ハート・オブ・レイン
〜第1章 激しい雨の中で…〜

 

(4)

 そして翌朝。

 プッ…

 ずだだんだん!ばん!ぼばんぼんぼんっ!! 

  まどろみを打ち消す大音響が勇樹の部屋の空気を爆震させた。

「……ん……む…?……っ!?」

 たまらず、跳ね起きる勇樹。

 目覚まし代わりにボリュームを最大にセットしたオーディオからの、もはやまったく音

楽とはいえない爆音にたまりかね。

「〜〜〜〜〜っ!!」

 ともあれ、勇樹はおーいそぎで枕元に置いてあったリモコンを手にとり、ミュートボタ

ンを押す。

 プ………

 爆音は途絶え、キーンと耳鳴りが残る中、室内に静寂が訪れる。

 と、そこへ、

「ちょっとぉっ! ゆーきぃっ!いーかげんにしなさいよっ!ご近所にめーわくでしょー

がっ!!」

 階下から怒気をはらんだ母親の声が届く……が、聴覚の麻痺した勇樹には、どこ吹

く風…むろんそんな可愛いものではないが、小鳥のさえずりくらいにしか聞こえない。

 ともあれ、強制的に目は覚めたものの、未だ寝起きではっきりしない頭を抱え、しばし

ぼーっとする勇樹。

(あ…ああ、そっか…あのまま眠っちゃったのか……俺…タイマーも切んないで……)

 やがて、徐々に思考がはっきりしだし、ようやく現状を把握するに至る。

「んー?」

 寝ぼけ眼をこすりつつ、首をこきりこきりやりながら、壁掛け時計に目をやれば、針は

8時きっかりをさしていた――つまり、身支度などの準備を含め、今日の予定に合わせ

た時間である。

「…………………ちっ」

 勇樹は呆れたような顔で時計を眺め、憎々しげに舌打ちすると、再びベッドに身体を

横たえ、目を閉じる…………が。

「…………う。」

 意識はそれに逆らうように鮮明になっていき、また、それと共に昨晩の色々な思いが

頭のなかで巡り始める。

「……くそ…」

 もはや完全に睡魔から見放されているのに、だが、それでも未練がましく半ば意地に

なってベッドでごろごろする勇樹。

 悶々とした無意味な時間が流れていく………

 そんな時、

「……ん?」

 ざーっ。

 ベランダを叩く雨音が、ようやく正常な聴覚に戻った勇樹の耳に届いた。

 音から察するに、かなり強い雨である……むろん当分止みそうにない。

(ふん…、これじゃ、どっちにしろ中止だったな)

 面白くもなさそうに鼻を鳴らし、むっくりと身体を起こす勇樹。自嘲的な笑みを浮かべ

つつ、ベッドの下に隠し置いてある煙草と灰皿を取り出す。

 雨が吹き込まぬ程度に、東南の窓を少しずつ開け、換気を良くして、

「………。」

 再びベッドに腰掛けると、勇樹は咥えた一本に火を点した。

 もっとも、『こんな事』をしたって、両親にはとっくにばれており意味がないのだが、あか

らさまにその『証拠』を残すと、またなんやかやと説教の際に、副事的なネタにされるの

で。

 ともあれ、暫くの間、部屋の中を流れていく煙をじっと見詰めていた勇樹だが、

「ん…っ」

 急に何かを決意したように、煙草をもみ消し、すっと立上がり……

「えっと……」

 タンスから、今日着ようと思っていたお気に入りのジーパンとTシャツを取り出すと、そ

れに着替え、

(あとは…っと、そうそう、こないだ河合さんに、コレ…カッコイイって言われたっけ☆)

「………って、また何考えてんだよ…俺は……?」

 などとニヤけた笑いを真顔で打ち消しつつ、それでも、手に取った黒のスイングトップ

を羽織り、そそくさと部屋を出ていった。

「あら勇樹、どこか行くの?」

 玄関に座り込み、靴ひもを締めていた勇樹の背に、洗濯物のカゴを手に持った母の

声。

「ん、ちょっと『シザーズ』行ってくる。朝メシ、食いに……」

「へ…? あんたが日曜に朝メシ? めっずらしいわねぇぇぇ!? 赤い雪でもふらなきゃ

いいけど……って、ああ、だから今日、雨降ったのか。まったく迷惑な話ね。洗濯物が乾

きゃしない!」

 まるで、いま降ってる雨が勇樹の早起きのせいだと言わんばかりに、無茶な三段論法

を繰り出し、去っていく母。

「………はぁ。」

 勇樹は、そんな母の背中をしばし見送った後、うななだれて玄関を出た。

 

