ハート・オブ・レイン
スコール
〜第2章 はじめての甘熱雨〜
*注;このお話は前作「ハート・オブ・レイン〜激しい雨の中で…〜」の続編です。
前作を読んでない方は、なるべくこちらからどうぞ☆
(1)
こうして、驚天動地の展開を経て…といってはいささか大袈裟な気もするが、ともかく、
晴れて恋人同士となった勇樹と美沙。 むろん、暫くの間は、要であったカップルの破局と、この意外な新カップルの誕生…と いうスクープによって、少なからずシザーズ内スタッフ間の動揺を呼んだ。 が、しかし、人のウワサもなんとやら。しょせんは他人事である。 それに、かねてより、宏のワンマンな態度を快く思っていなかったスタッフも多かったよ うで、意外にも勇樹と美沙の新カップルは幾日も経たない内に、すんなりと周囲に受け 入れられていった。 ……というより、恋人同士になったとはいえ、相も変わらず美沙の迫力に圧され、尻に しかれまくっている勇樹…といった二人の姿は、以前とそれほど変わったというイメージ はなく、さして話題にするほどのことでもない…と言うのが周囲の正直な感想であったの かもしれない。 また、その一方で、当の勇樹は、さすがに宏と顔を合わせづらく、それからしばらくは なるべく離れた時間帯にシフトを取ったりもしていたのだが、なぜか…いや、無理からぬ こと、というべきだろう。あの雨の日以後、宏のシフトインの回数は極端に減り、期せず ともその姿を見ることは少なくなっていった。
そして……… それからひと月ほどたった、土曜日の夕方。 「え…?辞めた……? ま…まじっすか…町田さん?」 例によって、シザーズ事務所にて。 ちょうど今アップしたところの勇樹は、机でシフト表をひろげ、スタッフ編成に思い悩む マネージャー町田の言葉を聞いて、驚きの声を上げていた。 言ってたけど……ま、妥当な口実だな。結局いづらくなったんだろ? かーっ、けどこれで、またスタッフ編成が難しくなってきたな…と。……ん…?」 「…………」 軽い口調でもないが、さして重大な事でもないように平然と告げる町田に、さすがにシ ョックを隠し切れず、黙り込んでしまう勇樹。 「あ……。つっても、おいおい高山…、なにもお前が気に病むことじゃ…… 第一おめー…別に、強引に村上から美沙ちゃん奪ったわけでもねーんだろ?」 「え…ま…まあ、そりゃそーですけど……」 「だろ? ま…あんまりきにすんな……と、そうそう、ンなこと気にすんだったらよ…… 来週の日曜…ちと人手がたんないんだ……よかったらお前……」 勇樹の様子を察し、宥めるような口調で言う町田。また、どさくさまぎれに人手が足り ないシフト箇所への斡旋にまで話が及んでいくが、むろん今だ動揺冷めやらない勇樹に その言葉までは届かない。 そこへ…… かちゃ。 「おつかれ〜」 仕事の区切りの都合で、ややアップ時間が遅れてしまった美沙が事務所に入ってき た。 美沙は背を向けている勇樹の両肩につかまるように、ぽんっ、と両手を置き、 「あ〜んどおまたせ。勇樹くん☆」 沈痛な表情のまま勇樹が振り返れば、そこにはいつもの美沙のまぶしい笑顔……。 「あ……」 澱んだ勇樹の心にすっと光が差し込み、次第に気持ちも和らいでいく。 (あれ……なんで……?) そんな唐突にもたらされた安堵を、勇樹が不思議に思っていると、 「ん…? どしたの…勇樹くん? あ…!また町田さんにいじめられてたんでしょ?」 美沙はそんな勇樹の顔を心配そうに覗きこんだ後、町田の方へきっと鋭い視線を向け ていた。 