ハート・オブ・レイン
              
〜第4章 熱夏にあえいで〜Shower Me〜

(7)

 ―――が、もっとも、そんな悲壮感すら漂わせ、勇樹が気合を入れるまでもなく。

「……へ…?」

 ……ざざっ。

 ボートの方向を変えたとたん、あれだけ重かったオールは、ウソのように軽くなり…

「うわ…なんだよこれ〜?」

「……は…はやいね〜!」

 恨みがちに上げる勇樹と驚く美沙の声が示す通り。

 二人を乗せたボートは、まさにすべるように軽快に海面を走りゆき―――

 ほとんど潮の流れに任せるだけで、簡単に岬の岩場付近に近寄っていった。

 そして……

「ん〜っと……あ、この辺ならいーかな……」

 勇樹は再び舵を取り……接岸させるに適当な、小さな入江を見つけてボートを寄せ、

「……お?……おっとっと…」

 またさすがに、岩場だけあってその付近の波や潮の流れは荒く、その作業は結構

大変だったが……まあでも、このくらいはさっきまでの苦労に比べれば、さほどのもの

でもなく。

「…っと…。よし…」

 逆に、勇樹はそんな波の動きや潮の流れを上手く利用して、目指す場所へとボートの

舳先を向けていった。

 また、その潮流の激しさからか、この付近の海水はかなり透明度が高く、その海底が

くっきりと見通せるほど澄んでおり――――――

「ん〜……もーだいじょぶかな……」

 勇樹は、波が穏やかになり、背の立つくらいに水深が浅くなったところまで来たのを

確認すると、 

「おーし。んじゃこっから海入っていこ…」

 そう言って、なるべくボートを揺らさぬよう注意深く、水面へと足を伸ばし、

 ……じゃぶん。

「あ…勇樹くん…?」 

 美沙が不安げな声を上げる傍ら、勇樹はボートの周辺をすい〜っとひと泳ぎし、

「……くぅ〜♪気持ちい〜☆……あ…ほら、河合さんも…おいでよ…気持ちいーよ☆」

 きらきらと輝く水面に、ぷかぷかと身を浮かべつつ、美沙を招く。

 だがその一方、美沙は、そんな様子をボートの上から遠巻きに見ながら、おそるおそ

る…

「……え?……う、うん……でも…深くない……?……あたしでも足着く…?」

「……え…?あ、ああ……だいじょぶだよ。ほら…」

 尋ねる美沙に、勇樹は水底の手頃な岩の上に立って見せ、その水深が勇樹の胸くら

い…すなわち美沙の肩ぐらい、だということを示す。

 ……が、

「……ほんと……?」

「……うん。」

「ほんとにほんと?」

 疑わしくも心配げにしつこく尋ねる美沙に、勇樹は、がしがしと頭をかきつつ、

「あーもー!…だいじょぶだって…………って、あ……。」

 やや声を荒げて言うその言葉途中で、何かを察したように、

「あ……もしかして……河合さん…カナヅチ…?」

「……え……?ち、ちがいます〜!」

 真顔で尋ねる勇樹の問いを、美沙は慌てて否定し、だが……

「でも……ただ…そんなトクイじゃないってゆーか……大体、こんなトコで泳いだコトない

し……」

 こわごわと、わずかに波立つ海面を眺めつつ……尚もなにやらぐずぐずしている。

「……?…」

(いや…こんなトコ……って言っても……プールとほとんど変わんないだろーに…?)

 …などと思いつつ、なんだかわけのわからぬところでためらっている美沙に、首を傾

げて思い悩む勇樹。

 だがまあ…コレは筆者もよく思うのだが、勇樹のように物心ついたときには泳げてい

た者と、そうではない者とでは、『水』に対する意識に相当差があるようである。

 特に美沙のように、最近なんとか泳げるようになった――くらいの女のコにありがちな

のだが、見慣れたプールや砂浜などとちょっと状況が違うだけで、水に対する恐怖心が

増してしまうらしい……。

 とはいえ、元よりアレな勇樹にそんなデリケートな心理が理解できるわけなど、むろん

なく。

(……………?……)

 まあ…それでも勇樹は、美沙がなんだか怖がってるらしいことだけは、わかったよう

で……

「ん〜、じゃあもーちょっと浅いトコまでいこーか……」

 いまだ釈然としない表情を浮かべつつも、ボート後方の縁に手をかけ…さらに入江の

奥へとボートを押していく。

 そして勇樹は、しばし、足裏に当たるごつごつとした岩肌の水底を歩み行き―――

 ほどなく、その足裏の感触から、広く平らにひろがる岩を見つけ……

(……ん。ここらへんなら、だいじょぶかな…?)

