ハート・オブ・レイン
              スコール
〜第2章 はじめての甘熱雨〜

 

(3)

「え…?なにこれ……?」

 夕食後、勇樹に促されるまま、玄関脇のガレージに連れてこられた美沙。 

 薄汚れたシートが勇樹の手でばさっと取られ、その中にあった物体に懐疑の声を上げ

ていた。

 自家用車のワンボックスカーの後ろ…部屋の中から漏れるほのかな明かりに照らされ

るその狭いスペースにて。

「いや…だから……バイク……」

 そう、うしろあたまを掻きつつ、ばつ悪そうに佇む勇樹の傍らにあったのは、その大き

さからすれば、中型に属するのだろうか、白地にブルーのラインが入ったカラーリング

の、どことなくややレトロな雰囲気を漂わせた1台のバイク………。

 油と埃で薄汚れたサイドカバーの上、エンブレムには『CBR400F』との刻印がされて

いた。

「ば…ばいく……って、そりゃ見ればわかるけど……」

 また、その様相は、素人目に見ても相当くたびれているのがありありと分かり、加えて

所々部品が抜け落ちているところから、ほんとに動くのコレ…?といったシロモノであっ

た。

「どーしたのこれ?」

 なぜこんなものが…?という思いと、その車体の様相を心配するような意味を交え、

尋ねる美沙。

「う…うん…いや、昔ウチのオヤジが乗ってたヤツなんだけどね……前から、『てめーで

直すんなら、乗ってもいいぞ』なんて言われてて……そんために、俺、16になってソッコ

ーで中免取ったんだけど……でも……ほら俺、今おふくろの原チャ乗っちゃってるし…

…直すのめんどくさくなっちゃって…金もかかるから、今まではほっぽっといたんだけど

………」

 なにやら言い訳がましい、歯切れの悪い口調をさらに濁らせ、そこまで言ってなぜか

言葉を途切れさせる勇樹に、

「……んん?」

 今一つ真意を掴みあぐねて、首を傾げる美沙。

「え…いや……だ…だからさ……なんつーか…その………

 …あーっ!もう!だからちゃんと直してキレイにしてから見せよーと思ったのにっ!!」

「へ……?」

 しどろもどろの言葉途中で突然声を荒げる勇樹に、まったくもって訳が分からず、きょ

とんっ、とした顔を見せる美沙。

 また勇樹は、美沙のそんな態度にも業を煮やしたか、さらに早口で捲し立てるように

言う。

「もーっ、だからぁっ!せっかくカノジョもできたことだしいつまでも電車移動ってのもカッ

コこつかないしっ、もーすぐ夏だからコイツで河合さんとどっか行けたらいーなって思っ

たの!」

「え…え…え…?」

 真っ赤な顔をして一息に言う勇樹の勢いに圧倒され、目を白黒させる美沙。

 一方、勇樹はそこまで言ってのけると、なにやら寂しそうな視線を傍らのバイクに落と

しつつ、

「……でも、コイツ…ここ何年かほとんどほっぽらかされてたヤツだから…やっぱ直すの

にかなり金がかかっちゃって……」

 未だほこりだらけの青いレザーシートにぽんと手を付いた。

「………あ」

 なるほど。

 美沙の頭の中で、ようやく一連の勇樹の不可解な言動と態度がすべて繋がる。

 つまり……ここのところやけにしゃかりきにシフトインしてた訳、また借金や食事代の

節約などは、すべてこのバイクの修理代を捻出するため……ひいてはつまり自分をど

こかへ連れていってくれるため………?

