ハート・オブ・レイン
              
〜第4章 熱夏にあえいで〜Shower Me〜

(16)

 そして……階上へと上がったふたりは、さらにその上…天井へ突き刺さる急な階段

を昇りゆき……

「お〜☆」      

 ――――剥き出しの梁に、屋根そのままを象った低い天井……

 木目「調」ではなく本気の木目をその表面に、墨付けの跡さえくっきりと残る、材木その
      
 もり
ままの柱の杜……。

 ちらつく裸電球の薄明かりも、どこか懐古的で珍しく。

 また、一面に広がる板張りの簡素な床の片隅……物見に用いるような小さな窓の側には、

 おそらく真子が準備してくれたのだろう、ピンっと白いシーツの敷き詰められた二組の布団

が寄り添うように並んでいた―――――

 ……そんな独特の雰囲気をかもし出している、屋根裏部屋にて。

「ん〜☆やっぱいーよね〜。この感じ♪」

 その無骨な温かみに包まれた空間を興味深げに見回しつつ、用意された寝床に向かう

美沙。

「ん…?うん…そーだね〜…」

 対して一方、勇樹は低い天井に身を屈めて、そんな美沙の声に曖昧に答えつつ……

(あ…お?……へえぇ〜☆…)

 室内を見回す勇樹の視線は、とある一点で固まった。

 階段脇の踊り場に置かれた―――やけに大柄な本棚と…その前に、収納しきれず平積

みされた多量のマンガ本に……。

 そして、 

「……うわ…すっげ! バリ伝全巻揃ってる〜!お…湘爆も……☆ペリカンまで全部

あんじゃん〜♪」   

 なにやらわけのわからぬ感嘆のつぶやきを口に、その本棚の前にどっかと座り込み、

吟味とともにその豊富な書籍の数々を、片っ端から捲り始める勇樹。   

 また、その間に美沙は荷物を広げ、ぱぱっと手早く、パジャマ代わりの―だぶだぶオレン

ジのTシャツと、すそのひらひらした白いショートパンツに着替えて――――

「ねーねー、勇樹く〜ん、コレ…カワイ〜で…………」

 だが……

「…………」

 すでに、マジ読み状態に入った勇樹は、ページに目を落としたまま、猫背に座して、

黙して語らず……。

「……。」

 一瞬、ムッっとした表情を浮かべる美沙だが、せっかくのこのムードをぶち壊したくない

とでも思ったのか……それとも、もはや彼のアレっぷりに慣れてしまったのか……

「……ふぅ……。」

 やや呆れたように息をつき、布団の上にうつ伏せに寝転ぶと、

「ねーねー、勇樹くん?」

「…ん〜……?」

 今度は返事が返った。相変わらず熟読状態のままの生返事だが……

 美沙はかまわず、

「ねぇ…ソコ、狭いでしょ? こっち持ってきて寝ながら読めばいいじゃん?」

 苦い笑みを浮かべながら、隣の布団を指差し、勇樹を招く。

 そんな、なんだかどこかで見たような光景で、どこかで聞いたようなセリフを口にする美沙

に、

「……え?あ……うん……」

 ようやく勇樹は、顔を振り上げ頷いて、今読んでいる赤文字の背表紙の続巻―――その

二十余冊を本棚から取り出し……

 また、そんな勇樹に美沙は寝転んだまま、立てた足をぴこぴこ振りつつ、

「あ…ねーねー? あたしにも何か読めそうなのある?」

「……え?ああ…え〜っと………」

 美沙の言葉に、勇樹は改めて本棚の並ぶ背表紙に目を走らせ……また、平積みにされて

いるストックの中から、それっぽい絵柄の表紙を見やりつつつ、

「あ…コレ……少女マンガかな…? らぶしんくろいど?…ってのと…ほっとろー………」

 やや自信なさげに言うその勇樹の言葉半ばで、だが美沙は、やおら声を張り上げ……

「え〜っ!? うそぉ!ラブシンがあるの〜!? や…少女マンガじゃないけど……うわぁ〜☆

そんなのあるんだぁ〜!あたしソレ大好きなの〜♪ちょ…早くっ、早く持ってきてッ☆」

「え…あ…ああ……うん……んしょっ!」

 なにやらはしゃいだ様子で急かす美沙に、勇樹は多分に戸惑いつつも、さらに増えた

三十余冊のマンガ本を両手に抱えて立ち上がり――――背中を丸めて低い天井の中を

歩んで寝床に着き……

「…………っと!」

 どさっ…どさっ。

 それぞれの枕元に、それぞれのマンガ本を積み重ね、美沙の隣に寝転んだ。

 そして二人は、まったく同じ格好のうつ伏せで、肩を並べて――――

「…………。」

「…………。」

 黙々と………薄闇に包まれた屋根裏部屋に無音の時が過ぎていく………。

 ………やがて――――

 そんな『なにしに来たんだおまえら?』然とした時が、小一時間ほど過ぎた頃だろうか、

「………うぅ…。」

