メイプルウッド・ロード
                     
〜#2.ジャグジールームの甘い霧☆〜

 

(2)

 そして………

 由美の家から距離にして2kmほど離れた、ビーコンヒル・パークというだだっ広い自

然公園に隣接する閑静な住宅街。

 Heywood.Avというおよそ100mほどの短い道沿いに、総レンガ造りの豪奢なたたず

まいがある。

 やや古めかしい感じはするものの、アメリカとイギリスの雰囲気が好融合された、

ここヴィクトリアの地によく似合う集合住宅……つまりアパートである。

 そしてなにを隠そう、ここが瞬…そしてルームメイトの藤井智也の現在の住まいであ

る。
                        
  カ ナ ダ
 ちなみに、アパートなどと言ってもそれはこちらでの呼称。日本風に言い換えれば、立

派なマンションと言えるだろう。
                        
ベースメント           ペントハウス  ビリヤード
 加えて、ランドリールームなどを備えた地下室にはジャグジー、最上階には玉突き台

などが置かれたサロンルームを擁しているところから、その冠に『高級』の二文字を付

け足してもなんら遜色のないように思われるつくりである。

 むろん、貧乏留学生の彼等が住むには、分不相応といった感がなきにしもあらずだ

が、逼迫した住宅事情の日本とは異なり、格安とは言えないまでも、月々の家賃はおよ
    
カナダドル
そ800C$(8万円程)。つまり一人頭4万円……。
     
ホームステイ
 今日び『下 宿』という形を取っても、月々500C$(5万円)前後が相場という事から

考えれば、決して高くはない金額ではある。

 まあ、もっとも、探せばここ以上に安く、彼等に手頃なアパ−トはいくらでも見付かっ

たのだが、瞬たちが住まい探しを始めて一番最初に出会ってしまったのがこのアパート

なのである。ろくに入りもしないジャグジーとやりもしないビリヤード台にあてられてし

まった瞬と快適な住まいを望む智也のコンビゆえ、様々に上がった他の候補はすべて

短時間で却下されたのは、もはや言うまでもない。

 さて、蛇足が過ぎたようだが、ともあれ、瞬たちの部屋。

 アパートの外観に見合ったやや…いや、かなり広めの小綺麗な2LDK。

 真っ白な壁に囲まれ、薄いグレーのカーペットが敷き詰められたそのリビングに

て……

「…えっとぉ……So I feel awfuly and think that………うーん……」

 部屋の中央、白いコーヒーテーブルに向かい、シャーペン片手に頭を抱え、先ほど

からなにやらうんうん唸っている瞬の姿。

 ちなみに、シンプルな住人の性格が反映されているのか、それともただ単にそこま

でお金が回らなかったのか、室内にソファなど家具調度品の類いは置かれておらず、

いたって簡素…というか、かなり殺風景なリビングである。

 家具らしい家具といえば、部屋の隅、カーペットの上にじかに置かれたTVとビデオ…

そして、部屋の中央、現在瞬が向かっている――ちゃぶ台のようにして使っている白い

コーヒーテーブルくらいだろーか。

 ま、それはともかく、

「……here someday………ピリオド…っと。……ひー、やぁっと終わったぁ〜!」

 ノートの上、走らせていたペンを投げ捨て、そのままごろり後ろに寝転ぶ瞬。

 ちょうど、学校の宿題……新聞のスクラップ及びそのサマリーを書く…といった課題を

終わらせたところである。

 まったくの余談だが、瞬たちは語学留学のため――こーいった課題も出る。

 ともあれ、

 かちんっ。

 ジッポーライターの高い金属音が響き、瞬のくわえた煙草から紫煙が立ち上ぼる…。

「ふう……」

 ひとしごと終えた軽い満足感に包まれ……

 と、そこへそんなタイミングをみはからったように……