 考えを整理し、呆然とする傍ら、

「……。」

 不器用ながらも熱く真っ直ぐな勇樹の想いを、正面から受け止め、美沙は胸が一杯

になって言葉に詰まってしまった。

 その一方、勇樹はそんな美沙の沈黙を困惑と取ってしまったのか、あわてて口調を

陽気な調子に戻して、

「あ…と…とにかくさ、あとちょっとで直るから…そしたら、これで海いこーよ!ね☆」

「……え…」

 そんな勇樹の言葉で、瞬間、美沙の脳裏に、海岸線を駆け抜ける一台のバイクの

映像が思い浮かぶ……。

 ……輝きを取り戻した目の前のバイクに跨がり、得意満面の勇樹と…その背中に、

ぎゅっ…としがみついている自分の姿………。

「……んふ…

 自分でも気付かぬうちに顔をほころばせてしまう美沙……が、すぐにそんな自分の

妄想に照れくさくなり、あわてて表情を戻して、

「…で……」

 呆れたように小さく息をつき、呟くように声を漏らす……もちろん口元に浮かぶ小さ

な笑みまでは消せてないが。

「で…?あとどれくらいかかるの……お金?」

「ん…?ああ、いやもう、必要なパーツは全部揃ってるし、後はメンテナンスして組むだ

けだから……もうかかんないと思う…よ」

「ふーん。なーんだ」

 車体の各部を眺めつつ考えながら答える勇樹に、つまらなそうな声を上げる美沙。

「え…?」

「だって、あたしの、にもなるんでしょ…これ?なんであたしにも手伝わせないのよ?」

 そう言って、美沙はやや不満ぎみに勇樹に詰め寄っていき、

「それとも……誰かほかにも乗せるご予定がおありですか〜?」

 すっと目を細めて、勇樹の顔を覗きこむ。

「え…?ま…まさか。そ…それにもう、河合さん十分手伝ってくれてんじゃん……」

「ん?」

「ほら…こないだもメシおごってくれたし……今日だって……あの……メシ…うまかった

…よ…ありがとう……」

「え…?ば…ばーか…な…なに言ってんのよ…いまごろ……」

 照れ隠しに、からかうつもりで言った言葉をまともに受け取られ、珍しく取り乱す美沙。

 ぽっと顔を赤らめ、そのまま目を伏せ……

 また、かすかに笑みの浮かんだ口元で、小さく呟く。

「そ…それに…そういうお礼なら、べ…別の仕方があるんじゃない…の……」

「え……」

 薄暗いガレージに、ひとときの沈黙。

 じゃりっ。

 勇樹はそっと足を踏み出し、うつむいた美沙の頬に手を添えて……

「ん…」

 添えられた勇樹の掌の意思に従うよう、すっと目を閉じたまま顔を上げる美沙…

 だが……

(………う。)

 勇樹は、そのままの姿勢で固まる……。

「ん……?」

 一方、いつまでたっても勇樹の唇がこないことを不審に思い、美沙はうっすらと目を

開ける。

 すると、

「え…あ…ああ、い…いや…やっぱ、こ…ここじゃなんか……」

 勇樹はきょときょとと周囲を見回し、なにやら慌てている様子。

 だが別に、家の前の通りは人気がないし、車の陰になっているここは、そう人目に

付く場所ではない……。

「や…そ…そのもうすぐ雨も降ってきそうだしさ…」

 妙に動揺しすぎてるよーなぎこちない態度、また、取って付けたような勇樹のそんな台

詞を、多分に訝しく思いながらも、

「ふうん?……まあ…それもそーね」

「ととと…とにかく……家…入ろーよ…」

「………?…うん……」

 とりあえず、美沙は勇樹の言葉に頷いて、玄関の方に向かって踵を返した。

「………。」

 美沙が背を向けると同時に、勇樹の引きつった笑みが、見る間に濃い困惑の表情

に変わる。 

(っちゃー、ど…どーしよ…? あれ……)

「……ん?どしたの勇樹くん?」

 なんとなく、背後の勇樹の様子を察して振り返る美沙……。

 その頬には、さっき埃まみれのバイクを触ったせいだろう、勇樹の指の跡が…黒く…

くっきりと……。

「へっ……?い…いや、な…なんでもないよ!」

 動揺をひたかくし、慌てて取り直す勇樹だが、さらに折悪しく、

 ぽと……

「んっ…?」

 降り始めたひとしずくの雨が美沙の頬に。

「あんっ…降ってきちゃったね。勇樹クン、なにしてンの? 早くおウチに入ろうよ」

 頬を拭いつつ、言う美沙。

(げっ…!)