 やおら聞こえる小さな嗚咽。

「…ぐすぐす……やっぱ…るま……可哀想だよぉ……。」

 それに続いて、なにやら涙ぐんだ声で、美沙は最終巻の最後のページを捲り終え―――

にじんだ目頭を押さえつつ、そっと隣の勇樹を伺う。

「…………。」

 一方、だが勇樹はそんなことなどまったく気にも掛けず、未だ黙々とページを捲り続けて

いた――。

 …とまあ、コレはそのマンガの巻数の違いに、かなりの開きがあり、致しかたのないこと

なのだが……。

 ともあれ、

「…………」

 しばし美沙は、そんな勇樹の横顔を、なんとなく眺めていたが……

「……………」

 熟読にふける勇樹は、あたかも美沙の存在すら忘れたかのように、依然としてこちらを

向いてもくれず……ただ、そのストーリーの展開によって、かすかに表情を変えるだけ…。

 むろん、そんなものを眺めていても、たいして…いや、全然面白くない……。

(………う〜。)

 当然ながら、美沙はすぐ飽きてしまい……

 ちなみに一応、『もっかい読み直す』とか『違う本を取りに行く』とかいう案が、ちらり頭を

かすめたが……それらはすぐに、『めんどくさい』とゆー美沙内部の圧倒多数意見の前に、

議論されるまでもなく棄却された。

 といっても、ヒマを潰せるものは他になく……勇樹の枕元には、いまだ未読の冊数が、

山高く……。

(………う……。)

 それを見て、美沙はかなりげんなりとしつつも、努めて発する声を明るい調子にし、

「ね……ねえねえ…勇樹く〜ん…☆」

「……ん〜?」

 だが勇樹は微動だにせず、ページに目を落としたまま、気のない返事を返すのみ。 

 まあしかし…それもそのはず、彼が目を落としているシーンは、ちょうど―――

(う…うおぉ〜!?)

 ―――鈴鹿4耐のクライマックス…ヒデヨシが転倒させられたところで――とまあ、

それはどーでもいーが……ともかく目の離せない展開のところであったがゆえ。

 だがむろん、そんなコトは美沙の退屈とはまったく無関係であり――――

「うわ…かっこいーね☆なになにコレ…勇樹くんのバイク出てるの?何のレース?F1?

WRC?」

 とりあえず、勇樹の気を引こうと…同調するような様子を装って、話し掛ける美沙だが、

(……………。)

 むろん勇樹にとっては、邪魔以外の何物でもない。

 ―――話あわせるつもりで、ぜんぜんワケのわかんないこと言ってるし………。

 だが今は、そんなマチガイを指摘したりしてる場合ではない。

「…………。」

 言葉を返すヒマすら惜しんで、今度は完全シカトを決め込む勇樹。

 また当然、美沙はそんな勇樹の態度に、憮然となり……

「ちょ…勇樹くん!」

 今度は、怒気をはらんだかなり強い口調で呼びかける………が、

「ん…?ん〜〜〜、ちょ待ってよぉ……今いーとこなんだから……」

 やはり勇樹はこちらを見ることもせず…また、あまつさえ、掲げた片手をめーわくそうに

ひらひら振って、覗き込む美沙の顔を制しつつ……

「ほらぁ…河合さんも、なんか他の取ってくればいーじゃん……。まだあったよ女の子っぽい

の………」

 あしらうようにそう言って、再び熟読体勢に………。

(………かっち〜〜〜ん………)

 そんな扱い方をされ。むろん、美沙は面白かろうはずもなく……

「あ…あのねー!勇樹クンっ!ちょ…」

 もはや怒気を隠そうともせずに、言い募るが…勇樹はその言葉すら皆まで言わさず、

「あーはいはい。あとであとで……」

「……っ!!」

 むかむかむかむかむかむかむかむか…………

 もはや際限なく上昇する苛立ちに、美沙の顔が真っ赤に染まりあがる。

 だがしかし、そんな爆発しそうになる怒りを、美沙はぐっと堪えて……、

「ふぅぅぅぅぅぅぅん………」

 不敵な…とゆーか、キケンな笑みを口元に………

「ゆーきくんも、ずぅいぶ〜んエラくなったんだねぇぇぇ〜〜☆」

 ねめつけるような口調で言いつつ、ゆるりと半身を起こして、それに気付かぬ勇樹の背

中にそっと跨り―――のしかかり………、

 むにゅっ。

「………え…?」

 やおら背中に伝わるやわらかな感触に、勇樹が振り向くいとまもあらばこそ―――― 

「………あ・た・し・を――――無視できるなんてさぁぁぁぁ〜……っ!」

 解放される怒りとともに、料理にピアノに器用な、美沙のすべての指先が、勇樹の脇腹

に突き刺さった。

 こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ――――――!!!

