メイプルウッド・ロード
〜#2.ジャグジールームの甘い霧☆〜
(3)
「瞬っ、ありがと。じゃねっ!」 「おー、武史によろしくな。ちゃんとあやまっとけよー」 ダウンタウン、待ち合わせ場所のファーストフード店の前に車を駐め、足早に去ってい く晶子の背を見送る瞬たち3人。 車の窓から顔を出し、瞬はそう声を投げた後、 「さて……んじゃぁ、いきますか。……っと、そーだ、由美…お前もウチでメシ食ってく の?」 「…って聞くまでもねーだろ。その荷物見りゃ……メシどころか、泊まってくつもりだろ ?」 サイドブレーキを下ろしつつ尋ねる瞬に、後部座席に座った由美が答えるより先に、 呆れたような声を発する助手席の智也。 「うん…もちろん☆」 そんな智也の様子をまったく意に介した様子もなく、小さめのボストンバッグを脇に、 ディパックを膝に乗せ、にこにこ顔で頷く由美。 「ふん……」 「……じゃ、行くぞー」 小さく鼻を鳴らし、頬杖ついてそっぽを向く智也と、そんな二人のやり取りに苦笑を浮 かべアクセルを踏み出す瞬。 と、その時、 「ん…?ねーねー、あれ、葉月じゃない?」 ふと、窓の外に視線を移し、大通りの反対側、バス亭の前に知った顔を見付けた由 美が、ヘッドレスト越しに瞬の肩を叩いて、車の発進を止めた。 「え…どこ?」 「ほら…あのロイヤルバンクの前のバス亭んとこ……」 「あ…ほんとだ。」 身を乗り出して指差す由美に促された瞬の目線の先、そこには、同じくバス待ちする うつむかせいる、眼鏡を掛けた女の子の姿があった。 彼女の名は『川村葉月』。 やはり瞬たちと同じ学校に通う留学生で、先の晶子などと並び特に瞬たちが親しくして いる仲間の一人である。 やや無表情の感のある風貌、眼鏡の奥に潜ませた切れ長の瞳。小柄で線の細い 外見の、 まあいわゆる物静かな知的美人…といったところか。 ただし、理知的でクールなひとあたりはその外見が示す通りだが、なかなかどーして 物怖じしない性格の持ち主で、時として勝ち気な由美でさえ躊躇するようなコトを平然と 言ってのけることもしばしば―――とまあ、よーするにこの辺は、今も口数少なに助手 席に腰掛けているどこかの誰かさんの女版と考えて頂くと話も早い。 ともあれ、 「…んなわきゃねーだろ、34番のバスは葉月んち行きだ。帰るとこだろ」 視界の中に捕えた葉月の姿を見やりつつ、呟く瞬に、おもしろくもなさそうに否定する 智也。 「ふーん……。けど智也、お前やけにくわしー……」 「あ…ねーねー、瞬、送ってってあげたら?」 意外そうな声を上げる瞬の言葉途中で、口を挟んできた由美に…… さらに被せるよう に言う智也。 そして、助手席側の窓に顔を向けたまま、そっけなく言ったそんな智也のセリフに、 「……はぁ?」 瞬はまともに眉をひそめた。 とはいえ、むろん葉月を夕食に誘うことに異論があってのことではない。 メシは大勢で食ったほうが美味い!が彼の持論でもある事であるし、むしろ大歓迎で ある……つまり、智也から発せられた言葉が、あまりにも意外だったのだ。 というのも、徹底した『来る者は拒まず去る者は追わず』主義のこの智也。 みさかいなく大風呂敷を広げて友達を招いてくる瞬を皮肉めいた冗談でたしなめるこ とはあっても、自分から人を自宅に誘うなどといった事はしないはずなのだが……。 「あ、いーじゃん♪ そーしよーよ。ね、瞬☆」 そんならしからぬ智也の言葉に瞬が困惑しているところ、由美の陽気な声が掛かる。 そう、確かに智也の態度は不可解だが、むろんそれについて異を唱えるつもりもな い。 「あ…そ…そーだな……」 いまだ腑に落ちないような顔を浮かべつつも、瞬は頷き、発進させたシビックをUター ンさせるべく、道路の中央、左車線に寄せていった…… そして、 「は〜〜づきぃ〜〜っ!」 バス亭のやや後ろ。車を駐めるやいなや、飛び出して葉月に向かってダッシュを駆け る由美。 ばたんっ。 次いで瞬も車から下り、ポケットに手を突っ込んで葉月の座るベンチへと歩み寄って いく。 ちなみに、智也は車に乗ったまま。といっても、薄情だとかものぐさだとかは言うなか れ。不用心にもエンジンカットもせずに、出ていってしまった瞬のフォローである。 そして、一方、 「ん…ああ、由美か…どしたの…」 場所も憚らず上げられた由美の大声にまったく驚いた風もなく、葉月はこともなげに ゆっくりと顔を上げた。 肩口で切り揃えられた長めのボブヘアをさらりと揺らし、眼鏡の奥、やや眠そうにさえ 見える無表情な眼差しが由美に向かう。 対して由美は、駆け寄ったことでやや乱れた息を整えつつ、 「はぁ…。あ…うん、今アキコ送ってきてさ、向こうからあんたの姿が見えたから……。 …今、帰るとこ……?」 「ん…そうだけど……?」 