「…ところで、瞬、メシは? 俺そろそろ腹減ってきたんだけど……」

 とっくに自分の課題は終わらせ、クッション枕にTVの前で寝転んでいたルームメイト

…智也から声が上がった。
 
ふじいともや 
 藤井智也…ややシニカルな感をもった瞬のルームメイトである。

 どこか影のあるような風貌、知的でクールなイメージから、いかにも女の子にモテそう

なタイプで、また、外見に違わずその性格は常に沈着冷静、あまりその感情を顕著には

あらわさない……要するに単純明快、超が付くほどわかりやすい性格の瞬とはまったく

対称的な男である。

 そんなことから、由美などには、あんたたちよくそれで一緒に生活なんてできるねー、

などと言われるが、本人たちも気付いていないどこかで気が合うのだろう、これでもお互

い 居心地が良かったりする。

 まあ、俗にいう、ウマが合うといったところであろうか。

 ともあれ、こちらに振り返りもせずに言った智也の言葉に、

「ん?……おー、もうそんな時間か。わりわり、んじゃ夕メシの材料でも買いに行くか…

…っと…、智也…お前、今日なにがいい?」

 寝転がったまま、くわえ煙草で頬づえをつき、夕食の献立を促す瞬。

 ちなみにこう見えてもこの瞬、実家が飲食店を営んでいることもあり、料理が得意で、

その腕前はなかなかのものであったりする。

「あー?いや…もうなんでもいーよ……っと、そうだ、アレがいいな。ほら、こないだの…

……ポークチャップ…だっけか?」

 そうリクエストする智也。ここで初めて、その端正な顔を瞬に向けた。

 一方、瞬は、やや困惑気味に、

「うーん、ポークチャップかぁ……アレは、ちっときついな。今からじゃ漬け込む時間が…

…っと、そーだな、それじゃソテーでいーだろ?ポークソテー。」

「……ま。なんでもいーって。瞬が作んのなんでも美味いから……。で、いつもどーり、

『セーフウェイ』だろ……?」

 なにやら申し訳なさそうな顔を見せる瞬に、智也は苦笑で応じて、むっくりと身体を起

こし…、

「んじゃ、ちょっと俺着替えてくるから…」

 後ろ手に手を振って、自室へと向かった。

 ちなみに『セーフウェイ』とは、瞬たちのアパートから車で10分程行ったところにある

大型スーパーのこと。食品の品揃えが豊富で、彼等が最も愛用している店である。

 とはいえ、たかが近所のスーパーに行くだけである。部屋着の上にジャンパーか何か

を羽織ればいいようなものだが、そこはそれ、よーするにこの智也、こーいう性格なの

である。

 また、対称的に、瞬はそこらへんに脱ぎ捨ててあったハーフコートをよれよれのスゥエ

ット上下の上に羽織っただけ。靴下も履かずに出掛けるつもりである。

 と、そこへ……

 RRRRRRR……

 由美からの電話が鳴ったのはこのときであった。

 受話器を取り、

「Hello……って、ああ…なんだよ。由美か……え…?う…うっせーな…カッコつけてる

わけじゃねーよ!」

 開口一番、『Hello』の言い方をからかわれ、頬を赤く染める瞬。

 ともあれ、そんなことはもちろん構わずに、先程晶子と勝手に決めたスケジュールを申

し出る由美の言葉に、

「え…ああ……なんだよまたかよ……。ああ…まあいーけどよ。どーせ今から買いモン

行くつもりだったし……え…なに…?パウダー……? ばーか、んなもん持ってるわけ

ねーだろ……あ?智也が? い…いやお前……そりゃいくらなんでも……ま…一応聞

いてみるけどよ……」

 訝しげに眉をひそめ、頭をぽりぽりかきながらコードレスホンの通話口を手で持って、

智也の自室の方に向かう瞬。

「おー智也ぁ、お前さ、肌のテカりをおさえるパウダー…とかって持ってる?」

「んー?ああ…持ってるよ」

 無遠慮にドアを開けつつ尋ねる瞬に、なにやら着ていくセーターを姿見の前で吟味し

つつ、ほぼ即答で返す智也。

「…………。」

 しばし絶句。

(ま…まじ…かよ…こいつ………)