「おいおい……」 「あ…か…河合さん…ちがうって……」 困った顔で苦笑を浮かべる町田。そして慌てて間に入った勇樹は、言いにくそうに訳 を話す。 「ん…?」 「い…いやその…宏さん…辞めちゃったんだって……だから…」 「………ふーん」 だが、美沙は何の抑揚もない声で応え、まとめていた髪をほどきつつ、 「で…それが?」 「え…そ…それが…って……」 殆ど反応を示さない美沙に、鼻白み言いよどむ勇樹。 またそこへ、 「おら見ろ。そんなもんなんだよ。しょせん。だいいちおめー、ンなこといちいち気にして たらこの先やってけねーぞ…………っと、ンなことより……美沙ちゃん、らい…」 なにやら勝ち誇った様子で偉そうに語りつつ、町田は美沙にもシフトの斡旋を持ち掛 けていく。 が、それより早く、美沙は机の上に広がっているシフト表を軽く一瞥して、 「…週の日曜はだめで〜す☆ 入れませ〜ん☆」 町田が言い切る前に、至って陽気な口調で言ってのけた。 「お…おい…まだ…なんにも言ってねー……」 そんな美沙の態度に、躊躇し憮然とした顔を見せる町田だが、 「でも…そーいうことでしょ?」 「………う……。」 得意のイタズラっぽい笑みを浮かべた美沙に、真っ向から見据えられ沈黙する。 まあ……この態度に出た美沙に、そうそうかなう男はいないだろう。 「……ちっ。しょーがねーなぁ……お!」 町田は気圧されたように視線を美沙から外し……だが、そこでもう一人の存在に気付 いた。 「あ、そーだ、じゃ…高山、な…頼むよ…」 「へ…?」 「…お…そーそー、コレ入ってくれたらな……、お前…来月トレーナーアップ、考えてやっ てもいーぞ☆」 「え…ほんとすか!?」 トレーナー…まあ、この手の店によくある、いわゆる能力別にランク分けされたスタッ フの呼称のひとつである。 ここシザーズでは、トレニー、ジュニア、シニア、トレーナー、リーダー、と五段階にラン クアップするシステムになっており、むろん後者になるほど時給がいい。 ちなみに、現在勇樹はシニア、美沙はリーダーである。 ともあれ、昇給をエサ誘いをかけてくる町田の言葉に、大きく心を揺り動かされる勇 樹…。 だが…… 「ああっ、またそんなこと言って!だまされちゃだめだよ勇樹くん! もーっ、町田さんいーかげんなこと言わないでよ。だいたい、今度の査定で勇樹くんの トレーナーアップはもう決まってるじゃん!」 リーダーという立場上、そういったスタッフの査定にも参加するため、美沙はこの辺の ところはよく知っている。 「え…そーなの?」 「ち……」 きょとんとした顔をする勇樹と、臍を噛む町田。 「そーよ。勇樹くんがびっくりする顔がみたかったから黙ってたけど……。 だいいちねー、町田さん?その日あたしたちデートなんだから……とうぜん勇樹くんも ダメですよ〜だ!」 言って美沙は勇樹の腕にしがみついていき、また… 「え…?……そーだったっ……うぐ……」 「…っ! とっ、ともかく町田さんっあたしらはダメだからね!」 よけいなことを言いそうになる勇樹をヒジでつついて黙らせて、美沙はきっ、と鋭い視 線を町田に向けた。 「わ…わーったわーったよ。ったく…もう……」 その迫力に圧され、さすがにあきらめる町田。が、そのグチはなおも続く。 「かーっ、ただでさえ村上が辞めて、その穴がいてぇってのに……大体よ、おめーらの色 恋沙汰に口挾む気はぜんぜんねーけどな、そのせいでシフトに大穴開いてんのは、少 なからずおまえらのせいなんだぞ……ちょっとは協力する気に……」 「なりませーん☆ ほらっ…行くよ勇樹くん! んじゃ町田さんお先に〜♪」 だが美沙は、そんな果てしなく続きそうになる町田のうらみつらみを、いたって陽気 な口調でばっさり切り捨て、踵を返し、また、 「え…あ…う…うん。