ハート・オブ・レイン
〜第4章 熱夏にあえいで〜Shower
Me〜
(6)
天高く、かがやく空はどこまでも青く広がり――― 見渡す限りの水平線には、連なる山脈のように聳える巨大な入道雲。 カンカン照りの太陽の下―――膨らんだビニール生地の弾力に頭を預け、ゆらゆら 揺れる小船の動きに身を任せれば… ひゅうぅぅぅぅ……… 焦げる素肌を冷ますように優しい海風が吹いていく。 浜辺の喧騒も、今は遠く――― ………ちゃぷちゃぷ…… 勇樹の耳に届くは、浮かぶボートの舳先に打ち寄せる穏やかなさざなみの音だけ。 大海に身を委ね……ともすれば、自らの存在すらこの波間の彼方に溶け込んでしまい そうになる―――そんな不思議な一体感に包まれつつ、 不意に目を上げるボートの反対側――― 「………………………。」 そこには、さっきからひとこともしゃべってくれない美沙がいる……。
そう―――――――――。 もうくどい説明は不要だとは思うが、まあ一応。 あれ以後――見るに見かねた知美になんとかまとめられ… とりあえず、ビーチでのひとときを過ごし始めた勇樹たち一同。 やはり気の利く正徳が、持参してきたフリスビーやビーチボールで遊んだり、 花見もかくや――と言った感じで、美沙が広げたゴージャスな手づくり弁当で、やや早 い昼食を取ったり…と、一見楽しげな夏の日を過ごす勇樹達であった………が。 …………しかし、それはあくまで『一見』のこと。 その間も、『カノジョと来た夏の海の機微』とゆーものをちっともわかってない勇樹は、 さらに数々幾多のアレな行動をやらかしており………当然、その都度、度々に浮かぶ イラ立ちに、美沙の表情は依然かんばしくなく――――――。 また、そんな『いかがなものか』感満載のカレシを持つ美沙を哀れんで…というより、 正直もーいーかげんつきあってられない、といった気持ちが強かったのだろう…… イロイロ見かねた正徳が気を回し、やはり準備よく持参してきたゴムボートを取り出 し、膨らませ―――――― ともあれ、 れはしゃぐ勇樹と、あまり気乗りしない表情のままの美沙は、ボートに乗り込み海へと繰 り出し―――かくして現在…… 浜辺からやや離れた沖合いにて、よーやくふたりっきりになったわけなのだが…… 「ねー、なんでそんなに怒ってんの……?」 たぷん…とボートを揺らめかせ、身を起こした勇樹が、ふとよーやく……初めてここで 気付いたように、美沙の様子を慮った言葉を口にする。 (……いや…「なんで」って……。『自覚』…とゆーもんがないのか…?コイツは……) などと思いつつ、美沙は、どんよりと沈む思いを噛みしめながら、 「……ねえ………あたし、そんなにミリョクないかな……?」 遠く離れた浜辺の賑わいに、どこか寂しげな視線を流しつつ―――また、そんな態度も ムダ…とは思いながらも、ゆーうつそうに言葉を漏らす。 そして、 「…え?……なんで…?」 やはり思った通り……問い返す勇樹の、予想をまったく裏切らないきょとんとした顔に、 「…………。」 美沙はあきらめきった表情を浮かべつつ、 ……はふ…。 重く、小さなため息をひとつつき…… 「あー、いや…なんでって……。だから、さっきマサくんが言ってたでしょ……? まあ…そんなに期待もしてなかったけど……あそこまで無視されるとねー。あたしとし てもいーかげん………」 だがそんな、呆れも返りまくった口調で言う美沙の言葉途中で、 「……てた…わけじゃ…ねーよ……」 「……え?」 どこか気弱げに、呟くように言った勇樹の声に驚き、流した視線を戻して向き直る 美沙。 すると、目を向けた先の勇樹は、なにやら困った様子で頭をがしがしかきつつ、 「い…いや…だからぁ〜、む…無視してたわけじゃないよぉ……俺…目ェいーもん。 