 この辺りなら、段差もなく水深も安定してるだろうと思われる場所で足を止め、

「ほら…この辺ならだいじょぶだよ。もう波もほとんど来ないし……浅さも……ほら――

こんなもんだよ……」

 勇樹はその場ですっくと立って見せ、すでに腰ほどまでになっているその水深を示す。

 ……が、

「え〜、でも……やっぱり………」

 美沙は、いまだ躊躇した様子で、

「……ねえ、だったら、あっちの岩の方に着けてよ〜。飛び移るから……」

 逆にはるかに危ないことを言い出す始末。

 まあ確かに、陸上での美沙は運動神経のいい方だし、それもまた絶対不可能…とは

言わないが……そんな足場のおぼつかないゴムボートの上から、濡れて滑りやすい

岩場へと飛び移るのは、容易なことではなく……しかも、飛び移る側の岩の表面には、

そこかしこにびっしりと生えたフジツボや、鋭利に尖った岩の突起が待ち受けていること

だろう。

 そんなところで、万が一にも滑って転んだりしたら…… 

 ともかく、そんな危険きわまりない美沙の提案とコワイ想像に、勇樹はマトモに顔色を

変え、

「……え?あ…いや、だめだめ!そっちのほうが危ないってば…それに、そんなカッコで

転んだりしたら、ケガどころじゃすまなくなっちゃしちゃうでしょっ!」

「……え〜〜、でも…やっぱなんかこわい〜……」

 だがそれでも、煮え切らない美沙の態度に、

「あ〜もー!じゃあ…ほら、だっこしてあげるから……おいで!」

 ついに勇樹は業を煮やした様子で、ボートの中へと身を乗り出し両手を広げる。

「………え?」

 そんないきなりの勇樹の行動に、美沙はマトモに鼻白み―――

「……………。」

 だがそれでも、両手を広げたまま、じっとこちらを見つめる勇樹の真剣なまなざし

に導かれるように…

「……う……うん……」

 美沙は、差し伸べられた勇樹の手に、おずおずと自らの手を乗せていき……

 ……ぐいっ!