 途端に……

「―――ひっ!?…うあっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ〜っ!!」

 見てると愉快だが決して可笑しくない勇樹の爆笑が、静寂の室内に響き渡り――― 

「うはっ…あはははははっ…ひょ…っ!ちょ…ひゃ…ひゃめ……わははははっ!」

 むろんもはや、完全にマンガどころではなくなり、手足をばたばた…身をよじりってもがき

まくる勇樹。

 殺意すらこもっているような、美沙の十本の指先はさらに執拗に、勇樹の脇腹で蠢き…

………やがて、
                                  
          ひ
「……ひっ…ひはっ…!…ぜ…ぜは…っ…も、もう…ひゃめ…も…ひ…死んじゃう……」

 まさに、息も絶え絶え。もはやもがくことすら出来なくなったのだろう、痙攣する体と掠れた

声で訴えかける勇樹に、改めて主従の力関係を確認しつつ……

「……ん〜☆」

 美沙は満足したような笑みを浮かべて、彼を解放し、その背から降りた。

 そして、再び勇樹の隣に寝転んで、

「にひひ…☆」

「……はぁっ…かはっ…はぁっ…はぁ……………」

 ほくそ笑む美沙に対して、勇樹は、乱れた息をそのままに、シビれるうつ伏せの身体を

なんとか転がし、仰向けになり――――

 またそんな、汗のにじんだ勇樹の顔を覗き込みつつ、美沙は……

「えへへ〜☆…まいった?」

「………!?……」

 満面の無邪気な笑みに、だがむろん、さすがの勇樹も腹を立て、がばっと美沙に向き直

り、

「え…『えへへ☆…まいった』…ぢゃないよ!もおぉっ!!」

 ぐわしっ!

 いまだやや力の入らぬその両腕で、対する美沙の両肩を掴み上げる。

 が、

「ん〜?『もぉ〜』……なに?」

 美沙はまるで臆さず、つかまれた左右の肩をちらちらっと眺めつつ、

「あれ?なにコレ……?ふ〜ん?まさか、くすぐられたしかえしに、あたしをどーこーしよう

とでも……?」

「…え…。あ…いやあの……」

 出鼻をくじかれ、逆に戸惑う勇樹に、さらに美沙は、きょとんっと意外そうに両目を開き、

だが口元にはからかうような笑みを浮かべて、

「ううん…いやいやまーさかぁ…☆勇樹くんに、そんなことできる度胸…ないもんね〜〜?」

 むろん、誰にでもわかる、わざとらしい挑発以外の何物でもないのだが……。

 誰にでもわかることがなかなかわからない男―その2は、

「…………う……。」

 向けられた、そのイタズラっぽく輝く瞳に、しばし固まり…また刹那の逡巡の後―――

 ようやく……

「あ…あるよぉっ!!」

 照れてるんだか悔しいんだかわからない表情で頬を染めつつ、勇樹は、美沙の両肩

を掴んだ両手に力を込め――――

 ぐいっ!

「あ…んっ☆」

 どこか嬉しげに上がる悲鳴を引きずりながら……勇樹は力強く美沙を抱き寄せた。

 その小さくもやわらかな身体が、勇樹の胸中深くに埋まり――――――

 そして………

(……ん……

 まさに、この例えようもない心地よい安堵に、その身を包まれ……美沙は、

 ぎゅっ

 さらに自ら、勇樹の背に両手を回してきつく抱きしめ………その胸にいっそう顔を押し

付けるようにして………

「あふ…っ……くふふふ……☆」

 なんとも嬉しそうに、含んだ笑みで、勇樹の胸をくすぐりつつ……ちょっと名残惜しげに

その顔を起こして、

「…えへへへへ♪……で〜?」

 どこか期待に満ちたような、輝く瞳を勇樹に向けた。

「……………え………?」

 その瞬間、

 ……どきどきどきどきどきどきどきどき……………。

 まさに早鐘のごとく、高鳴る勇樹の鼓動。

 次いで、覚えのある…あのなんともいえない昂揚感が、その全身に拡がっていき……

 刹那――――あの…更衣室で交わした会話……正徳の言葉が頭によぎる―――

 『………ん〜、なんてゆーかな……そう、高山さんだって最初味わったでしょ?

 あの…なんつーかこう息が詰まるよーな……それでいて甘く濡れたよーな不思議な気

 分……。あの気分に辿りつかねーと…………』

  ……………そう。

 おそらく辿り着いたのだろう……。

 幾多の経験を経ても、決して語れない、あの不思議な気分に。

 そして今―――ようやく勇樹は……………
 
 ふたたび  とき
 二度目の刻を迎える……。

  

(17)へつづく。

   

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