着替えて海の家から出てきた、河合さん……すぐ目に入ったよ…」 「…………え……?」 なんだか言いにくそうに言う勇樹の言葉を、何のことだかわからず、さらに問い返す 美沙に、 「そ…それにさぁ……マサはあー言ってたけど――河合さん、こないだ言ってたじゃん。 『じろじろ見んな』、『止まられんのがいちばん恥ずかしい』…って……」 「…………え…………?え…?…え…?」 なにやら勇樹の話は、わけのわからぬ方向に飛び、美沙は驚き顔のまま、さらに困惑 する……が、 「…だから……ほら…俺んちで……あんとき……」 付け加えた勇樹の言葉と、不意に巡らせた思いが、彼の言わんとしてる真意に届 き…… 「……………あ………。」 刹那、美沙の動きが止まり、次いでゆっくりと頬が赤らんでくる。 だがむろん勇樹は、そんな美沙の様相の変化に気付く余裕もない風で、さらに…… 「……だ…だからさ、俺……なるべく、キョーレツなカッコしてる河合さん見ないよーに して……」 なんだか、まるでマト外れに思えることで、もじもじしつつ言う勇樹に、さすがに美沙 は、慌てて身を乗り出し、 「……え…?ちょ…ちょっと待ってよ!…あのときと今じゃぜんぜん状況が……」 だがしかし、多分に戸惑いながら言う美沙の言葉を遮り、勇樹は、 「ちがわないもんっ!おんなじだったもん!オレ的にはっ!」 なにやら憤然と顔を真っ赤にし、大きな声を張り上げる。 一方、美沙はそんないきなりの勇樹の剣幕に目を丸くし、 「…………へ……?」 「……(う゛〜)……。」 スネた子供のようにこちらを睨む勇樹に、どう対応していいかわからず…… 「―――あ………ああ………………そ、そう………なんだ……?」 きょとんとした顔のまま、とりあえず曖昧なリアクションを返す。 また、美沙のそんな態度に、勇樹はここぞとばかり…さらに勢い込んで、 「そ…それにね〜っ!今だってそんな足おっぴろげて――とんでもないカッコしてっから、 さっきから目のやり場に困ってんだよ!」 「……え…?…あ……ご…ごめ…。」 まくし立てる勇樹の言葉に、思いのほかダイタンなカッコをしている自分に気付いて、 美沙はなぜか謝り、半アグラのように開いていた足を閉じて、そそと居住まいを正す、 が………しかし、一度火のついた勇樹の剣幕は収まらず、 「あ゛〜もう!いまさら遅いって!…つーか、だからぁっ!そんなんだから、もうずっと マトモに河合さんの顔もマトモに見れないし!なんか話そーとしたって全然考えがまと まんないし……あぁぁ〜もぉ〜いいよっ!」 ―――い…いやでも……『そんなんだから』とか言われても……。海来てこのカッコ は、別に不自然じゃないし……。 などと美沙は思いつつも、 「………(う゛〜〜)…。」 それっきり…勇樹はぷいっとそっぽを向き、ふくれっつらのまま口をつぐんでしまい、 美沙も、どーやらとりつくしまもなくなってしまった勇樹に、声をかけづらくなり……… 「………………………。」 しばし―――。 ざざーん。 ちゃぷちゃぷ。 遠くで崩れる波音と、打ち寄せるさざなみの音だけが、離れた二人の空間を埋め… マネキン人形のように動かなくなったふたりと、沈黙を乗せたゴムボートが、ゆらゆら と波間を漂い往き……… そして、いくときが過ぎたころだろうか……