問われて小首をかしげる葉月……だが、その間に、由美の後方、歩み寄ってくる瞬… そしてそのまた後ろに駐めてあるシビックを交互に見やり、 「ふーん………なるほど……ね」 瞬時に状況判断を済ませた葉月は、意味ありげにすっと目を細め、また口の端に小 さな笑みを浮かべつつ、 「…で? 送ってってくれるの…? それとも…夕食のご招待…かな?」 「え…?あはは…相変わらずねあんた……話が早いわ……」 そんな察しのいい葉月に、由美はやや呆れたように苦笑で答え、 「で、ごはんの方だけど、どう?」 「ふむ…そーいえば、ここ一週間、食生活も貧しかったし、瞬の料理なら……聞くまでも ないわね…☆」 すましたような笑みで由美を見上げつつ、読んでた本をぱたんと閉じる葉月。 「おっけ。じゃいこいこ」 そして、並んで車のほうに歩き出す二人…と、そこへ、ようやくこちらに近づいてきた 瞬が片手を挙げて、 「うぃーす。葉月。あのさぁ、これから……」 むろん、そんなワンテンポ遅い問い掛けに答えるまでもなく。 「で…今日のメニューは?」 「ん…ポークソテーだって……ま、葉月もいることだし、あと2、3品増えるんじゃないか な……」 まるでその存在を無視し、何食わぬ顔で瞬の横を通り過ぎていく葉月と由美。 結果、振り上げた瞬の手の行方は、その先にいた老婦人に…… 「………What?」 「……や…その……はは…」 こまったよーな笑みを浮かべたおばーさんに、頭かきつつ愛想笑いで応えて、瞬は慌 てて踵を返し、ハクジョーな女二人の後に続いた。
「じゃ瞬…、俺、洗濯物…乾燥機に入れてくっから、先行ってて」 「あ…そっか。悪いな…」 かくて買い物を終え、瞬たちのアパートに着いた4人。 駐車場から地下ランドリールームへと向かう智也と一時別れ、瞬、由美、葉月の3人 は買い物袋をぶら下げ部屋へと向かう。 チンッ。 前近代的なデザインの、レトロなエレベーターの扉が4Fで開き、 真っ白な壁に囲まれ、赤い絨毯の敷き詰められた、あたかもホテルの客室然とした 廊下を進んだ突き当たりに、金色のローマン体で『422』と部屋番号が打ち込まれた 白いドア。 ここが瞬と智也の部屋である。 かちゃ。 「おー、いいぞー入って」 むろん、勝手知ったる何とやら、ドアを開けた瞬に入室を促されるまでもなく、完全に 自分の家のような足取りで、由美と葉月はリビングへと向かう。 買い物袋を持ち直し、その後に瞬が続き…… 「ふう…。いつ来てもあったかい…ってゆーか、暑いわね。ここは……」 リビングに着き、シンプルなベージュのコートを脱ぎつつ、息着く葉月。 さらにセーターをも捲り上げ、タイトな黒の長袖Tシャツ姿に……と、首からセーターを 引き抜く際、その小柄な身体には不相応な、由美に勝るとも劣らないふくよかな乳房が ぷるん…と揺れた。 (……お☆) 買い物袋をどさっと下ろし、 「………。」 悲しき男の本能という奴で、当然瞬の目はそこにクギヅケとなる…… そんな本人のみ、ちらちらと伺っているつもりの食い入るような視線に、もちろん葉月 が気付かないはずもなく、 ……妥当どころか、文句なしの数値である…… 「い…いやその……はは……」 すました笑みであっさりと告げる葉月に、顔を赤らめてテレ笑いを浮かべる瞬。 しかし、そーなってくると、まだ聞いたことがない由美の正確なデータも知りたくなってく る……。 瞬は、自分では気付かぬスケベー笑いを満面に、横にいる由美のほうに向き直り、 「…な…なぁ、由美ぃ〜☆」 びすっ! 「あだぁっ!?」 次の瞬間、へらへら笑いを浮かべる瞬の眉間に、渾身の力を込めた由美の手刀が 炸裂した。 「〜〜っ!」 視界が暗転し、額を押さえてその場に崩れゆく瞬を尻目に。 「ふん……」 由美はおもしろくもなさそうに鼻を鳴らし、お泊まり用の荷物を置くべく瞬の部屋へと 姿を消す。 「ただいま〜」 また、ちょうどそこへ帰ってきた智也。 「…っと、ん?どした瞬。偏頭痛か?んなとこでうずくまって……」 まるっきり冷めた口調で言い、TVの前に寝っ転がって、レンタルしているゲーム機の スイッチに手を伸ばし……コントローラー片手に背を向けたままあっさりと、 「メシ…早くな」 ちなみに、葉月は、すでに我関せずとばかりに、部屋の隅に腰を下ろし、壁に背もた れ、先程読みかけだった本を取り出し、それに目を落としている。 「あ…智也…お帰り〜」 そして、瞬の部屋から戻ってきた由美。いつもの場所にいつものように寝転がる智也 にひと一声かけ、瞬の部屋から勝手に持ち出してきた数冊の漫画本をどさっとコーヒー テーブルに置き、 「ん…?瞬…なにしてンのよ? は〜や〜く〜、ごはん〜〜!」 ……いつものことながら、この三者三様の如何ともしがたい態度を前にして、 「………。」 悲しきシェフは、よろよろと立ち上がり、うなだれたまま無言でキッチンへと向かった。 ……しくしくしくしく……。 |