メイプルウッド・ロード
                     イ ヴ
〜#1.小雪舞うカムループスの聖夜〜

 

(3)

「んん…あ…む……」

 小一時間ほどたったころであろうか。

 さぁぁぁぁーっ、

 まどろみから目覚めへと向かっていた瞬の耳に、かすかな雨のような水音が届いた。

「…ん…あ…俺、眠っちゃったのか……ん…あれ…?」

 むっくりと身体を起こし、目をこすりながら辺りを見回す瞬。

 が…由美の姿はない。

「……………?」

 いまだ寝起きではっきりしない頭のまま、瞬は訝しげな表情を浮かべつつ、サイドテー

ブルの煙草に手を伸ばした。

 ……ふぅっ……

 紫煙が立ち上ぼり、ぼんやりとした思考が徐々にはっきりしてくる……

 ちょうどそのとき、

 さぁぁぁぁー…きゅっ。

 水音が止み、ややあって、

 ……ぱたぱた……ぱたん。

 濡れた髪をタオルで拭きつつ由美がバスルームから出てきた。

「あ…起きてる……」

 由美はきょとんとした顔で呟くようにそう言って、つかつかと歩み寄り、

「ったく、すーぐ寝ちゃうんだもん。お腹すいてたんじゃなかったの…?」

 ベッドに腰掛ける瞬の前で、両手を腰に着いて呆れた様子で立ちはだかった。

 顔を上げた瞬の目の前に、『そこ』だけ不自然なくらいに膨らんだ由美のだぶだぶの

長袖Tシャツが迫る。

「………!」

 慌てて目を伏せるも、今度はシャツの裾から覗く、滑らかな曲線を描いた短めの黒い

スパッツと、そこから伸びる白い生足………

 ……ごく…………

「…瞬?」

「あ…ああ、ご…ごめん、え…と、そ…それで…由美は何か、食ったのか…?」

 訝しげな声で問い掛ける由美の声に、瞬は慌てて横に目を逸らせ、ついでに飲み込ん

だ生唾の音をごまかすように、話も逸らす。

「ん…あたし? あたしはさっき、残ってたお菓子食べたけど……

 ま、あんまりお腹すいてなかったしね……」

 そんな瞬の様子を気付いているのかいないのか、由美は溜め息まじりに、足元の鞄に

着替えなどをしまうと、瞬の隣にちょこんと腰掛け、

「ねぇ…瞬、そんな事より『豹変』は…? あたし、瞬の『豹変』が見たいな…」

 猫の目を輝かせ、にじり寄って、瞬の顔を覗き込む。

「…? ば…馬鹿なこと言ってんなよ…!」

 一難去ってまた一難。

 瞬は迫る由美の大きな瞳にどぎまぎして、再び目を逸らした。

 すると、

「えーっ!『豹変』ないのぉ…? なーんだ。つまんない……ちょっと期待してたの

に……」

「…え……?」

「あーいやいや、なんでもないよ。別に……。アキコとかから、『がんばんなね』とか言

われたけど……瞬にその気がないんじゃ……ねえ?」

「え?……え?……え?」

 目線を逸らしつつも伺いながら、何やらわざとらしい口調で言う意味不明な由美の言

葉に、瞬は心底どぎまぎする……が本当に、ただどぎまぎするだけ。

「ああんっ…もうっ!」

 まったくもって鈍い瞬の反応に焦れる由美。巻いたタオルをほどきつつ濡れた髪を振

り乱して向き直り、こんなことを言い放つ。

「…ったくぅ! 瞬さ、あんたあたしのこと狙ってたんじゃないのぉ…?」

「た…確かに……そうだけど………って……え?! どどどどどーしてそれを……?

