ハート・オブ・レイン
〜第1章 激しい雨の中で…〜

 

(2)

 そして数分後。再び事務所のドアが開く。

「お待たせ☆ それじゃ、行こっか!」
      
ユニフォーム
 そこには制 服から普段着に着替えた美沙の姿があった。

 ボーダーの長袖Tシャツの上にヨットパーカーをはおり、やや短めのキュロット、という

美沙のいでたち……バイトのときは迫力のある彼女も、こうしてみるとやっぱり普通の

高校生の女の子である。

(へぇ……?)

 むろん、美沙のそんな姿を初めて見たわけではない…が、なぜか新鮮な感じがして…

 勇樹は心の中で感嘆の息をついた。

(そーいえば、河合さんとふたりだけでどっか行くのは、初めてかな……)

 などと思いつつ。

 ともあれ、事務所を後にした勇樹と美沙。

「で、どこいこっか? 『お店』じゃ落ち着かないでしょー」

「ああ、『One』でいいよ。おごってもらうのにぜーたくは言えないしね。」

 ちなみに、『One』というのは、大通りを挟んで『シザーズ』の向かいにある勇樹たち

がよく行く喫茶店のこと。つまりシザーズスタッフ御用達の店で、彼等はそこでしょっち

ゅうお茶を飲んだり、昼食を取ったりしているので、今では勇樹もすっかり顔馴染みと

なっている。

 考えを巡らせつつ言う美沙の後に続き、勇樹は両手を頭の後ろで組んで、そう答え

た。

 カランカラン。

「いらっしゃいませぇっ……って、なーんだ勇樹君に美沙ちゃんか……」

 ドアベルの音が響き渡る『ONE』店内。親しみやすいマスターの笑顔と軽快な声が二

人を迎え入れた。

「こんにちはぁ」

「ちっす。マスター。けど『なんだ』はないでしょ、一応、客だよ……」

 読んでいた新聞をカウンターに置き、二人分の冷水を注ぐマスターの背に苦笑を見せ

つつ、窓際のボックス席に着く勇樹と美沙。

「で…なんにする? 勇樹君はまたアイスオ・レ?」

「うん……っと、じゃなくて、今日はコーヒーでいいや…」

 ことん…ことん、と滑らかな動作でテーブルにお冷やを置くマスターに、頷きかけた勇

樹だが、美沙におごってもらうことを思い出して、そう告げた。

「ん…?珍しいね……」

「ああ、いいわよ、遠慮しなくて。マスター、アイスオ・レと、あたしは……アレ、ね☆」

「あいよ……って、おお!美沙ちゃん、ダイエット終わったんだ。おめでと☆じゃ、お祝

いに大盛りに……」

「………しなくていーです!」

「あはは……はいはい」

 眉をひそめ、キッと睨み付ける美沙の視線から逃れるように、マスターはテーブルから

離れカウンターの中へ入っていく。

「ったく……」

 口を尖らせなにやらぶつぶつ言いつつ、パーカーを脱いで落ち着く体勢になる美沙。

 一方、勇樹もボーダーのデザインを歪ませる美沙の胸元に目をやらないよう、深く椅

子に座り直して、取り出した煙草に火を点した。

 そこへ……

「……んで、勇樹クン、美奈子ちゃんはなんとかなりそう?」

 がふっ!

