メイプルウッド・ロード
〜#2.ジャグジールームの甘い霧☆〜
(7)
むろんのこと。 こんな想いになるのは初めてでも、もとよりふたりの経験は水準以上。 やみくもに求め合う力強さこそないものの、生まれた甘いムードを損なうことなく、 互いの気持ちを確かめ合い、ゆるやかにその熱い想いを高め合っていく。 そんな甘く華麗にも大胆なくちづけを経て…… 全くの自然な動き、あたかも在るべき場所へ帰るように、葉月の身体を辿る智也の 手がその豊かなふくらみにさしかかる…… だが、 にわかに胸元にすべりこんできた智也の手のひらの体温を感じ、 「だめ……」 葉月はすっと、唇を離し、落ち着いた目配せで呟いて智也を制した。 もっとも、それも無理のないこと。 彼等の脇、壁際には、今も変わらず寄り添い安らかな寝息を立てている瞬と由美が いるのだ。 もちろん智也もそれを忘れた訳ではないのだが、 真の意味で、初めて想いを寄せた相手とのキス…そして甘いひとときに、意識外の 衝動が生まれ、本能を触発し………と、よーするに、平たく言えば、興奮して我を忘れ てしまったのだ。むろん、こんなことも初めてである。 動揺する自分を嘲るようにほくそ笑み、 「ああ…悪ィ……」 智也はすっと手を引き戻して、葉月を抱く力も緩める。 だが、 「だめ……」 葉月は自ら抱き締める力を強め、身体を離そうとした智也を引き止める。 「あ…えっと…でも……」 理不尽な葉月の反応に、さすがにどう対処していいか分からず躊躇する智也。 しばしの沈黙の後、 「…じゃ…どーすりゃ……?」 自分で言っててかなり間抜けな問いだとは思ったが、それ以外うまい言葉も見付から ず、戸惑ったまま尋ねる智也。 一方、葉月はそんなことを気にも留めずに、またそれどころではないといった風に、 「わ…私にもわかんないよ……なにもかも、こんな展開はじめてだもん……」 なにやら心細そうな表情を浮かべて智也を見上げる。 そして、またしばしの沈黙。 「……えっと……そ…それじゃともかく俺の部屋行こうか……」 全く露骨すぎる言い回しに自らを恥じながら言う智也。 だが、 「それも……だめ…」 「……え?」 またも葉月のダメ攻撃に、今度はまともに面食らう智也。 また、そんな困惑する智也を前にして、なにやら葉月は言いにくそうに頬を染めつつ、 「だ…だってさ……わ…私…意外と『デジベル』調節できないのよ……まして今日こんな 状態で智也とそーなっちゃったら………私……予測…付かない…の…」 消え入るようなか細い語尾を残し、真っ赤に染まった顔をうつむかせる葉月。 なるほど、葉月らしい恥じらいの表現である。 ご存じだとは思うが、デジベルとは音量の単位。 よーするに、大きな声を出してしまいそうなので…(恥)……ということらしい。 そして、むろん察しのいい智也がその言葉の意味を理解できないはずもなく。 「ふ…ふーん、なるほど…ね……」 戸惑いつつもその難題の計算を瞬時に終え、 「…つまり、よーは、円滑に……ご退場願えればいいってことだろ……?」 壁際の二人に一瞥をくれ、にやり笑みを浮かべて葉月に向き直る。 「え…そ…そりゃ…そーだけど……いくらなんでも……………あ。」 ムチャな事を言い出す智也に眉をひそめて、だが葉月は言葉途中で彼の思惑に気 付き、 「な…るほどね……そーいうことなら……ふふ…☆」 いまだ頬を赤らめたままの葉月の表情は、やがていつもの不遜な笑みに変わって いった。
ピピピピピピピ…… テーブルの上に置かれた腕時計のアラーム音に、 「………ん…」 瞬の肩に頭を預けたまま、うっすらと目を開く由美。 「ん…あむ………ん…?」 徐々にまどろんだ意識がはっきりしてくると、妙に右半身が重いことに気付く。 「ん〜〜っ!」 寝ぼけまなこのめーわくそーな表情で、右肩に伸し掛かる瞬の頭を遠ざけて、 ……ぼて。 バランスを崩し、床に転がってなおそのままの体勢で寝こける瞬を呆れた表情で 見下しつつ、 「……うーん……」 ぶるるっ! 軽く伸びをしたその瞬間、寝起きだという事にも増して、妙に感じる肌寒さ。 がなぜか止まっていることに気付く。 「う〜、寒……って……う…うそぉ…なんでヒーター止まってんのぉ〜?」 自らを抱き締めるような格好で、由美は部屋の隅まで歩を進め、足元にある空調の ダイ アルを全開にする。が、むろん、すぐにこれだけの部屋がすぐに暖かくなるわけも なく、 また、この体温の急変に当然…… 「う〜」 眉をひそめてやや前屈みになり、そのままリビングを後にする由美。 もちろん、何用でどこへ向かうのか、それを記すのは失礼と言うものだろう。
