メイプルウッド・ロード
                     
〜#2.ジャグジールームの甘い霧☆〜

 

(5)

 やがて、夜も更け、

 楽しくも賑やかな4人の晩餐、そして酒宴もひと段落つき――――

 天井の照り返しを利用した、淡い間接照明の光の中、安らかな寝息が立ち始める。

 いつもどおり散々の大騒ぎの末、壁際で肩を寄せ合い眠ってしまったふたりと、

 今もテーブルに差し向かい、互いに形の異なるグラスを傾けるふたり……。

 組み合わせの誰何は、いまさら記すまでもないだろう。

 やがて。

 壁掛け時計の針がぴったりと重なり合ったその刹那……。

 智也の傾けたグラスが、

 カラン……。

「……ふーん。それって、つまり…私とつきあいたいってこと…?」

 小気味よい音に混じり、発した智也のひとことに、口元でワイングラスをもてあそび

つつ、何の抑揚もない葉月の言葉。

 だが、そんな淡々とした口調とは裏腹に、うつむきかげんの眼鏡の奥、やや好奇の

色合いを見せた瞳が、しっかりと智也を射抜いている。

 普通の男なら、その視線に耐えかねて、たじろぐか、引きつった笑みを浮かべて笑っ

てごまかすところだが……

「ま…そーいうコトかな……」

 口元にわずかな笑みをつくり、鼻先に掲げたグラス越しに、智也はまっすぐに葉月を

見詰め返す。

「……ふーん。」

 動じない智也の態度に、内心やや鼻白む葉月だが、むろん彼女もこの程度で冷静さ

を欠くほど甘い手合いではない。

 呆れたように苦笑を漏しつつ、

「…ずっるいわねぇ。私がどういう答えを返すか、全てのパターンを想定した上で、

そーゆーこと言うんだから……。ったく、そんなシナリオ通りの人生送ってて楽しい?」

「…ってゆーか、今日このときこのタイミングで、俺が言ってくるだろうってコトを完璧に

予測してた奴にだけは絶対言われたくないセリフだな。それは」

 冷笑浮かべ、蔑むように言う葉月に、即座に切り返す智也。

 そして、むろん葉月も、

「あら、『今日』ってのは予測してないわよ。ま…今日『あたり』…次にココに来たとき

は…って、思ってたけどね……。

 だいたいあんなしらじらしいスジガキ書かれちゃ、ノるしかないじゃない?」

「ん?そーでもねーぞ。一応あっさり躱す…っていう選択枝も設けてあったはずだけど…

…?」

 挑発的な笑みを浮かべて覗き込んでくる葉月に、またひと口、にやつかせた口元にグ

ラスを傾けつつ智也。

「はぁ…選択枝? ああ、ひょっとして…『この”前フリ”がわかんなきゃ、俺にはついて

これねーぞ』然としたアレ…?

 私の性格、よぉ〜〜く考えた上で、それが挑発にしかならないことをじゅーぶんわかっ

て用意したアレが選択枝……ねぇ?」

 わざとらしくおおげさに驚いたフリを見せ、意地悪い笑みを向ける葉月。

 そして、智也はこれまたわざとらしく、困って彼女の目から逃れるような素振りで、目

線を宙に泳がせ、天井を見上げ、

「……あーあ。あのサインがわかるよーなあつかいにくい女には絶対手ださねーと思っ

てたんだけどな……俺は…」

 一方、葉月はしんそこ呆れたように深い溜め息をつき、

「はぁ……。まったくおんなじ言葉を返してあげるわよ。………それで? ちゃんと答え

たほうがいいの?それとも…これが返事ってことでいい?」

 互いの…頭の中を覗き込むような視線が絡まり合い、しばしの沈黙。

 そして……

「くくく……」

 智也の口から失笑に似た笑いが漏れる。

「あ、ごめん。もっと盛り上がんなきゃいけなかった?」

「くくく……いや、こんなもんだろ。俺たちなら」

 込み上げる笑いを堪えるように智也。

「んふふ……ま、とりあえず……カンパイ…ってところかしら?」

「そーだな…一応。」

 チンッ!