 手首を掴まれ、そのまま一気に抱き寄せられ―――

「……え…っ………?」

 そんな思わぬ勇樹の力強さに、驚くいとまもあらばこそ。

 ……ざぷんっ。

 美沙の腰から下はひんやりとした水に包まれ…次いで、両足に伝わる水底の硬い岩

の感触。

 そして……

「……………あ…。」

 気付けば美沙は、勇樹の胸に優しく抱きしめられていた……。

「……え……あ……」

 ようやく地に足をつけた安堵……だがそれを上回る、得も知れぬ動揺にどぎまぎし、

やや赤らんだ顔で勇樹を見上げる美沙。

 すると勇樹は、抱きしめるその片手で美沙の頭を、ぽんぽん…と軽く叩きつつ、

「ね…なんてことなかったでしょ?」

 にっこりと優しい笑みを浮かべる。

 一方美沙は、そんな勇樹の優しい仕草に、さらにどぎまぎしつつ、

「え…?………う…うん…」

 頷きかけて……だが、

 …ぎゅ。

 自らしがみつくように勇樹の身体を強く抱きしめ……再びその胸に顔を埋めて…

「……ううん……なんてことなくないよ……。どきどきしてるもん…まだ……」

「……え?や…やっぱ…怖かった?」

 胸の中から聞こえる美沙のくぐもった声に、慌てて尋ねる勇樹だが、

「ん〜ん……そーじゃなくて。今日…こんな近くに来てくれたの……初めてでしょ?」

 やはりくぐもった声の、そんな美沙の言葉を聞き………

「……え……あ………!」

 勇樹はここでよーやく、現在の自分達がしているカッコに気付く。

 そう―――さっきまでは自ら言葉にしていたように、近寄ることはおろか、マトモに

見ることさえできずにいた『キョーレツなカッコ』の美沙を、やむをえない状況だったと

は言え、今……思いっきり抱きしめちゃっていることに――――――。

 しかも、抱きしめるその手の中の美沙は――――――

「……………………。」

 そんな、ただでさええっちすぎるそのカッコで勇樹に寄り添い…さらに悩ましく、しっとり

と濡れ乱した栗色の髪をその胸に埋めており……

 またさらに、

「……う………あ……」

 驚きで声も出ず。固まったまま、おずおずと顔を俯ける勇樹の視線の先では………

 濡れてほんのりと小麦色に輝く美沙の肌―――その背にしたたる水滴が、焼けた肌

の上を妖しく伝い、くびれたボディラインを辿って………あざやかな色のビキニに包まれ

た、形の良いヒップへと流れ落ちていく。

 そんなさらに悩ましい情景に……

「…………っ…!」

 まるで、見てはいけないものを見てしまったように、勇樹はかぶりを振って天を仰ぐも、

そんな風に視覚を閉ざせば、当然今度は……

 ……むにゅ。

 二人の間に挟まれ、柔らかく潰れる豊かな美沙の乳房の感触が鮮明に……。

 降り注ぐまぶしい陽射しの下―――まさにもぉ…そんな何もかもが目もくらまんばかり

の状況に、

「………あ………あ………あ……」

 勇樹の胸中に広がる激しい動揺は、際限なく高まり……

 そして……

「………あ…あ…ご…ごめん……っ…!…」

 勇樹はまともに取り乱し、慌てて抱きしめる力を緩める……が、

「…だめ……。」

 美沙はそれを許さず。さらにぎゅっとしがみついて、

「……え…?あ、あの……?」

「……だってまだ…「なんてことなく」なってないもん………」

 などと、赤らんだ…ややイタズラっぽい笑みで勇樹を見上げつつ……

「だから……もーちょっと、安心させて……」 

「…え?あ…あんしん?………って…なん……」

 いまだ動揺冷めやらず、問い返す勇樹の言葉途中で、

「………ん……。」

 美沙はそのまま…そっと目を閉じた――――――。

「…………え……?」

 またむろん、いくらアレな勇樹と言えども、その意味がわからぬほどニブくはなく……

 ……どきどきどきどきどきどき………。

 にわかに高まる鼓動を抱えつつ………

(……え…え〜っと……)

 すでに誰も居ないのはわかっているハズの周囲をきょときょとと、無意味に見回し……

「…………ん〜〜、そんなんじゃ、いつまでたっても『安心☆』できないよ〜〜」

 目を閉じたまま、からかうように囁く美沙の声にうながされ……

「あ……え……う…うん………」

 動揺しまくりながら……勇樹は、おずおずと首を傾けていき……、

「………ん…っ…!」 

 ……ちゅ。

 軽く触れ合うように唇を重ね……

「……ん……」

 吐息に似た小さな美沙の声が聞こえた瞬間、

「……っ…!」

 首を跳ね起こすようにして、即座に唇を遠ざける。

 そして、そんな児戯にも等しい勇樹の振る舞いには、当然……、

「え…?なにソレ?そんなんじゃ『安心』の「あ」の字にもなんないよ〜」

 美沙はきょとんと目を丸くし、わざとらしくも不満げな声を上げる。

 もっとも、むろん言うまでもなく、もはや勇樹をからかっているだけなのだが。

 ともあれ勇樹は、多分にうろたえ、口ごもりつつ……

「……え…で…でも……こ、こんなトコじゃ…その…お、落ち着かない…ってゆーか…」

「ん?こんなトコ…?誰も居ないじゃん。ほら……もっかい…」

 だが美沙は、そんな勇樹の物言いをあっさり受け流し―――再び目を閉じる。

「…………う……。」

 そして勇樹はさらに困惑しつつも…このままでは、どうあがいても許してもらえないこと

を悟り……再度美沙の肩を抱き寄せ、

「………んっ………」

 今度は、しばし唇を合わせたまま、じっとしている………

 ………が、

「………。」

 刹那目を開け、ジト目でこちらを睨む美沙の瞳が……

(……だめ。そんな『仕事』みたいなのじゃ……!)

