ハート・オブ・レイン
スコール
〜第2章 はじめての甘熱雨〜
(2)
がちゃ。 「きゃはは……でさー」 唐突にドアが開き、どやどやと響く声と足音。 ドキィィィッ! 肝を潰す勇樹と美沙。甘いムードが一気に吹き飛び、別の意味での胸の鼓動が早鐘 のように鳴り出す。 《え…ちょ、ちょっと…誰よ?い…今の時間、インもアップも誰もいないはずでしょ?》 《さ…さぁ?お…俺に聞かれても……》 声を押し殺して問う美沙に、やはり小声で返す勇樹。 密着した美沙の身体の柔らかな感触がそこかしこへと鮮明に勇樹に伝わっているが、 むろん妙な気を起こしている場合ではない。 ともあれ、ふたりは重なりあったまま、ただじっと息をひそめる。 どきどきどきどき………… 「………………」 だが、その突然の入室者たちは、こちらに入ってくる様子はなく、 どうやら…… 《……ふう。な…なんだ。『プラザ』のコたちか……》 《やれやれ……》 軽く安堵の息を吐くふたり。 だが、それも束の間。 簡易フェンスの向こう側、隣の更衣室から聞こえる話し声は…… 「ねーねー知ってるー?そーいえば、最近さぁ、ここラブホ代わりに使ってる人達がい るんだってよー」 「ええ〜マジでぇ〜?」 《どきんっ!》 安堵を浮かべた勇樹と美沙の表情が、そのまま凍りつく。 「じゃ…じゃぁさー、今も隣…とかで息を潜めて………とかしてたりして…?」 「きゃー。やだー」 誰とも分からないそんな言葉の応酬に、勇樹と美沙、二人が石のように固まったのは もはや言うまでもない。 《……………………。》 生きた心地がしない思いに包まれている勇樹と美沙が、自分は空気だ、と言い聞かせ ている間に、その話題はびゅんびゅん変わっていき――――やがて、ほどなく…… 「―――ねえねえ、帰りどっか寄ってかない?」 「あ、いーね☆ あーでも、あたしダイエットちゅ……」 ばたんっ。 ドアの締まる音とともに話し声はかき消され、室内は静寂を取り戻した。 「………ふううううう。」 ほぼ同時に……大きく息をつく勇樹と美沙。 「あはは……」 「んふふ…やだもう……」 そして、二人は顔を見合わせ、どちらともなく力の抜けた笑いをこぼした。 またさすがに、このとんだハプニングで、すっかり妙な気分も吹き飛んでしまったの か、ふたりはどちらともなく、身体を離し、立ち上がり、 「あ。ごめんね……おもかったでしょ。あたし……」 「ん……。あ…!いやいや……」 「ああっ!いま『うん』って言いかけたなぁっ!」 「え…あ…や…ちが……そ…そんなことないって……。と…とにかくっ!河合さんは向こ うで待っててよ。すぐ着替えちゃうからっ!」 「うー。」 …などとやりつつ、勇樹は不満げに頬を膨らませた美沙を、女子更衣室に追いやり、 改めて着替え始めた。 そして…… 「ねえ…、河合さん?」 「んー?」 勇樹の声に、女子更衣室側、ロッカーに背もたれ、声を返す美沙。 「あのさぁ、今日…早く帰んないとダメ?」 「ん? ああ…別にそんなことないけど。どーせウチ、あたしとお母さんだけだから…… 今日もお母さん遅くなるって言ってたし……って……ん?…ひょっとして、どっか連れて ってくれんの?」 やや考え込んだような口調を弾んだ声に変えて問い返す美沙。 「い…いや、そーじゃなくてさ……だったら、今日これからウチにこない?」 「え…?なーんだ。……でも…めーわくでしょ。ちょうどこれから御飯どきじゃない?」 「あー、だいじょぶだいじょぶ。今日親父とお袋、法事で静岡行ってるから……」 「…………え?…………」 軽い口調で発した勇樹の言葉に、美沙の顔が見る間に赤く染まる。 むろん勇樹にそんな美沙の表情の変化は見えていないが、 「………?……って、ああああっ!そ…そーゆー意味じゃないよっ!だだだ…だから、 さっき、河合さん、ここんとこデートもしてないとかなんとか言ってたから……その……」 自分の発した言葉の深い意味に気付いて、大慌てで弁解を始める。 すると、 「へ…へぇ? 勇樹クンもとうとうそーいう気起こすよーになったか……うーん…… お…おねーさん、こりゃかくごしなきゃいけないかなー…あ…あはは…」 対して、ロッカーの向こうから返ってきたのは、からかうように言う美沙の軽口。 もっとも、いつもの歯切れの良さはなく、今だ頬を赤らめて言っているのだが、むろん 勇樹はそれに気付かない。 「い…いや…だからぁ……」 「はいはい。わかったわかった。………それより、着替え終わったの?」 「え……あ、いや…まだ」 「………もう! 早くしなさいっ!」 困った顔で、動きを止める勇樹に、照れ隠しの美沙の怒声が響いた。
かちゃ。 「はい、いーよ。入って……」 そんなこんなで勇樹の家についた二人。 ポケットから取り出した鍵で玄関のドアを開き、中へと促す勇樹に、 「お…おじゃましまーす……」 「って、誰もいないよ?」 おずおずと声を出し、静まり返った家の中を伺いつつ玄関をくぐる美沙を、勇樹が不 思議そうな顔で見る。 「う……うっさいわね……一応マナーってものがあるでしょ!」 「ふーん…? ま…いいけどさ……」 なにやら、顔を赤くしてムキになる美沙を後ろに、首を傾げながら、家の中へ入ってい く勇樹。 「あ…ちょっと勇樹くん、待ってよ……」 美沙は、乱雑に脱ぎ散らかされた勇樹の靴と自分の靴を揃え、その後に続いた。