 水気が混じったところを擦ったことで、さらに被害が甚大になった美沙の頬……。

「あ……う…うん……。」

 ユカイだが決して笑えないこの状況に、勇樹は引きつった表情のまま、玄関をくぐっ

た。

    

 ごろごろ……

 窓の外の雲が不機嫌な声を出し始める。

 だがそれに先駆けて、

「もーっ!」

 勇樹の家には、一足先に小さな雷が落ちていた。

 家の中に戻り、再びリビングへ向かう途中、右手の甲の不審な汚れに気付いた美沙。

 なんとはなしに、そばにあった鏡を覗き込んで………

「あああっ!ご…ごめんっ、い…今タオル持ってくるからっ!」

 こうなったわけである。

 どたどたどたっ!

 ともあれ、急いで洗面所に向かう勇樹。

「え…ええーっとっ…どこだぁ?」

 だが新しいタオルがどこにしまってあるのかよく分からず、棚に積んであった箱や洗面

台の開き戸を片っ端から開け、

「あ…あった! これだな」

 ようやく貰い物らしき箱から、それを見つけ出すと、手早く濡らして慌ててリビングに戻

る。

 だが……

「お…お待たせっ……って……あれ…河合さん……?」

 今のいままでそこで膨れっ面をしていた美沙の姿がない。

(え……ま…まさか…怒って帰っちゃったとか……?)

 いくらなんでも、そんな訳はないのだが、とにかく勇樹は急ぎ玄関に向かう。

 そしてもちろん、

「あ…あるよな」

 きれいに脱ぎ揃えられた美沙の靴を確認し、軽く安堵の息をつく勇樹。

(けど、それじゃいったいどこに……?)

 濡れタオルを手に持ったまま、首を傾げかけたその時、

「おーい。遅いぞーっ!」

 ふてくされたようなその声は、勇樹の頭上…そう、玄関脇にある勇樹の部屋や両親の

寝室へと続く階段の方から聞こえた。

「え……?」

 ともかく慌てて勇樹が声の方向を見上げれば、階段の最上段に腰掛け、相変わらず

不機嫌そうに頬を膨らませている美沙の姿。むろん片側の頬は黒く汚れたままである。

 ……と、しかし、そんな美沙の表情を確認する前に、この位置関係だと………

「う……。」

 やや捲れ上がったデニムのスカートからスラリと伸びる美沙の生足、またその奥に、

ちらりと覗く白い逆三角形の布地に、勇樹の目は釘付けとなる。

 また、美沙は、見上げる勇樹の視線が自分の顔から少しずれたところで固まっている

ことに気付くと、

「………えっち。」

 むろん、ぽっと頬を赤らめて……ではない。冷たい視線で勇樹を見下ろし、突き放すよ

うに、ぼそりと言った。

「え…? あああっ! ち…ちが……」

「なにがちがうの? 見てたでしょ?」

 火が付いたように真っ赤な顔になり、慌てて弁解しようとする勇樹の言葉を、しかし美沙

はやはり冷めた口調でさらりと切り返す。

「え…や…そ…それは……」

 当然勇樹は何も言えなくなってしまい、口ごもったまま顔を俯かせるしかない。

 すると美沙は、

「ぷ……うくくっ……あははははははっ!」

「え……?」

 にわかに吹き出した美沙の笑い声に、なにが起こったのかと振り仰ぐ勇樹。

「あ…あはは……もう……勇樹くんって、どーしてことごとくあたしの予想通りの行動する

の……?」

 さっきまでの冷たい表情はどこへやら、込み上げる笑いを堪えつつ美沙は言う。

「………え?」

 どうやら、またまたいーようにからかわれたらしい…ということは分かるのだが。

 くるくる変わる美沙の表情についていけず、勇樹はただ困惑し、立ちすくむ。

 また、そんな風に勇樹がリアクションに困っていると、

「もぉ〜、いーから、早く上がってきなよ。勇樹くんの部屋ここでしょ…? だいたいいつ

まであたしにこんな顔させとくつもり?」

「え…? あ…う…うん」

 すっかり呆れた様子で自らの頬を指差す美沙に、勇樹は未だ戸惑いながらも、目線

を上にあげないようにして、ゆっくりと階段を登っていった………。

 

(4)へつづく。

 

 

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