 い…いや、それよりなんでっ!?」

 呆れた口調でさらっと言った由美の言葉に、心底ド肝を抜かれ、あわてふためく瞬。も

ちろん自分でも何を言っているのか分からない。

「ばか。あのねー、そんなこと知らないのあんただけだよ。現に智也と英士なんてねー、

瞬がいつあたしに告白するか賭けてんだってよっ!」

 そして、驚愕の事実に驚く間もなく、由美の口から飛び出す忌ま忌ましい新事実。

「ま…まじで? くっそーあんのやろーったちゃ……親身になって協力するようなこと言

っときながら……」

 混乱する頭はとりあえず考えやすいほうへと向かい、瞬は恨めしげにそう呟き、虚空

に浮かぶ、悪友二人の嘲笑う顔を睨み付けた……が。

「ったく、あいつらを信じた俺がバカだっ……うぶぅっ!?」

「あーのーねー、瞬? いまはそんなこと言ってる場合じゃないでしょー?」

 顔をそらせた瞬の頬を押さえ潰して引き寄せて、こちらに向ける由美。

 同時に瞬の頭が一気に現状へと引き戻される。

「ほらほらっ、んなことで現実逃避してないで、もっかい今の状況を、よーく考えてみる

っ!」

「………」

 強い口調で諭され、ほっぺたを潰された間抜けな顔のままこくこくと頷く瞬。

 そして由美は、

「いーい?時は…クリスマスイブ。雪降るロッキーふもとの小さな街のホテルの部屋。

 目の前にいるのは想いを寄せる胸の大きなセクシー美少女…☆ どうやら彼女も

まんざらではないらしい…………。

 さーて、瞬、キミならどうする……?」

「え…?い…いや、ど…どーする?って言われても、とりあえず、ハタチこえてて、美少

女ってのはどうかと………」

 ぷちん。

 由美の中で何かが切れた音がはっきりと聞こえた。

「だぁぁぁぁっ! もうっ!! 瞬っ!あんたあたしのこと好きなんじゃないのっ!?

 あのねっ! こっちはこの旅行中、いつ言ってくれるのか? 言われたときどんなリア

クションがいちばん可愛いか? いきなりキスでも迫られたらどーしようっ? とか……

ずぅぅぅっと考えてたんだからねっ!! それが何? こぉぉぉんなシチュエーションになって

もまだなんにも言えないわけっ!? ひょっとしてあんたどっかおかしいんじゃないのっ!?

オトコとしてっ!」

 腹に詰まったものを一気に吐き出すように捲し立てる由美。

 そしてそれに圧倒されつつ、だが瞬は、

「え………!?な………」

 なにかすごいことを言われたような気もするが、それはともかく置いといて、

「なっ!? お…おかしいって……」

 最後の台詞になにやらカチンときたらしく、瞬は頬を押さえ付けられていた手を振り

払い、

「ば……ばかやろ。んなら、言ってやんよっ、確かに俺ぁ、お前のことが好きだよっ! 

四月に初めて会ったときからずっとなっ! まいんちガッコでお前と会う度どきどきして

たよっ! 雨の日にっ『お願い送ってって』って電話もらったときはめちゃくちゃ嬉しか

ったよっ! 今このときだってなー、どきどきが止まんねーよっ!