 澄んだ音色が響き、それぞれの手の中で赤と琥珀の液体が揺れる……

  

「でも……ちょっと計算外だったかな。……どーゆー風の吹き回しよ?」

 智也の隣に席を移し、手に持ったグラスを見つめたまま尋ねる葉月。

「……んー?なにが?」

「だって、あんなあからさまに告白…なんて、どー考えても智也らしくないじゃない。

 もちろん今日あたり、なんか言ってくるだろうな…とは思ってたけど――お互いの

性格を考えて、もう少しカルいつきあいを望んでくるかな…って思ってたから……」

 口元に掲げたグラスの中を見詰めつつ、葉月はそこまで言うと、やや真顔になって

智也の方を向く。

「で…いいの?ほんとに。こんなはっきりした関係にしちゃって。今ならまだ……」

「取り返しがつく…シャレってことにして、いままでどおり微妙な関係のまま帰国を迎え

りゃ、湿っぽくならずにスムーズにバイバイできるよ……か?」

 カルい調子で葉月の言葉を繋げる智也だが、どこかその口振りの重みが違っている

ように感じられる。

 また、そんな智也の微妙な変化を訝かりながら、葉月は、

「う…うん…。あ…私なら大丈夫だよ。一応そーゆーつきあいかただって知ってるし、今

までだって……」

「おっと、ストップ」

 片手を上げて、葉月の言葉を遮る智也。

「え……?」
                    
                むかし
「おいおい…それこそらしくねーなぁ。こーゆーとき、過去の話を出してくるのはルール

違反だろ?」

「あ。そっか……ごめん……」

 シニカルな笑みを浮かべて言う智也に、やや気まずそうに目を伏せる葉月。

 智也は、そんな葉月を視線の端に収めつつ、煙草を一本口にし、

 かちんっ………ぼっ。

 立ち上ぼる紫煙を目で追うように天井を見上げながら、口を開いていく。

「ま…実際、自分でもらしくないこと言ったな、とは思ってるよ。それに俺たち二人の性

格考えれば、この場で適当なこと言っといて、まあ…いわゆる友達以上恋人未満って
                 
ライン
いうやつか……そんな微妙な線で付き合ってくのも可能だろうし、それがいちばん無難

なのかもしれない……。

 さっきも言ったけど、いずれ……2か月後に来るだろう帰国という別れを迎えても湿

っぽくならずにすみそー だしな」

 自らを皮肉ったように言う、なんだか矛盾している智也の弁に、

「そ…そーよ」

 葉月は何かを思い立ち、少し勢い付いて彼に向き直る。

「だって、前に智也、言ってたじゃない……
    
     こんなところ
 ―そもそも留学先で芽生える日本人同士の恋愛なんて、しょせん異国の地という不安

定な精神状態で、寂しさが極まるか、あるいは意味もなくテンション高まりまくったあげく

、ごく限定された人間関係の間で生まれるウソくさい感情………

 隔絶された環境下におかれた男女が安易に手近な異性を求めてしまう――いわばヒ

トとしての種族保存の本能―――」

 手に持ったワイングラスを見詰めながら、静かに、低く沈み込ませるように、葉月はそ

こで言葉をとぎらせ、

「…とかなんとか…夢も希望もないこと言って、瞬をマジギレさせちゃったのは誰だった

かな〜☆」

 きらりと光る眼鏡の奥、多分にからかい気味のいたずらっぽい瞳で智也を見詰める。

 …そう、確かに……3か月ほど前だったか、今日のような酒の席で、まだ由美と付き

合う前の瞬が自らの想いに悩んでた際、いつまでも煮え切らない彼の愚痴を聞いてい

るのがいーかげん疎ましくなった智也は珍しくイライラが募り、ついついそんな言葉を

発してしまったことがある。

 そして当然、そんなミもフタもない冷ややかな智也の物言いは、瞬の気持ちをまともに

逆撫でし、危うく大ゲンカに―――とまあ、そのときは、その場に居合わせた数人の仲

間に仲裁され、なんとか事なきを得たのだが……

 そう言えば、そのとき、持ち前の冷静な言い回しで、険悪になったムードをときほどい

てくれたのは、ほかならぬこの葉月だった…。

「あ、ああ……」

 ともあれ、そんな過去に自分が述べた言葉を一言一句正確に、スラスラと再現して

みせた葉月を前にして、さすがの智也も戸惑いの表情をあらわに、ひととき言葉を失