それじゃ町田さんお先にしつれ……わわっ!」 挨拶もそこそこに、美沙にぐいっと手を引っぱられ、勇樹はたたらを踏みつつ、事務所 を後にする。 そして、 「ああっ!待てよおいっ!……ったく……どいつもこいつも……。くそ…また俺の日曜休 み返上しなきゃいけねーのかよ……」 ひとり事務所に残された町田は、手にしたボールペンをあらあらしく投げ捨て、 「……俺だってその日デートの予定だったんだぜ……あああなんて言い訳しよう……」 がっくりと首をうななだらせて、涙したのだった………。
「ちょ…ちょっと……河合さん?」 「んー?」 「その日、俺たちデートする約束なんてしてないじゃん?」 更衣室へと向かう道すがら、やや慌てた様子で問い掛ける勇樹の声に、 「さっき決めたのあたしが。文句ある?」 ひとり先を歩き、振り返りもせずに一息に言う美沙。 「え……いや…文句あるとかそーゆーんじゃねーけど……ちょっと町田さん気の毒だな …って。それに……」 なんとなくトゲトゲしいよーな美沙の態度を訝しげに思いながら、言葉を濁しつつ言う 勇樹。 すると、 「それに…何? ひょっとして町田さんの言ったコト間に受けて、責任感じてるとでも言い たいの?」 くるり振り返った美沙の鋭い視線が勇樹に突き刺さった。 「え……?」 振り返った美沙の… そう、静かな怒りさえ携えているような表情に、たじろぐ勇樹。 言葉を発せぬまま、立ちすくむ勇樹に、美沙はさらに言いつのる。 「なんで?なんで勇樹くんが責任感じなきゃいけないのよ! キミはなんにも悪いことな んてしてないんだよ!」 「い…いや…悪い…とかそーゆーじゃなくて…ちょ…河合さん…落ち着いてよ……」 途端に語気を荒くする美沙を慌てて宥めようとする勇樹だが、 「落ち着いてるわよあたしはっ! それに、大体なんでまだ『河合さん』…なわけ!? あた しら付き合ってもう一ヶ月経つのよっ!」 ちっとも説得力のない態度、また、あらぬ方向へと怒りの矛先を折り曲げ、いらついた 声を張り上げる美沙。 合い……。 道ゆく人々の好奇の視線が、自然と勇樹たちに注がれる。 (あっちゃ〜……) 「い、いや……だ…だからさ……」 「だから…なによ?」 付き刺さる周囲の視線を痛々しく肌で感じつつ、顔を引きつらせて懸命に美沙を宥め ようとする勇樹だが、美沙はまるっきり動じてない様子。 さらに、 「だいたいここんとこ土日はいっつもシフトインさせられて!ろくすっぽデートだってして ないじゃないっ! キスだって最初のときのいっか……むぐぐぅっ!」 「ちょ…ちょっと河合さんっ、ストップストップ!」 果てしなく怒りを撒き散らす美沙の口を、慌てて手で塞ぐ勇樹。 「むぐっ!むぐぐ〜〜っ!」 なおも、手のひらの中で響く美沙の怒声をあえて無視し……あとが非常に怖いよーな 気もするが、ともあれ勇樹は、更衣室のある3軒隣の雑居ビルへと歩を急ぐ……。
そして、更衣室。 スペースの都合上、店舗自体に更衣室を設けられない『シザーズ』が、このビルの といっても、むろん生き馬の目を抜くファーストフード業界。こんな広いスペースをたか が一店舗の従業員の更衣だけに使わせるわけもなく―――。 ここは、勇樹たち『シザーズ・三芝店』と、駅向こうのビルの中にある『シザーズ・プラザ ビル店』が共同で使用する更衣室となっていた。 もっとも、共同とはいえ、室内は、簡易フェンスで仕切られ、一応、各店舗ごとの更衣 室に分けられている。……が、かえってそのせいで、本来の広さはあまり感じられず、 さらに個々、男女別に分けられた更衣スペースは、ブティックのフィッティングルームに 毛が生えた程度ではあるのだが。