 くつろぐ体勢を整えたところへ、美沙からのいきなりの質問。勇樹は吸い込んだ煙草

の煙を盛大に吐き出した。

「ごふっ!がふっ!ごほっごほごほごほごほっ!!」

「どう?」

 激しく咳込む勇樹を尻目に、美沙はテーブルの上に頬杖をついて、いたずらっぽく

微笑む……。

「ごほっ! なななななにをいきなりっ?だ…だいたいなんで河合さんが知って…………

ああっ! 宏さん喋ったな!」

 テーブルに置かれていた冷水を一息に飲み干し咳を止め、あわてて聞き返す勇樹。

また言葉途中で、自分が宏に秘密を打ち明けたことを思い出した。

「……ったく、あれほど内緒にって言ったのに………」

 口を尖らせ、ぶつぶつ言いながら、勇樹はふとあることに気付く。

 そう、美沙は知っているのだ。自分が美奈子に想いを寄せていることを……

 改めて勇樹は、美沙が美奈子と仲が良いことを思い出して慌てたような顔になった。

「んふ…だいじょーぶよ。あたしは口が堅いから」

 勇樹の考えを先読みし、困惑する勇樹をなだめるように言う美沙。

 また、それを聞いて安心したのか勇樹は、

「……じゃ…じゃ…さ、河合さんはどう思う?」

 呟くように小さな声で美沙に尋ねた。

 ばれているのなら仕方ない。それなら、ここはひとつ同性である美沙からの意見でも

聞いたほうが建設的である、とでも考えたのだろーか。

 だが………

「どう思う…って、なんのことかなぁ……?」

 美沙はにやにやと好奇の笑みを浮かべつつ、とぼけた口調で聞き返す。

「だ…だからぁ! ……俺が…その…美奈子ちゃん…と…う、うまく…いくか…って…こと

 業を煮やし、語調を荒くする勇樹。しかしその語尾は蚊の鳴くような声に弱まっていく。

「ふむ、そうねぇ…美奈子ちゃんかぁ。あたしら、あんましそういう話はしたことないから

なぁ。うーん……」

 すると美沙は多分に芝居掛かった仕草で腕を組み、難しい顔をつくって窓の外へと視

線を移した。

 むろん、勇樹はそんな美沙のわざとらしい素振りにはまったく気付かず、ただまんじり

としない様子で、美沙の次の言葉を待った。

「……………………」

 しばしの沈黙……………そして、

「あ!」

 やおら、はっと何かに気付いたような顔になり、美沙は勇樹の顔をしげしげとみつめ

る。

「えっ? なになに?」

 待ってましたとばかりに、美沙の言葉をせがむ勇樹

「ねぇ……勇樹クン…?」

 ごく。

 言い含めるような口調で切り出す美沙に、勇樹は固唾を飲む。

「…あのさ、勇樹クン、今日カサ持ってきた?」

「え? 持ってきたけど。それが……?」

 美沙の言葉は唐突で意味不明であった。やや拍子抜けするも、しかしこれも何かの

伏線であるかもしれない。勇樹は興味津々に先を促す。

 すると……

「ほら」

 窓の外を指差す美沙。それに従い勇樹が目を移すと、窓の外では通行人が雨を避け

走っている姿が目に留まった。

「ん、降ってきたみたいだね…雨。天気予報でもそう言ってたから…俺、ちゃんと傘、持

ってきたよ。で、それが?」

 脇に置いてあるカバンをぽんと叩き、答える勇樹。

「よかったぁ。あたし忘れちゃったんだ。帰り、駅まで入れてってね」

「う…うん。それはいいけど、で、結局のところ答は?」

 安心したような顔で微笑む美沙に、勇樹は話をはぐらかされたような気分になり、少々

気が殺がれるも、さらに答を急ぐ。

「え…ああ、勇樹クンが美奈子ちゃんとどーか…ってこと?」

「そ…そうだよぅ……」

「聞きたい…?」

「……うん」

 悪戯っぽい瞳を光らせて尋ねる美沙に、勇樹はやや憮然とした顔で頷く。

 すると美沙は、すっと表情を曇らせ、口調も重々しいものに変えて、

「ほんとーに聞きたいのね? あたしに聞いたことを後悔することになっても……?」

「……っ!」

 そんな美沙の言葉に、息を詰まらせる勇樹。ほとんどその言葉で答が見えたような気

も したが……

 どのような感じでダメなのか、聞いておく必要がある……場合によっては……

「う…うん…いーよ」

 そんな一縷の望みを託して、勇樹は大きく息を吐いたあと、美沙の問いに静かに頷い

た。

 そして美沙の口から出た答は、

「わかんない」

「………あ…そ…そっか。やっぱ無理か……。そーだよなー。で…でも…一応、どんな

感じでダメなのか……え……?…………わ…わかんない……?」

 刹那、太陽のような笑顔に変じ、きっぱり告げる美沙に、用意していた言葉をたらたら

並べるその途中で、勇樹の目が点になる。

「あはは……だから、そんなのわかるわけないでしょ。だいたいあたしそんな、ひとの色

恋沙汰なんかに興味ないもん」

「…………………」

 ころころと笑いつつ、追い討ちを掛けるように言う美沙に、勇樹は、ほんとーにしんそ

こおもいっきり後悔し……………

「………。」

 糸の切れたマリオネットのように、がっくりとうなだれた。

 

 ややあって、

「はい。おまたせ〜☆……って、あれれ、勇樹クンどした?」

 未だ燃え尽きている勇樹に怪訝な表情を浮かべながら、マスターが二人のオーダー

を運んできた。

「あっ、きたきた☆」

 一方、そんなことはまったく尻目に、目の前に置かれたチョコレートパフェに、喜々と

した声を上げる美沙。

「きゃあああ! 美味しそう☆ 見て見て! ね、勇樹クンにも一口あげよっか?」

「………。」

 両手を胸の前で合わせ、歓喜の悲鳴すら混じえつつ、はしゃぎまくる美沙とその対面

にがっくりと肩を落とした勇樹。

 あたかも天井から降り注ぐダウンライトの照度が異なるかのように、二人が向かい合

わせに座る木目調の茶のテーブルは、その中心を境に明暗くっきりと分かたれていた。

 やがて、

 美沙がチョコパフェをどこから食べようか、と考えあぐねている最中、勇樹はむっくりと

顔を起こした。

「………。」

 むろん、いろんな意味での後悔や自己嫌悪、美沙に対するうらみつらみが和らいだ…

のではない。

 チョコパフェごときでおーさわぎしている美沙を前にして、もうなんだかすべてがバカバ

カしくなってしまったのだ。

「………はぁ…」

 重いため息ひとつつき、アイス・オ・レの入ったグラスを引き寄せてストローに口を付け

る勇樹。

 ほろ苦い甘みが口一杯に広がり、またそれが少し勇樹の落胆を和らげてくれた。

「………」

 と、そこで、ちらりと正面に目を向ければ、溢れんばかりの笑みを浮かべ、片手に持っ

たロングスプーンで、楽しそうにチョコパフェのホイップクリームをつついている美沙の

姿……。

「ちっ……」

 おもしろくもなさそうに舌打ちする勇樹。

(ったく……ひとをこんな気分にさせてそれかい……)

 軽い腹立たしさを覚えた勇樹は美沙から顔を背け、それでも彼女を横目で見ながら、

イヤミたらたらの口調で言ってやる。

「あ−あー、いーよなぁ、彼氏とうまくいってる人はさ。……けどまあ、宏さんの苦労が分

かる気もするよ……」

 ぴくっ!

 刹那、美沙の表情が凍り付く。

 そして、

「………そ…んなこと…ない……」

 押し殺したような声が勇樹の耳に届いた。

 弱く…だが吐き捨てるように言った美沙の声…が。

「え……?」

 もちろん、こんな様相の美沙の声を聞いたのは初めてである。

 勇樹はあわてて、首を回し、改めて美沙の顔を見入った。

 

(3)へつづく。

 

 

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