 だが、困惑の思いを胸に瞬は、なんとか取り直し、

「……あ…あのさぁ、そんで…なんかソレ、アキコが貸してほしいらしいんだけど……」

「ああ、いーよ」

「……。」

 またも、あっさりとした智也の快諾。そして瞬は、未だ信じられないというような顔をし

ながら、再び受話器を口元に持っていき、

「……お…由美。おまたせ。え…いや…持ってるってよ……え?やっぱり…って、お前…

…。ま…まあ…とにかく…ん?ああわかった…それで…うん……。あ…5分?いや5分

はきついな、いま智也お召しかえ中だからよ…そーだな、10分くらいかな……んじゃ、

あとでな」

 ぴ…。

 電話を切り、瞬は持ってた受話器をそこらへんの床に置きつつ、

「おー智也ぁ……大体わかったろ……。つーわけだから、俺…先に出てんぞ。なんか急

いでるらしーし、暖気しとかねーとシビック…最近調子わりーから……」

「……ちょっと待てよ瞬」

 そのまま玄関に向かおうとする瞬に、智也が待ったをかける。

「んー、なんだよっ?」
          
ベースメント                     
「いや、その前に地 下行って洗濯物出してこーぜ。したら、買いモンやらなんやらしてる

間に終わってるだろーし………大体、瞬…お前、ここんとこ出してねーだろ?相当溜ま

ってんじゃねーの?」

 ややせっついたような様子で振り返る瞬に対し、こちらは平然と、呑気とさえ思える口

振りでいう智也。

 ちなみにこちらのアパートにはよくあることだが、この手の共同住宅には地下などに

コイン式の洗濯・乾燥機が置かれたランドリールームが、設けられていることが多く、

ここ瞬たちのアパートも地下にあるジャグジールームの隣がランドリールームになって

いる…まあ、いわゆるコインランドリーがそのままアパートの中に入っているという訳で

ある。 

「け…けど…でも…なんかマジで急いでるみたいだったぞ……それに晶子が武史との待

ち合わせ時間がどーとかこーとか……」

 そんな智也の様子にやや気を殺がれたものの、焦った様子で反論する瞬。

 だが智也は、そんなひとのいい瞬の弁にしんそこ呆れたような溜め息を着き、

「はぁ……。あのな瞬…お前もいーかげん学習しろよ。あいつらの急いでるーがあてに

なるかよ。おーかたいつもどーり待ち合わせ時間おもいっきりぶっちぎった晶子がひと

りで慌ててるだけだろーが。そんな年中行事みたいなもんに、俺たちがいちいちつきあ

ってやるこたねーの。」

 まるで見てきたように断言する智也だが、それが寸分違わぬ正しい見解であること

は、もうご存知の通りである。

「…い…いや…けどでも……」

 きっぱり言われて言葉に詰まる瞬だが、智也はまったく意に介した風もなく、

「んなことより洗濯だ洗濯……ってゆーか、瞬、お前もうあしたっから着るもんもないん

じゃねーの?」

「う…うん…まあ……」

「だろ?だったら、どーせもうあっちの用事は5分や10分おくれたところでどーってこ

とねーんだから。待ってる武史だって先刻承知済みだよ……それに、どーせ、お前、

明日も由美とどっかいくんだろーが。今洗濯しとかねーとまーた服がこきたねーとか

なんとか……うるせーぞ。きっと」

 またしても決め付けたように説く智也だが、その台詞の中に間違ったところは 一つ

もない。

 そして、そんな至極もっともな智也の意見に説き伏せられ、やや釈然としない顔を

見せつつも、

「あ…ああ。わかったよ……」

 不承不承にうなづく瞬。  

 やがてほどなく、智也の着替えも終わり、二人は、地下のランドリールームに向かい―

 がちゃん。
 
 ク ォ ー タ ー
 25セント硬貨4枚押し込めて、動き始めた洗濯機を背中に、瞬たちはアパートを後に

した。

 

(3)へつづく。

 

 

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