ってしまう。

 それでも、なんとか取り直し、

「……けど、ひでーなそりゃ……。俺、そんなこと言ったっけ?」

 とりあえずとぼけてみせる智也だが、

「あら…忘れるほど昔の話じゃないと思うけど?」

 それを逃がさぬように、すかさず冷めた視線で捕える葉月。

 さらに、

「さらに、こーも言ったよね……よーするに、ある種感情の勘違いみたいなものだし、結

局このシチュエーションがなきゃ成り立たない脆い関係なんだから、本気で悩んだり傷

付け合ったりすんのなんてばかばかしいこと……。
             
          げんじつ
 いくら熱くなったところで、どーせ、日本に戻れば、あっさり冷めちゃう夢か幻……」

「と、ちょっと待て。俺はそこまで言ってないぞ……」

 流れるような葉月の語調を、なぜかそこへきて急に真顔になり、制止をかける智也。

「ん…? まあ、『いくら熱くなったところで…』ってとこからはね。でも…思ってたことで

しょ?」

 そんな智也の様子をやや不審に思いながらも、軽口気味に問い掛ける葉月に、

「………」

 しかし智也は、手に持ったグラスを見詰めたまま表情を崩さず無言で、否定も肯定も

しない。

 どうやら、今度はとぼけているわけではなさそうだが……?

 葉月の脳裏に一抹の疑問がよぎる。

「ん…?…でもちょっと待って。そー言われてみると変よね? なんで智也はそこまで言

わなかった…の?……瞬を気遣って?ううん。そんなワケないわね…どっちかっていうと

『それなら諦めちゃえ』って方に話は傾いてたんだし………」
                                           
わ け
 無言の智也に葉月は、そのときは深く考えなかった『彼が言わなかった理由』

を呟きつつ、自らの考えを推し始めていく……。

 そう、あたかも難解な事件を前にした探偵が、自らの推理を紡ぎ合わせていくときの

ように……。

 ……………………。

 やがて、忙しなく働き始めた葉月の頭の中で、様々な要因が繋がり合い、一本の仮定

が出来上がっていき……

「……ということは、言わなかったんじゃなくて……言えなかった…とゆーより言いたく

なかったのね……そう、認めたくなかった……その事実を……智也自身…が……?

 ……え?」

 葉月の頭の中に疑問符が満ちる。導き出される仮定に動揺が走る。

 どこか別のところで、違う自分がこれ以上探ってはいけないと危険信号を出している。

 だが……

「で…でも…それだけじゃない……だれか……その場にそれを聞かせたくない人間がい

た……それはたぶん……私……。え……?…わ…私…がいたから……?」

 明晰すぎる彼女の思考の流れは止まらず、さらに顕然となっていく仮定を追っていくう

ち、やがて葉月は、一つの…そう、にわかには信じ難い要因を見出だしていった。

 ……そう、理屈や論理を飛び越えた智也の……自分に向けられた熱い想いに……

「……え……え……?……で…でも……う…うそ…でしょ……?」

 葉月の口元が意味のない笑いで歪む。

 そして、すべて導き出された仮定…いや、もはや疑う余地のない限りなく真実に近い

事実に正面から向き合ったとき、

「う…うそ…」

 葉月は胸の内で何か大きな壁が壊れたような感覚を覚えた。

「あ…有り得ない…こんなこと…うそ……よ…!」

 発する声が震えているのが分かる。

 恐怖に似た奇妙な感覚が迸り、自らの心の変化に驚愕する葉月。

 …確かに智也に好意は持っている、が…それはじゅーぶん自分の中で収拾がつけら

れるはずのもの……そう思っていた。

 だが……これは……

 よもや自分には縁のないものだと思っていた……胸の高まり……
      
        どーすることもできない
 自らの意思では制
   能の熱い想いが、濁流の如く身体の奥底から沸き上がっ

てくる。

 やがて……

「……あ…」

 ついぞ覚えのない感情が見る間に彼女の頬を染めあげていき…

「………ぅ……。」

 葉月は完全に言葉を失った。

 

(6)へつづく。

 

 

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