 ……などと告げてるような気がして……

(………う〜………)

 勇樹は仕方なく―――と言ったら、また美沙に怒られそうだが……ともあれ、勇樹は

ハラを決め、目の前の美沙にだけ集中し……

「………ん……」

 さらに深く、思いを込めて唇を重ねていった……。

 しばし……

 …ちゃぷん……ちゃぷん……

 み゛〜んみんみんみんみんみ〜…………

 打ち寄せる波音と、頭上からのセミの鳴き声が入江を支配し……

 照りつける強い陽射しの下―――輝き、透き通る水面に身を浸し……

 抱きしめ合う二人の、甘いひとときが過ぎていく……。

「…ん………ん……」

 また次第に、勇樹の心は落ち着きを取り戻し……

 そして、熱っぽく高揚するまま……首を傾け、合わせる唇を軽く開いて……

「…ん…んん…っ……」

 差し入れた舌を絡ませていく……。

(…………え…?……あ……)

 一方美沙は、さすがにそこまでするとは思っていなかったらしく…

「ん……んむっ……?」

 瞬間、目を見開いて驚きの表情を見せるが……

「…………。」

 目の前の勇樹の表情は、真剣そのもの……。また、自分から挑発した手前、強く拒

むこともできず……

 ちゅ……れろ…。ちゅ…ちゅく……っ……。

「…ん…っ…ん…っ……ぁ……あふ……」

 自らの口の中をさまよう勇樹の舌に、次第にとろん……となっていき……

「……ん…んふ…っ…ぁ………あむ……っ……」

 熱い吐息を漏らしつつ、自らも舌を絡ませ……熱く押し寄せる感情に流されるまま……

勇樹の唇を求めていく……。 

  

 二人は、さらに熱く互いを求め…

「ん……んぅ……ん……っ……ん…っ……」

 濃厚なキスを交わしたまま、いっそう激しく抱きしめあい――――――   

 やがて、いくばくかの時が過ぎただろうか、

 ざざ〜ん……。

 やや遠巻きで崩れた波音を合図にしたように、

「…………ん…」

「……あ…ふ……」

 二人は、どちらからともなく唇を離し―――

 その紅潮しきった顔で、互いを見つめあい……………

 刹那。

「あ。」

 ふと何かに気付いたように美沙は口を開き、見つめる視線を、勇樹……ではなく、

そのやや後方に向けた。

「……え?」

 眉をひそめ、訝る勇樹に、

「……え…えと……………勇樹くん………………ボート…………?」

 伸ばした視線を固定させたまま、ぼーぜんと、つぶやくように言う美沙。

「……え…………?」

 勇樹もまた、おそるおそるそちらの方に、ぎぎぃっと首を傾け……

 そこには……

 …たぷたぷ……。

 そう―――ふたりからやや離れた沖合いにて、たゆたう波にその身を揺らし………

 今まさに大海に出奔しようとしてる、無人のゴムボートが一艘……。

 そして……

「あ。」

 瞬間、勇樹はバカみたいに口をかっぴらき……

「あ・あああああああああ〜〜っ!? た…大変だ〜っ!ま…マサのボートっ!!」

 叫ぶや否や、勇樹は水を切り裂き駆け出して、

 ざんざんざんっ!

 どんな泳ぎの型にも属さないようなダッシュ泳ぎで、流されるボートを追いかけ……

「……おし……きゃっち!」

 引き波にボートが捕われる直前、寸でのところでなんとか…そのヘリの部分を掴み上

げた。

「あ〜☆やったー勇樹くん!」

「おー☆」

 歓声を上げる美沙に振り向きガッツポーズをする傍ら、

 ざぷ〜ん……

「うあー。」

 不意に押し寄せたヨタ波に飲み込まれ、もみくちゃに。

「あ……」 

 あんぐりと口をあける美沙の視線の先、泡立つ波間に、しばしボートだけがゆらゆらと

漂い―――やがて……

「…ぷはっ…ご…ごほごほっ………」

 浮かぶボートを支えに咳き込みつつ……海草まみれの勇樹の顔が海面に現れ―――

「お……おー。」

 弱々しくも苦しげに、再度手を振る…そんな勇樹の勇姿(?)に……

「……ぷ……………あはははははは!」

 吹き出す美沙の爆笑が、入江に響き渡った。 

  

(8)へつづく。 

 

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