「………。」 いまだ寝起きではっきりしない頭を、がしがしかきむしりつつ、バスルームのドアを回 す由美。 そのつややかな髪が四方八方に乱れ跳ねているが、むろんおかまいなしである。 そして、 かちゃ。 ドアを開けた瞬間。 「い?!」 寝ぼけ眼の由美の瞳は、瞬時に通常の倍以上の大きさに広がった。 そう、やや広めのユニットバスには…… 真っ白な広い洗面台に後ろ向きにもたれかかり、その小柄な身体を後ろ向きに折ら れた葉月……と、そして彼女の腰に手を回し、きつく抱き締め伸し掛かる智也。 狂おしいほどの抱擁と、互いに貪り合うような熱い口付けを交わすふたりが、 そこにいた……。 (……え…えっと………………) あたかもドラマのワンシーンでも見ているかのような錯覚を覚え、しばしぼーぜんと佇 む由美。 「……?」 ほどなく、由美の入室に気付いた智也の片目が開いているのに気付く。 「あ……」 智也と目が合い、何か言おうとする由美だが、むろんこんな状況で言葉が出るわけも なく。 「え…?え…え……あ………ごごごご…ごめんっ!」 ぱたん! くるり踵を返してドアを閉め、リビングへと走り去る由美。 だだだだだだ〜っ! 「しししししししし…しゅ…しゅ…た…たたい……」 はっきり言って、階下の住人に迷惑だろ…と思えるものすごい勢いでリビングに戻った 由美の第一声は、むろんまともな言葉にならず。 また眼下では、あわてふためく彼女とは全く対称的に、相も変わらずさっきと同じ格好 で至福の表情で寝息を立てている瞬がいる。 見てるだけでなんだか腹が立ってくる光景だが、今はそんなところで怒りを振り上げて いる場合ではない。 「………」 ともあれ由美は瞬の傍らに跪き、身体を揺さぶり彼を起こし……などともどかしいこと はむろんせず、 「こらぁっ! 瞬っ!なにひとりでぐーぐーねてんのよっ!起きろ〜っ!!」 なんのためらいもなく、惰眠貪る瞬の頬によーしゃない平手打ちをかます! パンパンパンッ……! 小気味のいい音が何度かリビングに響き渡り、 「……ん…あ………痛っ……?」 由美が5往復目のビンタモーションを振りかぶったとき、頬を赤く染めた瞬の眼がゆっ くりと開かれる…… ぱぁんっ! 「……え…あ………わぶぅっ!」 ついでの一撃が、ことさらにいい音を立てて炸裂し、瞬は完全に目を覚ました。 「……あ…起きた」 「……っ痛ぇ……『あ…起きた』じゃ、ねぇっ! なんだってんだっ一体っ!?」 この最悪の目覚めに、はばかることなく怒声を撒き散らし、食ってかかる瞬。 だがむろん由美は取り合わず、 「ち…違うの!た…大変なのっ!い…いま…とと…トイレにバスルームいこーとしたら キスが葉月と智也で……!」 「はぁ?なに言ってんだ…お前?」 あわてふためく由美の勢いに押され、怒りもひりつく頬の痛みも忘れ、眉をひそめる 瞬。 「だ…だからぁっ…こうぎゅっとしててっ……」 「あーもー、全然なに言ってんのかわかんねーよ。ほら…これでも飲んで少し落ち着い てからしゃべれよ」 わけのわかんないジェスチャーと勢いだけ先んじた意味不明の言葉を発する由美を 見兼ねて、瞬はテーブルに手を伸ばし、飲み掛けのワイングラスを手渡す。 そして由美は、それをひったくるように受取り、 ごくごく…… ひと息で飲み干し…… 「…おいおい……」 「……はぁぁぁぁぁぁ〜……」 驚き顔の瞬の胸へ、こてんっ、と頭を預けた。 「ちょ…お前……ジュースじゃねーんだぞ……いくらなんでも……」 呆れとも困惑ともつかぬ表情で言いつつも、瞬はなんとか取り直し、 「……で? なにがあったんだよ?」 「はぁ……ふ……え…? あ、そうそう!い…今ね、バスルームで智也と葉月が……」 とろんとした目を真顔に変え、再び勢い込んで言葉に詰まる由美に、 「…ん…なんだ?えっちでもしてたか?」 頭をかきかき、煙草に手を伸ばしつつおざなりに返す瞬。 「う…うん……抱き合ってキスしてた……」 「へぇ……ふーん………………って、ま、マジで?」 適当に聞き流しつつ、だがあっさり言った由美の言葉に、瞬の口からくわえかけたタ バコがぽろりと落ちる。 「で…でも……まだふたりとも服着てて、えっちまではしてなかったけど……」 「い…いや……それにしたってだな……。かーっ、何考えてんだよあいつらわ〜。自分 の部屋でやれよなそーゆーことわっ!」 「……いや…あたしに言われても……」 声を荒げて詰め寄ってくる瞬に、苦笑を浮かべ困った顔を見せる由美。 瞬はやや語調を弱め、 「ったく……だいたいトイレいきたくなったらどーすんだよ…?」 「……瞬…」 「ああ?」 「あ…あのさ……あたし…その…トイレ行きたくて………行ったんだけど……」 「へ……?」 刹那の沈黙。そして…… |