 ガーッ。

「いらっしゃいませぇーっ!」

 自動ドアが開き、店内に足を踏み入れたとたん、接客の女子スタッフから元気のいい

声が勇樹に飛んできた。

 またもちろん、その中には美沙のハスキーな声も混じっており……、

「あ☆」

 一番奥のカウンターで勇樹の姿を捕えた美沙は、『営業用スマイル』とは違う笑顔で自

分のカウンターへと招く。

「いらっしゃいませ〜☆、おっ客様ぁ、こっちらのカウンターへどうぞ〜♪」

「え…あ。うん……」

 半ば圧倒されつつも、美沙のカウンターへと向かう勇樹。

「あはは……河合さん、ちぃす…」

「お客様?こちらのモーニングセットが大変おトクになってます!いかがでしょうか!?」

 テレ笑いを浮かべる勇樹に、美沙はとぼけた様子で、そのイタズラっぽい大きな瞳を

きらきらさせ、過剰気味なマニュアル接客に興じる。

「え…?あ……」

 一瞬戸惑う勇樹だが、

「……ふむ…じゃ、それをもらおうかな。あ、飲み物はアイスコーヒーで頼むよ」

 すぐさま苦笑を漏らしつつ、声色を変えて、美沙のノリに合わせた。

「かしこまりました。あ…お客様?セットの場合、アイスコーヒーはSサイズになります

が、よろしいでしょうか」

「結構」

 中年の男性客がするように、鷹揚に大きくうなずく勇樹。

 そして、二人はお互いに目を見合わせ、一瞬の沈黙の後、堪え切れずに吹き出した。

「……ぷっ…くくく……」

「アハハ……し、少々お待ちください。」

 笑いながらその場を離れ勇樹の注文の品を揃え始める美沙。

 また、そんな忙しそうにカウンター内を動き回る彼女を見て、勇樹はやっぱり昨夜のこ

とは自分の思い過ごしかな、と考え始めていた。

 ややあって、

「……? お客様? こちら、320円頂戴いたしまーす。」

 ぼーっとしていた勇樹の前で、美沙が不思議そうな顔を向けていた。

「あ…ああ、そっか…はい」

 慌てて、お尻のポケットから財布を取り出し、なけなしの500円玉を手渡す勇樹。

「はぁい。500円お預かり致します。少々お待ちくださいませ」

 相変わらずわざとらしいマニュアル通りの応答をしながら、美沙は慣れた手つきでレジ

のボタンを押し、飛び出すように出てきた引き出しの中に勇樹から受け取った500円玉

を落とす……そして、

「はい、ありがとうございます。こちら180円のお返しでーす」

 手のひらを広げ、美沙の手からおつりを受け取る勇樹…だが、乗せられた硬貨の感

触が…どこか………?

「?」

 訝しげな顔で握り掛けた手のひらを開く勇樹。

 そう、手渡された勇樹の手には100円玉が5枚あった。

「え…?」

 驚いた勇樹が顔を上げると、美沙はカウンターに少し身を乗り出し、小声で、

「ばかねぇ。金欠なんでしょ? 朝ごはんくらい、おウチで食べてきなさいよ」

 と、片目をつぶって微笑んだ。

「さ…さんきゅ…河合さん!」

「しっ!……ばか、早く行きなさい……」

「……あ、そっか、じゃ…ね…」

 マネージャーの目を伺いつつ、示唆する美沙の手に送られ、カウンターから離れていく

勇樹。

 背中にもう一度、「ありがとうございましたー」という美沙の声を浴びながら……

                    

「えーっと……」

 フロア中央辺りでトレイ片手に、座る場所を探す勇樹。

 とはいっても、この辺りはオフィス街であるため、日曜の朝の店内は客足も少なく、

客席はガラガラであったのだが。

「ま…ここでいっか」

 ともあれ、勇樹は、美沙たちの働く姿が見えるよう、カウンター正面のボックス席を選

び、そこに腰掛けた。

「……ふう。」

 腰を落ち着けるとBGM…マドンナのライク・ア・ヴァージンが耳に届く。

 〜〜♪〜〜。

 それは店内の淡い色調に旨く溶け込み、外は雨だということを感じさせないほど、爽

やかなムードをかもしだしていた。

「〜〜♪」

 なんとはなしに軽やかな気分に包まれ、自然と覚えた何度目かの旋律を鼻歌交じり

に、 がさがさとハンバーガーの包みを開こうとする勇樹。

 そんなとき、

「……ん?」

 ふとカウンターのほうに目を移すと、何気ない視線で美沙がこちらの様子を伺って

いた。

「あ……えっと……☆」

 それに応えるため、不器用ながらも、はにかんだように軽い笑みを送る勇樹。

《……んふふ☆》

 美沙はそれに嬉しそうな顔でにっこりと微笑み返してくれた。

「あはは☆」

(………………はぁ。)

 もう一度笑い返し、勇樹は同時に心の中で溜め息を着く。

 なんだか、美沙の彼氏…宏が妬ましく思えてしまったのだ。

(あーあ……いーよなぁ、宏さんは……あんな笑顔をひとりじめできてさ……)

「…って、またかよ?ホントなに考えてんだ…俺は」

 ふと浮かんだ妙な思いにひとりごち、ともあれ勇樹は、包みを開いたハンバーガー

にぱくつこうとして、 

「んあ? 何だこりゃ?」

 トレイの上に置かれた宣伝用紙の端の下、折り畳まれた小さな紙切れが挟まって

いることに気付いた。

「あれ…なんだろ?」

 怪訝な顔で宣伝用紙をめくってみる勇樹。取り出してみれば、それは女の子特有

の複雑な折り方で菱形に折り畳まれたレポート用紙であった。

「ああ、なんだ。今日の言い訳か」

 勇樹は瞬時にそれが美沙からの手紙であることを悟る。そして、ひとくちかぶり

ついたハンバーガーをいったんトレイの上に置き、口をもぐもぐさせながら、それ

を広げていく。

「……えっと…」

 手紙は全部で3枚で、最初の2枚には勇樹の予想通りのことが、可愛い字で書

かれていた。

「ふーん……」 

 ハンバーガーを持ち直し、半ば呆れ顔で眺めるように文字の羅列を流し読みする

勇樹。

 だが、

(……!?)

 目線は2枚目の末尾の辺りで凍り付いた。その部分から急に文章の様子が変わっ

てきたからである。

 勇樹は再度食べ掛けのハンバーガーをトレイの上に置き、改めて両手で手紙を持

ち直すと、急いで3枚目に目を移していった。

「………え……?」

 そして勇樹は、驚愕の内容に言葉を失う。

 そこにはこう書かれていた………。

 

(5)へつづく。

 

 

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