 ほらっ!これでいーかっ !?」

「そうよっ、そー言えばいいのよっ! ったく…………って………………え?」

「……………。」

 息着きかけて、固まる由美。またむろん、それは瞬も同様で、こちらは完全に言葉を

失っていた。

 ようやく………

『……………』

 お互いとんでもないことを口走ったことに気付き、驚いた顔で見詰め合った二人の顔が

見る間に赤く染まった。

 ……………………

「……と………」

 ややあって、何とか先に口を開いたのは瞬。

「…と、ま…まあ…そーいうわけだ……はは、わ…わりぃ…な……」

「わ…悪い…って、な…なにが…よ?」

「い…いや…その…なんか…いろいろ……だ…台無しにしちゃった…みてーで…」

「だめゆるさない」

 しどろもどろで言う瞬の言葉を、だが由美はあっさり切り捨て、そのまま目を伏せた。

「……うっ……」

 当然といえば当然の由美の反応に言葉に詰まる瞬だが、なおもばつ悪そうに続ける。

「そ…そうだよ…な。こんな風に告白されても嬉しいわけねーもんな……ごめん。

 け…けど、これでほとほと愛想尽きたろ……ほら、自分のベッドに戻れ……んで、ひと

晩寝れば忘れ……るわきゃねーか、やっぱし。で…でも、まあ、そのうちこんなくだらね

ーこと忘れっちまうよ……な………」

 苦笑を浮かべ、語尾の言葉を濁しつつ宥めるように言う瞬だったが……

「…………ほぉぉぉ?」

 地の底から響くような声を上げ、由美はゆっくりと顔を起こした。

 こめかみぴくぴくひくつかせ、目はちっとも笑っていない、満面の笑みを浮かべて……

「え…由…美……?」

 ただならぬ形相を前にし、思わず引く瞬。だが遅い。

「ふっふっふっふっふ……忘れろですってぇぇぇ? わ・す・れ・ら・れ・る・わ・け・

な・い・で・しょーがっ! こぉぉぉんなインパクトのある告白たーいむ!をどーやって

忘れろって言うのよっ!! そーゆーむちゃくちゃ言うのはこの口っ? ええっ!?」

 引きつった笑みを浮かべたまま、伸びてきた由美の両手が、今度は瞬の頬を左右に

つねり上げた。

「んあっ!…ひゃ…ひゃめ……いれれ……(いてて…)」

 由美にされるがまま、ユカイに変形する瞬の顔。

 一方由美は、怒気をはらんだその言葉の勢いのまま、さらに力を込めてつまんだ瞬

の頬を引っ張り回し、

「それにナニ? ゆーにことかいて、く・だ・ら・な・い、ですってぇっ!? そんじゃ、そんな

くだらないことで、どきどきしたあたしがまるっきりバカみたいじゃないのよっ!!」

 気のせいか、やや湿っぽい声を張り上げて手を離し、くるりと瞬に背を向けた。

「いてて………あ…ゆ…由美…?」

「…とんのよ……?」

「………え?」

「どー責任取んのよ……って言ったの!」

 背を向けたそのままで、顔だけをこちらに向ける由美。

 肩越しに瞬を睨み付けるその瞳は潤んでいた。

「……!」

 驚きと戸惑い、やるせないまでの由美への想いが頭の中で複雑に絡み合い、瞬は

ぎゅっと拳を握る。

「……由…美…」

 そして、思うより先に……

「由美っ!」

 瞬は由美を力一杯抱き締めた。

「ん…っ…瞬………」

 触れ合った唇が互いを求めて重なり合い、少しずつ開かれていく………

 やがて……

 思ったより、華奢な由美の身体を抱き締めつつ瞬は……

「………………?」

 何かが頬を伝うのを感じた。

「……………ぁ。」

 一瞬の間を置き、それが由美の涙だと気付いたとき、瞬は軽い驚きと共に、そっと唇

を離した。

「ば…ばか、見ないでよ」

 そう言った由美の瞳から、大粒の涙がまたひとつ零れ落ち……

「………え? 由美……?」

「…ばか………見るな……」

 涙の零れる顔を恥じるように由美は瞬の首にしがみついてくる。

 そんな由美の姿がたまらなく愛しくて……瞬はもう一度強く抱き締めた。

「あ……瞬……」

「………由美」

 耳元で囁き、瞬は再度…今度はやや荒々しく由美の唇を奪う。

「んんっ……」

 より激しく、より情熱的に、唇を交わす二人。

 ひとときの間も惜しむかのように互いを求め合い、やがて二人は、真っ白なシーツの

海に沈んでいった。

  

 窓の外は雪………

 真冬の国の凍える夜に。

 淡いオレンジ色の照明の中、あざやかな南国の花が咲き乱れ……

 抱きしめあう二人の耳に、熱風にそよぐ椰子の木のざわめきが……

 打ち寄せる熱い波の音が……

 聞こえた。

     

「あ…は…」

 熱い吐息が由美の唇から漏れる。

 気付けば、瞬の掌が豊かで柔らかな由美の乳房を下の方から持ち上げるように包み

込んでいた。

 Tシャツの布越しでありながら、たっぷりと伝わる弾力を楽しみつつ、瞬はそっと力を

込めてみる。

「あ…んっ!」

 一時顔を引き離し、驚いたような顔で瞬を見詰める由美。

 が…目の前の、その瞬の真摯なまなざしに気圧されるかのように、頬を真っ赤に染め

て目を伏せた。

「や…あ…あたし……む…むね…凄く弱いの………」

「……みたいだな…?」

 言って瞬はやわやわと次第に力を強めながら、外側から中心部へと五本の指を移動

させていく。

「んぁっ!? んんん…あ…は…だ…だめ…そこ………」

 首をすくめ、瞬の胸に手を添え、身を震わせる由美。

 だが突然、何かに気付いたように、はっ、と顔を上げた。

「ん…どした?」

「……………ぅ…」

 尋ねる瞬の目に、何やら申し訳なさそうな由美の顔。言いにくそうに口をもごもご動か

せている。

「ああ…? なんだよ? らしくねーなー。はっきり言えよ」

「あ…あの…ご…ごめんね、そ…その、あ…あたしはじめてじゃなくて………」

 焦れた瞬に促され、蚊の鳴くような声で告げた由美の言葉。

 そして瞬は……

「…………………ふん……」

 軽い舌打ちと大きな溜め息をつき、由美から身体を離すと、ごろりと仰向けに寝転ん

でしまった。

「え…?…瞬………………」

 瞬の温もりが遠ざかり、慌てて手を伸ばしかける由美だが、

「………ご…ごめん」

 言った言葉を後悔しつつおずおずと手を引き戻し、沈んだ表情をうつむかせた。

 すぐ隣に横たわる瞬との距離がやけに遠い………

 

(4)へつづく。

 

 

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