メイプルウッド・ロード
〜#1.小雪舞うカムループスの聖夜〜
(2)
灯の灯った街灯に、小雪がちらつき始めたカムループスの街。 瞬たちが往路でも立ち寄り、一泊した比較的大きな町である。 「ええーっと……」 早速瞬たちは、街の入り口あたりに立ち並ぶモーテル群の中から空き室のある モーテルを探す……が、その必要もなく、林立するモーテルはどこも『Vacancy』 (空室あり)の看板が光り輝いていた。 「ふーん、聞いちゃいたけど、ほんとだな…」 「何が?」 「いや、イヴっつっても日本みたいにバカさわぎはしないって……」 そう、やや自嘲的に言った瞬の言葉通り、ここカナダでは『クリスマスイヴ』といって も日本人のそれとは少し受け止め方が違い、もう少し、本来の『聖なる夜』としての意味 合いが強い。 と言っても、もちろん、皆が皆教会に行ってミサを聞いてるわけではないと思うが、少 なくとも、この晩とばかりに、こぞって押し寄せるカップルによって、モーテル・ホテルの 類が軒並み満室になることなどない。 いや、それどころか、 「あーあ。どーする? ご飯食べるとこないかもしんないよー」 窓の外、可愛くもきらびやかに飾り立てられたクリスマスイルミネーションの街並みを 眺めつつ、やや慌てた様子で由美が言う。 また、その言葉通り、華やかに街全体から漂うクリスマスのムードとは裏腹に、まだほ んの宵の口の時間なのに、街ゆく人の通りもまばらで、大通りにある店々は早くも軒並 みクローズの看板が掛かり始めていた。 重ねて言うようだが、日本ではとても考えられないこの状況も、クリスマスイブは暖か い我が家でのんびり過ごす…という考え方が強いこの国において、これはごくあたりまえ の姿である。 まあ、日本の元旦のようなものだと考えていただければよいだろう。 余談だが、『クリスマスをカナダで☆』などと、考えて旅行される方、下手をすると食 うに困ることにもなり兼ねないので、要注意である。 さて、それはともかく、 「いや、アールズ(ファミレス)なら大丈夫だろ。それに最悪コンビニは、やってるだろ ーし……」 がらんとした街の目抜き通りを徐行させつつ、答える瞬。 「ああ、そだね。そーしよーよ。チキンとか買ってさ。んで部屋でちょっとしたクリスマ スパーティ……」 「お…おいおい、勘弁してくれよ。俺ゃさっさと食ってもう寝てーよ……と、サークルK … ここでいっか」 苦笑を浮かべ、由美の言葉を遮る瞬。また、このひとときだけは、さまざまな思いから くる葛藤から解放されていた。
その後、食料や飲み物を買い込んだ二人は、結局、街の中心部に位置するモーテル より やや各上のホテルを今晩の宿に決めた。 勝手知ったる…とまではいかないが、ここは往路でも泊まった同じホテルで、また各上 とはいえ宿泊代も手頃だったため。また、なによりヘタなモーテルに泊まって固いベッド で寝るのは絶対ゴメン…という二人の意見が合致したためである。 そして、 ブロンッ………… ホテル傍らに併設されたオープンスペースの駐車場にて、瞬のシビックが溜め息を 着くように、この日最後の咆哮を上げ、その働きを終えた。 「ホンットにがらがらだねー。うそみたい……」 やはり宿泊客は少ないらしく、外に出て開口一番言った由美の言葉通り、かなりの広さ のスペースに、停車されている車はごくわずかであった。 「あ…俺、荷物持ってくから、由美、チェックインしといてよ」 「うん、わかった、ツインの部屋をひとつ取ればいいよね?」 荷物を出すため、トランクに向かいつつ言う瞬に、由美はあっけらかんと答え、すぐさ ま踵を返して、ホテルの入り口に向かった。 ぱしゃ…ぱしゃ…… 「………」 降り始めの雪で濡れた地面を駆けていく由美の足音を背に、瞬の胸がちくりと痛む。 …部屋ひとつ取ればいい……その台詞を由美に言わせた事に対して……… とはいえ、ただ仮眠を取るだけに等しいこの状況で、二部屋取る必要などないことは、 もちろん分かっている。 