ともあれ、『三芝店』側…ロッカーで隔たれた左右の更衣室にそれぞれ入っていった 勇樹と、そしてこのビルに入ってからこっち、ずっとふくれっつらの美沙。 彼らが口を聞かないせいもあるのだが、どうやら現在、両店共に更衣室には誰もい ないらしく、室内はしーんと静まり返っている。 そんな中…… 「ね…ねえ河合さん……?」 「何よ?」 ユニフォームのボタンを外しつつ、おそるおそるロッカーの向こうの女子更衣室側に投 げ掛けた勇樹の声に、つっけんどんな美沙の声が返る。 「………う…」 その声の様相で、勇樹は外し掛けたボタンを手に持ったままの格好で、何も言えなくな ってしまう。 しゅる……しゅる…… しばし、静まり返った室内に、ただ美沙の着替える衣擦れの音だけが静かに響く…。 ややあって、 しゃっ! 男子スタッフ側ロッカーの上、ただ吊してあるだけの簡易的なカーテンが開かれた。 「あー、なによまだ着替え終わってないのー?」 「え…あ…ああ…だって……でも………」 いかめしい顔で睨み付けられ、慌ててシャツのボタンを外そうとする勇樹だが、むろん 美沙がそこにいては脱げずに……困る。 「ぷ……」 そんな勇樹の態度を見て、破顔する美沙。 「あははははは………もう……ばか。そんなあたしのやつあたりをいちいちまにうけて たら、身が持たないわよ……ほらっ、さっさと着替えて帰ろ。今日も送ってってくれるん でしょ?」 とはいえ、美沙は、そこからどく様子はなく、勇樹はシャツのボタンを持ったまま躊躇す るしかない。 「あ…だって…いや…でも……」 「ははぁ………なーるほど☆ おーし、ひとりで着替えられないんなら、あたしが手伝っ てあげる☆」 にんまり笑みを浮かべ、つかつかと男子更衣室の中に入り込み、美沙は勇樹のシャツ に手をかける。 「ああっ? い…いーよいーよ…って、そーいう問題じゃなくて…ああっ!ちょ…だめだっ て…狭いんだからここっ!」 そう、美沙の手から逃れようともがく勇樹の言うとおり、男子側の更衣室は、ただでさ えそんなにスペースがない女子のところよりなお狭い。タタミ一畳分ほどではないだろう か。 これは複数人でシフトインする事の多い女子がその狭さのため、男女の境になってい るロッカーを少しずつ押して、そのスペースを広げた結果なのであるが。 …まあ、そんなことはどーでもいいことはさておき、ともかくこんな狭いところでもみ合 ったりすれば……… 「ちょ…やめ…か…河合さ…ああああっ」 「きゃっ!」 どさっ! 当然こうなる。 「いてて……河合さん…大丈夫?」 「あたた…う…うん」 覆い被さるように倒れ込んだ二人…はだけた勇樹の胸に、顔を埋めた格好になった 美沙がその頭を起こし……そして、 『………あ。』 思いの外、間近に寄っているお互いの顔に、二人とも言葉を失う……。 『………………………。』 互いの体温を感じつつ、二人の視線が絡み合い、 ふぁさっ。 刹那、流れ落ちる美沙の髪が勇樹の頬をくすぐる………。 「……ん。」 そして二人は、ごく自然に唇を合わせていた。 静寂に支配された空間にて……二度目の…甘い…キス……☆ (………あ。) 小さくも柔らかな美沙の身体をその腕に抱きつつ、にわかに変調をきたす己の身体の 一部分に気付く勇樹…… …と、そのとき……。 |
(2)へつづく。