「………………」 リビング兼ダイニングの部屋に通された美沙。ちょこんとテーブルの椅子に腰掛け、 さきほどから、どこかぎこちなく、落ち着かない様子で室内を見回している。 出されたウーロン茶のグラスには口もつけてない。 一方、勇樹はといえば、TV前のソファに寝転がり、ちょうど始まっていたアニメに目線 を固定し、一喜一憂している。 初めて招かれた彼の家…またその他いろんな思いで、緊張している美沙とは対称的 にすっかりくつろいでいるご様子。 (もう……なによこれ……あたしだけ緊張してて…ばかみたいじゃない……) 「ね…ねえ…ちょっと…ゆう……」 どうにも落ち着かず、また、まるで気遣いのない勇樹に対しての腹立たしさも手伝っ て、やや不満気味の声を出す美沙……と、同時に、 「ねー、河合さーん」 ソファの手すりに隠れ、位置的に美沙側からは顔の見えない勇樹の声。 「え…な…なに?」 やや慌てたせいか、すこし裏返った声で返す美沙。 「ん…? 河合さんどしたの?」 「え…ううん…なんでもないよ。それより何?」 「ふーん? あ、いや…そのぅ……俺…ハラ減ったんだけどさぁ……」 ようやく、むっくりと身体を起こし、意味深な笑顔を見せる勇樹。 美沙はその表情を見て、少し考えた後、 「え…えーっ!? ま…まさかあたしに作らせる気ぃ!?」 「うん☆」 さすがに心底驚いて、声を張り上げる美沙に、勇樹は満面の笑顔で頷く。 「え…で…でも…材料とか……」 「あー、だいじょぶ…じゃないかな。たぶん。さっき、ウーロン茶出しに行ったとき見た けど、なんかいろいろ入ってたから…ウチの冷蔵庫」 「えええ〜? でも…そーいうありあわせので作るのが一番むずかしいんだよ〜…… ……あたしに作れるお料理の材料があれば、いーけど……」 言いつつ、なにやら考え込んだ様子でキッチンに目を移し掛けた美沙を見て、 勇樹は、 「あ…☆それじゃ、やってくれるんだ?」 「……え?」 先程にも増してにこにこ顔で瞳を輝かせる勇樹に、美沙は気圧され、たじろいで…… 「………………はあ。わかったわよ。じゃ、エプロンかして」 やがて大きく息を着き、苦笑を浮かべて頷いた。
「んーうまい!」 「ねー勇樹くん?」 「んあむ……なに?」 テーブルの上、ところせましと並べられた料理をぱくつきつつ、目だけを美沙に向ける 勇樹。 ちなみに美沙が作った献立は、コーンやベーコンが散りばめられたあっさり味の洋風 チャーハンに、ゆで卵などをあしらえたツナサラダ、赤や緑の色鮮やかな野菜のクリー ム煮……エトセトラエトセトラ……。 わずか小一時間、有り合わせの材料でこれだけのものを作ってしまうとは、なかなか の腕前である。 もっとも、料理に関してうとい勇樹はそんな手際の良さにはまったく気付いておらず、 それぞの料理の絶妙な味わいに感動しつつ、ただただ貪り食っているところであるが。 ともあれ、そんな勇樹の食べっぷりに圧倒されつつも、先程から疑問に思っていたこ とを口にする。 「キミさあ、まさかこのためにあたしを連れてきたんじゃないでしょーね?」 「え…?……んぐっ! い…いやそーいうわけじゃないけど………」 丸呑みしてしまったブロッコリーを喉に詰まらせつつ答える勇樹。 また、そんな様子から、いっそう疑念の色が濃くなったか、美沙は手に持ったスプーン をぴこぴこさせながら、さらに問い詰める。 「だいたいさー、お母さんから食事代とか貰ったりしてないわけ?」 「え…? え…えっと…その…もらった…よーな…もらってないよーな………」 途端に口調が怪しくなる勇樹に、美沙の視線が鋭くなる。 「んん〜?なーにー?あ…そーいえば、片倉さんとか高橋くんとかにもお金借りてたみた いだけど……まさかまたパチンコとかに……」 「ち…ちがうよっ!もう河合さんとつきあうよーになってからはやってないよっ!」 疑わしい目を向ける美沙に慌てるも、勇樹は今度はきっぱりと否定する。 「……?だったらなんでそんなにお金がいるの?」 「………そ…それは…その……」 だが当然、さらに問い詰められ、勇樹はなにやら言いにくそうに口ごもった。 ちらりと目線を上げて美沙の様子を伺えば、 「…………」 それほど怒ってはいないようだが、未だ疑念のこもった刺すような視線でじっと見てい る………。 「……う。」 さすがにたまりかね、勇樹はとうとう観念した様子で、 「あーもー、わ…わかったよ。わかりました。メシ食いおわったら、ちゃんと説明するから ……。」 「ん…?」 勇樹の言葉が今一つつかめず訝しげな表情を浮かべる美沙。 「あーあ……ホントはちゃんとなってから、びっくりさせようと。思ってたのに……」 また、そんな美沙の様子を尻目に、勇樹はなにやらぶつぶつ言いながら、再び料理を がっぱがっぱと口に運び始めた。 |
(3)へつづく。