と、俺たちは共に行動することが多くなっていた。
まあ、それはさておき、
「やっほ☆ 基明クン。入ってもいい?」
俺がドアを開けると、美恵さんは勝手に、どんどん部屋の中に入っていき、テラス
側のソファに腰掛けた。
……って、おいおい、まだ入っていいともなんとも言ってないよ……まあ、毎度のこ
とだけどさ。
「へぇーっ…やっぱりツインは広いのね!」
「…って、美恵さん、毎回毎回、おんなじこと言ってるよ」
「あーっ! また、言葉わかんないクセにTV見てたのォ?」
…俺の言う事、全然聞いてない……
「いいじゃん、べつに…。大体、いつもいつもオレらの部屋に何しに来んだよ?」
無視され、また馬鹿にされ、俺は少しふてくされた声を出した。
「まあまあ…、あれ…? 凌クンは?」
「ああ、あいつはさやかさん達とショッピングにいったよ…って、あれ…?美恵さんは
行かなかったの? ………まさか、居眠りぶっこいて、置いてかれたとかじゃ?」
苦笑を浮かべ、俺をなだめようと話を変える美恵さんに、俺はここぞとばかりに言
ってやる。
「う…うるさいわね!」
どうやら図星のようである。
「キミはどうなのよ?」
「オレ? オレはなんか、かったるくって……それに、また美恵さんが来るような気
がしてさ…」
俺はにやりと笑い、意味ありげな目で美恵さんを見た。
「…? またぁ…、それって、もしかして口説いてンの?」
「へっ…まさか、凌じゃあるまいし。だーれが彼氏いる人を口説くんだよ?」
「ふふん、それもそうね、あはは」
「へへへ…」
俺たちはどちらともなく顔を緩めた。
「華やかな幕開け」(2)へつづく・・・・