………みーん…みんみんみん…… 湾曲する砂浜の右方―――せり出した岬の方向からだろうか、騒がしいセミの声が なにやらだんだん近づいてくる気がして、 「……………?」 ふと、妙な違和感を感じ、顔を上げる美沙。 振り仰いで、周囲を見渡し……… 「………え゛…っ?」 いつのまにか、遥かに遠くなっていた浜辺に驚き――― 「ね…ねえねえっ!ゆ…勇樹くんっ!?す…すごい沖まで来ちゃってるよ!」 「…………え?」 慌てた美沙の声に、さすがに勇樹もふくれっつらを起こし、周囲を見回して…… 「……げ………うわ…っ!?」 そう、美沙の言う通り、かなりの沖に出ていることも確かなのだが、それ以上に、相当 横に流されているようである。 確か、シートを広げた場所は、浜に向かって左端の方だったのに、今はほとんどビー チの右端の方まで来てしまっている。 むろん、遠くなった浜辺の……正徳たちの居場所も今や全く掴めない。 ともあれ、 「うあ……やっべーな!!」 スネた心を水平線の彼方へ放り出し、勇樹はすぐさま、ボートの縁にぶら下がるオー ルを引っつかみ…… 「ん゛〜〜っ!はっ!……ん゛〜〜っ!はっ…!」 両腕の筋肉を倍化させ、懸命にオールを振り回し漕ぎ出す……が、 折りしも、先ほどより海面はやや波立ってきており、揮うオールは思うように水を掴ん でくれず……。 しかも、元々ボート自体、オモチャに毛が生えたようなシロモノ。 ばちゃ…ばちゃばちゃ…ばちゃ…っ……。 この波立つ海面にて、二人分の体重を乗せたボートを進ませるのには、あまり効果的 なアイテムとは言えないようで………。 「………はあっ…はあっ…はあ…っ…。」 僅かな距離を進んだだけで、勇樹の息は上がり…… 「………(ん゛ぅ〜〜!)……。」 それでもなお、真っ赤な顔で息巻くその形相とは裏腹に、進むボートのピッチは急速に ダウンしていく。 またちなみに、言うまでもないことだが、ボートを漕ぐにあたり、勇樹は進行方向とは 逆の――先に述べたビーチ右端から連なるせり出した岬を見ながら、方向を定めつつ、 「……………。」 勇樹が真剣なまなざしで見据えるその正面―――海面からぽっかりとそびえ立つ岬は 、先ほどからまったく遠ざかっておらず…… 「ね…ねえ…勇樹くん?ぜんぜん進んでないよーな気がしない……?」 やはりそちらの方向を見つめながら、美沙の不安げな声。 むろん言いつつ、美沙自身もボートの縁に腰掛け、放り出した両足で懸命にバタ足で手 伝ったりしてるのだが……。 おそらくこの位置、かなり潮の流れが強いのだろう。懸命な二人の思いとは裏腹に、 逆に…徐々にではあるが、ボートは岬の方に引き寄せられていってるようである。 「ん゛〜〜っ!はっ!…はぁはぁはぁ…ん゛〜〜っ!はっ…!」 「…はっ!んはっ!はぁっ!」 絶望的な不毛感に苛まれつつ……それでも、追いすがる岬の存在から逃れるように、 手を、足を必死に動かす勇樹と美沙………。 だがしかし、そんな二人の抵抗も、やはり長くは続かず…またそれをあざ笑うかのよう に、潮流はゆっくりと、確実にボートを逆の方向へと運んでいき――――――。 そして…… 「は…はあはあ……ね…ねえ…勇樹くん…こーなったらもう、あっちに着いたほうが早く ない……?」 いつのまにか、もう間近に迫った深い緑のこもる岬を指差し、美沙が言う。 また勇樹も、その方向を見やり、苦しそうに肩で息をしながら、 「はあ…はぁっ……。ん…ああ、そ…そう…みたいだ…ね。……じゃ、あそこらへんに 着けて、あるいていこーか…?」 確かに。これ以上、波やら潮やらに逆らって頑張ったところで、もはやどーにもならな いようである。 むろん、この岬から勇樹達が目指す浜辺へは、かなりの距離があるようだが…… このままいっこうに進まぬボートを漕ぎつづけてるよりはマシ……と言うより―――、 もう、そうするより他に手はないだろう……。 そう決断した勇樹は、背中を岬に向けるようにボートを転舵させ、 「ん〜〜〜っ!!」
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