これは、カナダというお国柄に限ってのことなのかもしれないが、このテの庶民的なホ テルの場合、性別如何に関わらず若い小人数連れが、別々に部屋を取る、などと 言ったら、それこそ異様に思われることがある。それどころか、ヘタをすると、ツインどこ それにまた、由美とは今までにも修学旅行のノリで何度となく男女混合で同じ部屋に 泊まったこともある。その流れからいけば、今回だけ個々に部屋を取るというのは、 かえって不自然だろう。 ……が、しかし…………… …ひとつ部屋で一緒に泊まる… そのことを自分から言い出すことはどうしてもできず、瞬は由美の判断に任せたのだ。 がちゃ……。 「…………」 トランクの中、闇を見詰める瞬の頭に『卑怯』という言葉が巡った……
そして数分後。 ガーッ。 まんじりとしない想いを胸に、二つのボストンバッグを両肩に下げた瞬は、ホテルの自 動ドアをくぐり抜けた。 「…………お」 瞬の目線の先、人気のないがらんとしたロビーのソファに、チェックインを済ませた由 美がルームキーを指でくるくる回しつつ腰掛けていた。 「あ…ごめーん。重かったでしょ、あたしのバッグ……」 瞬に気付いて、立上がりぱたぱたと駆け寄っていく由美。 すると瞬は、 「ああ…いーよ、ついでだから、部屋まで持ってってやるよ…それより……」 「んー?」 「ホントひと部屋でいいのか…? 俺…夜になったら豹変するかも知れないぜ……?」 荷物を受け取ろうとする由美に、瞬はすぅーっ、と目を細め、少し悪ぶって言ってみせ た。 冗談めかしてでもみなければ、何か今は平静が保てないような気がしたからである。 ところが、 「へ…?………ぷ…あはは! やだ、なにそれ? 瞬が『ヒョウヘン』? そんなことあ るわけないじゃん」 由美は、一瞬きょとんっとするも、すぐにぷっと吹き出して、瞬の言葉をあっさり一蹴し た。 そしてさらに、 「だいたいさー、今もう夜だよ。あ…そっか、そんじゃもう豹変してンの…? ふーん………いつもと変わらなく見えるけど……?」 込み上げる笑いを堪えるような表情で、立ちすくむ瞬の様子をじろじろと見回す。 「っ!?」 予想外の由美の反応に…いや、彼女の性格を考えれば然るべき反応だったのかも しれないが……ともあれ、今の頭の中では予想していなかった由美の反応に、鼻白む 瞬。 …こ…こいつ……ひとの気も知らないで…… もっとも何か言い返そうにも、実際返す言葉が見付からず、複雑に顔を強張らせて口 をつぐむしかない。 「あははははははははははははっ!」 また、そんな困惑する瞬の表情がおかしかったのか、由美は追い討ちをかけるよう に、 堪えた笑いを一気に吹き出した。 「……くっ、も…もういくぞっ!」 そして、旗色の悪くなった瞬は、照れ隠しに怒った素振りを見せ、くるりと背を向け、 どさっ。 由美の荷物だけ肩から落として、エレベーターの方へすたすたと歩いていった。 「あはは…え…? ち…ちょっとぉ…瞬、やだ…待ってよ…マジで怒ったの…?」 先を行く瞬の背に、慌てた由美の声と、落とされた荷物をずるずると引き摺る床の音 が届き、そして遠ざかっていく………
ばふっ………… 部屋に着くなり、両肩から荷物を落とし、ベッドに倒れ込む瞬。(もちろん、あのあと 引き返し、ちゃんと由美の荷物は持ってやった) 「ふぇ〜、着いた着いた………」 柔らかなベッドの弾力が身体を包み込み、押し殺してきた疲労が一気に吹き出す… ……。 「おつかれさまぁ…疲れたでしょう…?」 由美も上着を脱いで、向かいのベッドに腰掛けた。 「ああ…ちっとな…でも、今日はもう…運転はカンベンな……」 靴さえも脱がず、ベッドに伏せったまま、くぐもった声で返す瞬。 「あは…そりゃごもっとも……あ、そうだ…瞬、お腹空いてたんでしょ…? さっき買っ てきたやつ開けよ………」 「………」 だがそう言って、由美が目を向けたとき、瞬はすでに軽い寝息を立てていた。 「………瞬?………あらら…もう寝ちゃったの?………ま、無理ないか………」 苦笑を優しい笑みの形に変え、由美はベッドの外に足を投げ出したまま横たわる瞬の 身体にそっとブランケットを掛けた。 「瞬、ホント、おつかれさまでした」 |
(3)へつづく。